↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、王宮を出て制度を作り直します ~王国の財政を握っていたのは私でした~  作者: 月守いとは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
116/135

第117話 差出人のない記録

 冬に入って最初の週、アルノー・リヒターの机に、綴じられていない紙束が届いた。


 封筒はなかった。ほかの書類に挟まっていた、という言い方が近い。港湾組合から回ってきた郵便のあいだに、宛名のない三十枚が混ざっていた。


 差出人の欄がない。公印もない。日付だけが各葉の右下に小さく入っている。


 アルノーは一枚目を読んで、二枚目を読んで、それから椅子に座り直した。紙は上等ではない。写字所で使う安い紙だ。ただし裁ちは揃っていて、三十枚の端がぴたりと重なった。


 中身は、監査局が基準の成案からこの一年に出した適合判定の一覧だった。ただの一覧ではない。判定ごとに判定の日付と根拠とされた項番が並び、そして──判定の隣に、同じ案件について別の数字が書き添えてあった。


 たとえば、ある地方の記録所が第十七項の誤差記録で不適合とされた案件。その隣に、こう書いてある。


『同記録所、誤差記録欄なし。ただし同期間の申告値と実測値の差は、他の適合記録所五件の平均より小さい。出典:港湾組合公表分より算出』


 誤差の欄が無い記録所のほうが、誤差が小さかった、ということだった。


 アルノーは、その一行を三度読んだ。


 書いてあるのは、判定が間違っているという主張ではない。判定は正しい。欄が無いのだから不適合だ。ただ、欄が無いことと誤差が大きいことは別のことだと書いてある。それだけだ。書き手はそこから先へ一歩も出ていない。出ないことに、明らかに神経を使っている。


 三十枚のうち、こういう書き添えがあるのは十四件だった。残る十六件はただの写しで、判定と項番しか載っていない。書き添えるだけの材料が揃わなかったのだろうと、アルノーは思った。


「これは」


 彼は、書類を持ってエリシアの執務室へ行った。


 エリシアは一枚目から順に読み、途中で速度を落とし、最後の一枚を読み終えてから、束を机に置いた。


「どこから来ましたか」


「分かりません。港湾組合の郵便に混ざっていました。組合に問い合わせましたが、把握していないと」


「差出人なし、公印なし、日付だけ」


「はい」


 エリシアは、右下の日付を確かめた。いちばん古いものは一年近く前。いちばん新しいものは、先月だ。


「一年、書き続けている人がいます」


「怪文書の類ではないと」


「怪文書は、こう書きません」


 彼女は、十四件のうちの一つを指した。


「ここを見てください。『出典:港湾組合公表分より算出』とあります。公表されている数字だけを使って、誰でも同じ計算ができるようにしてある」


「……確かめられる形にしてある、ということですか」


「そうです。相手に反論の材料を渡しています」


 エリシアは、次の頁をめくった。


「怪文書は、確かめられない形で書きます。確かめられたら困るからです。これは逆です。確かめてくださいと書いてある」


 アルノーは、束を横から覗き込んだ。


「では、誰が」


「書式を見てください」


 エリシアが言った。


 アルノーは、言われて初めて、書式そのものを見た。罫の引き方、項番の置き方、出典の書き添え方、左の余白の広さ、数字の桁を揃える位置──どれも、監査局の書式だった。


 いや──正確には、監査局の書式に似ていて、一つだけ違った。


 いちばん上の、責任者欄が、無い。


「……監査局の人間ですか」


「監査局の書式を、身体で覚えている人です」


 エリシアは言った。


「そして、責任者欄を書かないと決めている人です」


 彼女は、束の最後の一枚をもう一度見た。その裏に、鉛筆でごく薄く、一行だけ書いてある。印刷ではない。書き手が自分で入れたものだ。


『これは仕事ではありません』


 エリシアは、その一行を長く見ていた。


 その言い回しを、彼女は覚えている。一年前ではない。もっと前だ。


 まだ王宮を出て間もない頃だ。監査局の若い監査官が人目を避けるように馬車へ乗り込んできて、正しさが届かない場所について話した。話しながら、その人は膝の上で指を組み替え続けていた。そのあと彼女は昇進を断り、王国の外に立つと決めた。


 あのとき、エリシアは彼女に何も約束しなかった。約束の代わりに、こう言っただけだ。


 ──記録は、必ず、誰かが拾います。


「アルノー」


「はい」


「港湾組合に、もう一度問い合わせてください。組合ではなく、組合の郵便を運んでいる便に」


「便に、ですか」


「差出人のない紙束を、一年、同じ便に混ぜられる人は限られます。混ぜている場所が分かれば、書いている場所も近いはずです」


 アルノーは頷いて、出ていこうとして、扉の前で止まった。


「ルーヴェル様。仮に見つかったとして、この方は、名乗りたくないのではありませんか」


 エリシアは、束の上に手を置いた。紙は冷えていて、指の下でわずかに反っていた。


「そうでしょうね」


「では」


「名乗ってくださいとは言いません」


 彼女は言った。


「一年ぶんの続きを、書く場所がありますと言いに行きます」


 アルノーが出ていったあと、エリシアは束を揃え直した。三十枚の角が、また綺麗に重なった。裁ちを揃える人間は、揃えないと落ち着かない人間だ。二年前、同じ癖の持ち主に会っている。


怪文書と記録の違いは、確かめられる形で書いてあるかどうかだけです。相手に反論の材料を渡す文書ほど、実は強い。舞台は王都の北の外れ、階段の軋む下宿の二階へ。棚に五冊、表紙は『制度外記録:王国』。朝六時十分、その扉が叩かれます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。