↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、王宮を出て制度を作り直します ~王国の財政を握っていたのは私でした~  作者: 月守いとは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
115/135

第116話 私は基準を満たしません

 設計監査は、秋の初めに行われ、三日かかった。一日目は書式。二日目は運用。三日目に、設計主体そのものを見る。


 三日目の朝、ハルフェン本部の大会議室には、監査局から五人、ハルフェンから七人が入った。卓は、やはり同じ高さで向かい合っていた。窓を開けると港の音が入るので、この日は閉めてある。


「では、三つ目の審査に入ります」


 エドガル・ヴェインが言った。三日目にして、声の調子は一日目の朝とまったく同じだった。疲れていないのではなく、疲れを声に乗せない習慣がついている人の同じさだった。


「設計主体であるハルフェン本部が、適合基準の外に置かれていないか。ルーヴェル様、ご説明を」


 エリシアは立たなかった。この場では立たないのが作法だと、二日かけて理解していた。


「先に、結論から申し上げます」


 彼女は言った。


「ハルフェン本部は、適合基準を満たしていません」


 誰も、すぐには紙をめくらなかった。アルノーが横で息を呑むのが分かった。二日間、彼らは満たしている項を数え上げる準備をしてきた。四十七項のうち四十一項は満たせる。残り六項も、説明で押し返せる見込みがあった。手元の綴りには、その順番まで付箋で刻んである。


「ご説明を」


 エドガルの声は変わらなかった。


「第七項、収集した記録の第三者検証。ハルフェン本部が集計した港湾分を検証しているのは、ハルフェン本部の別部署です。組織として独立していません。不適合です」


「はい」


「第十九項、判断根拠の遡及可能性。二年前の設計変更のうち、三件は口頭で決めています。議事の記録がありません。不適合です」


 監査官の一人が、手元をめくる音がした。ハルフェン側が用意した反論の順番と、読み上げられている順番が合っていない。合わないことに、まだ誰も追いつけていなかった。


「第三十三項、設計主体の交代可能性。公開枠組みの設計判断のうち、およそ二割は、私個人の判断で行われています。私が明日いなくなった場合、その二割は再現できません。不適合です」


 エリシアは、そこで一度、間を置いた。


「以上、三項。いずれも、監査局のご指摘を待たずに、こちらで洗い出したものです」


 彼女は、卓の上に綴りを置いた。付箋は一枚も挟んでいない。挟めば、どこを先に読ませたいかを決めたことになる。


「不適合の一覧と、それぞれについて、いつ・誰の判断で・なぜそうなったかを付けてあります」


 エドガルは、綴りを受け取った。開いて、しばらく読んだ。読む速度が速い。二十二年、こういう紙を読んできた男の速度だった。頁を戻すのは一度だけで、あとはまっすぐ進んだ。


「第三十三項の不適合を、ご自分から申告されるのは」


 彼は顔を上げた。読み終えた頁に、指を挟んだままだった。


「珍しいことです」


「自分から言わなければ、誰にも見つけられない項ですので」


「そうですね」


 エドガルは、少しだけ間を置いた。


「見つけられないものを申告する義務は、基準に書いてありません」


「書いてありません」


 エリシアは認めた。認めるのに、間はいらなかった。


「ですので、これは義務ではなく、設計の話として申し上げます」


 彼女は卓の上で、指を一つ立てた。


「私は、公開枠組みを『私がいなくても回る形』にしたつもりでした。実際、日々の運用は回っています。ですが二割が回っていなかった。それは私の設計の欠陥です」


 二本目の指。


「この欠陥は、監査局の基準に照らして初めて見えました。基準がなければ、私は気づかないまま設計を続けていました」


 三本目。


「ですので、基準を曲げてくださいとは申し上げません。私は基準を満たしません。満たしていないという判定を、そのまま出していただきたい」


 エドガルは、綴りを閉じた。


「代わりに、何を求められますか」


「一つだけ」


 エリシアは言った。


「基準を満たさない主体が、満たさないまま何を続けていたかを、判定と同じ紙に書いてください」


 部屋の空気が、少し動いた。誰かが椅子を鳴らし、すぐに静かになった。


「不適合の理由は、いま書式にあります。適合の項も書式にあります。ですが、満たさなかったあいだに何が起きていたかは、どこにも残りません」


 彼女は続けた。


「リーデン町は十一項に落ちました。同時に十六回、続けていました。判定書には落ちた十一項しか載りません。十六は、どこにも載らない」


「それは、判定ではありません」


 エドガルが言った。


「事実です」


「はい。判定ではなく、事実です。判定の隣に置いていただきたい」


 長い沈黙があった。監査官の一人が口を開きかけて、局長を見て、閉じた。


「持ち帰ります」


 エドガルは言った。


「即答はしません。それは基準の運用ではなく、基準そのものの形を変える話ですので」


「承知しました」


「ただ」


 彼は綴りを鞄に入れながら、手を止めた。鞄の口を閉じる前に止めたので、留め金の音が半分だけ鳴った。


「一つ伺っても」


「どうぞ」


「なぜ、戦わないのですか」


 その問いは、この三日間で彼が初めて発した、監査ではない質問だった。


 エリシアは、少し考えてから答えた。


「戦って勝てば、次に基準を守らせる相手が、私を先例に使います」


 それに、この場で戦うなら、勝ち方は一つしかない。上から通してもらうことだ。その一本の線を使わないと決めた日から、彼女は手札を一枚減らしたまま仕事をしている。減らしたぶんが何に化けたのかは、まだ数えていない。


「……そうですね」


「それに」


 彼女は、卓に置いたままの綴りの表紙に、指を置いた。


「ヴェイン様が正しいのは、本当のことです。正しいことに正しさで反論すると、どちらかが嘘をつくことになります」


 エドガルは、返事をしなかった。彼は会釈をして、部屋を出ていった。扉の閉まる音は、初めて来た日と同じくらい丁寧だった。


 三日間の審査が終わり、人が引いた会議室で、ヴァルド・グレインが窓辺に立っていた。閉めてあった窓を、勝手に開けている。


「負けたのか、あれは」


「負けました」


 エリシアは答えた。負けましたという言葉に、力の抜けたところが無かった。


「三項、不適合が確定します」


「顔が負けた顔じゃないな」


「勝ち方が分かりましたので」


 彼女は、卓の上の水差しを片づけながら言った。


「判定の隣に、事実を置く。それが通れば、基準は変わりません。変わらないまま、拾えるものが増えます」


「通ると思うか」


「思いません」


 あっさりした返事だった。通らないと分かっていて出す案があることを、ヴァルドはこの二年で見慣れている。


「ですので、通らなかったときのために、もう一つ要ります」


「何が」


「監査局の外側で、同じ形の記録を作っている人が」


 エリシアは、窓の外を見た。港では、荷役が動いている。


「心当たりが、一人だけあります」

四十一項は満たせる、と部下が付箋を刻んでいた綴りを、本人が最初の一言で無駄にする回です。負けを先に取りに行くのが、この人の勝ち方でした。次回、冬の入口。差出人も公印もない三十枚の紙束が、港湾組合の郵便に混ざって届きます。ブックマークと評価は、監査の綴りにこちらから一頁足すつもりで、遠慮なく頂きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。