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婚約破棄されたので、王宮を出て制度を作り直します ~王国の財政を握っていたのは私でした~  作者: 月守いとは


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第120話 拾われた者

 クレア・ミルトンがハルフェン本部を訪ねてきたのは、その七日後だった。


 朝ではなく、日が暮れてからだった。写字所の仕事を終えてから来たのだと、すぐに分かった。手には、布に包んだものを抱えている。布は継ぎが当たっていて、包み方だけが妙に丁寧だった。


「時間を頂けますか」


 通したのは、応接ではなく、実務の部屋のほうだった。長机と、椅子が六つ。壁一面が棚になっている。


 置き場を作るのに、エリシアは机の端の一冊を横へどけた。表紙に題のない、古い収量表だった。四年目の頁に付箋が一枚挟まったままで、付箋の端は何度も開いたぶんだけ折れている。付箋の字は、彼女の字ではない。二年ぶんの埃はかぶっていない。どけただけで、しまいはしなかった。


 クレアは、机に布包みを置いて、開いた。ノートが五冊、積んであった。


「これは」


「二年ぶんです」


「お預かりする理由が、ありませんが」


「預けに来たのではありません」


 クレアは、椅子に座らずに立ったまま言った。座れば話が長くなると思っている立ち方だった。


「読んでいただきに来ました。押さなくても消えない形を考える、とおっしゃいました。中身を見ずに考えるのは、無理です」


 エリシアは、一冊目に手を伸ばして、途中で止めた。触れる前に訊くべきことがあると気づいた止まり方だった。


「よろしいのですか」


「よくありません」


 クレアは、はっきり言った。


「二年、誰にも見せていません。見せた瞬間、これは私だけのものではなくなります。見せてから後悔しても、戻せません」


「では、なぜ」


「戻せないほうがいい、と思ったからです」


 彼女は、そこで初めて少しだけ笑った。笑い方の型がまだ残っていることに、本人が少し驚いた顔をした。


「私は、これを一人で書き続けられます。あと二年でも、五年でも。ただ、一人で書き続けられるということと、一人で書き続けるべきだということは、違います」


 エリシアは、一冊目を開いた。最初の頁は、二年前の秋の日付だった。字は、小さく、揃っている。写字所で鍛えられた字だ。罫は自分で引いてある。項番の置き方は監査局の書式と同じで、責任者欄だけが無い。


 彼女は、頁をめくった。めくって、また、めくった。ランプの油が減る音がするほど、静かだった。


 三十分ほど経って、エリシアは顔を上げた。読み終えたのではない。読むのをいったん止めなければ次の言葉が出ない顔だった。


「ミルトン様」


「はい」


「二冊目の、春の頁を見てください」


 クレアは、机を回って横に来た。エリシアが指した箇所を覗き込む。


『第三十一項、継続性。北部第二記録所、適合』

『同所、更新は継続。ただし記録者は同一人物一名。交代者なし。当該者の離任時、継続性は即座に失われる』


「これは」


 クレアが言った。


「継続していることは事実です。ですが、継続が一人に乗っているだけだと、いつでも折れます」


「ここに、私の設計の欠陥が書いてあります」


 エリシアは、頁に指を置いたまま言った。指をどけると行が紛れると思っている置き方だった。


「私が設計監査で自分から申告したのは、設計判断の二割が私個人に乗っている、という項でした。同じ形の欠陥が、記録所の側にもあります。あなたは、それを一年半前に書いていらっしゃる」


 クレアは、その頁を見た。自分の字だった。書いたときのことは、覚えていない。毎朝、同じように書いていたうちの一枚だ。


「……私は、気づいていませんでした」


「気づかずに書けるのが、記録です」


 エリシアは言った。


「気づいてから書くのは、意見です。あなたは、意見にしないために、気づかずに書ける形を守ってこられた」


 クレアは、返事をしなかった。喉の奥が、少し詰まった。


 二年、誰も読まなかった。読まれないことは覚悟していたし、それでいいと思っていた。読まれなくても消えなければいい、と自分に言い聞かせてきた。朝の一時間を削って書き、写字所で一日ぶんの字を書き、帰って寝る。その繰り返しに理由を付け直す作業を、彼女は毎朝やっていた。


 言い聞かせる必要があったということは、本当はそう思えていなかった、ということだ。


「ルーヴェル様」


「はい」


「二年前、馬車の中で、私は伺いました。なぜ答えを渡さないのですかと」


 エリシアは、頷いた。


「あのとき、あなたは答えを下さいませんでした。代わりに、こうおっしゃった」


 クレアは、記憶をたどるふうではなく、暗誦するように言った。たどる必要がないほど、何度も口の中で回した一文だった。


「──記録は、必ず、誰かが拾います」


「言いました」


「あの言葉に、私は二年、支えられました」


 クレアは、机の上のノートを見た。


「ですが、正直に申し上げます。拾われないまま終わるのだろう、とも思っていました。半分は、そう思っていました」


 エリシアは、五冊のいちばん上に手を置いた。


「拾いました」


 短い一言だった。クレアは、しばらく黙っていた。それから、椅子を引いて、初めて座った。座ってから、彼女は言った。


「では、次は私の番です」


「何の番ですか」


「拾う番です」


 クレアは、鞄からもう一つ、薄い綴りを出して机に置いた。


「これは、記録ではありません。私が、この二年で見つけた『拾われていない人』の一覧です。判定で外され、それきり誰も見に行っていない先が、二十三あります」


 エリシアは、綴りを開いた。地名が並んでいる。記録所、村、町。判定の日付と、外された理由と、その後どうなったかの欄。その後の欄は、ほとんどが空白だった。


 三枚目に、見覚えのある名があった。二十三枚は件番だけが振ってある。訪ねた順でも、重い順でもない並びだった。


『リーデン町 簡易公開 除外決定』


 その隣の、その後の欄は、まだ空白だった。


「そこは」


 クレアが言った。


「まだ、書きに行っていません」


「では、一緒に行きましょう」


 エリシアは、綴りを閉じた。


「四日かかります」

読まれない記録を書き続けた人と、拾うと言ってしまった人が、同じ机につく回です。約束を回収するときは、回収した側にも次の仕事が来る。そういうふうに書きました。リーデン町への道中で、半日の遠回りをします。あの校舎裏で「私は、その数字じゃない」と言った子のいる学校へ。

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