第115話 外された町の、その後
リーデン町の掲示板は、集会所の外壁にある。
板は三枚。左が公示、真ん中が簡易公開の月次、右が売り買いの張り紙だった。一年半のあいだ、真ん中の板だけは、月の初めに必ず新しい紙が貼られていた。雨で滲んだ月も、貼り替えの日はずらさなかった。
猶予の百八十日が始まってから、ヨナス・レントは、その真ん中の板の貼り方を変えなかった。
変える理由がなかったからだ。除外が決まっても、猶予のあいだは載る。載っているうちは、いつもどおりに出す。
五月分。件数百十二、扱い量は麦換算で四百二十、遅れ日数の合計は九。
六月分。件数九十八、量三百八十、遅れ十四。梅雨で街道が緩んだ。
七月分。件数九十一、量三百四十、遅れ十一。
七月分を貼った日、若い衆の一人が言った。
「取引先が、先に減ってますね」
「減っているか」
「先月から、王都の二軒が照会をやめました。うちの数字が、来年から出なくなると聞いたそうです」
ヨナスは、板の前で腕を組んだ。
除外は、まだ発効していない。猶予は残り九十日ある。数字は今も載っている。それでも、取引先は先に動いた。
商いとは、そういうものだ。来年出なくなると分かっている数字を、今から当てにする者はいない。制度が外すより先に、人が外す。
ヨナスは、その二軒の名を帳面の隅に書いた。恨みで書いたのではない。いつ抜けたかが分からなくなると、あとで理由を切り分けられなくなる。切り分けられないものは、たいてい「町が駄目になった」の一言で片づけられてしまう。
八月。件数七十九。
この月、ヨナスは初めて数字を貼るのをためらった。貼れば、減っていることが誰の目にも見える。見えれば、また減る。掲示板の前で、糊の刷毛を持ったまま少し立っていた。
それでも貼った。一年半、そうしてきたからだ。
「レントさん」
貼り終えたところに、若い衆の一人が来た。二人いた書き手のうちの、若いほうだった。
「秋から、王都の商会に行くことになりました」
ヨナスは、頷いた。驚かなかった。
「向こうで、何をする」
「帳簿方の見習いです。書けるのが強みになる、と言われました」
「そうか」
ヨナスは、自分の声が思ったより普通に出たことに、少し安心した。
「うちで一年半書いたと、言っていい」
「言います」
若者は、頭を下げて行った。歩き方に、遠慮と、隠しきれない前向きさが混じっていた。それでいい、とヨナスは思った。
書き手が、一人になった。
残った一人は、五十を過ぎた男だった。目が悪くなってきていて、夕方は書けない。朝のうちに片づけるしかない。それでも辞めるとは言わなかった。言わない理由を、ヨナスは訊いていない。訊けば、答えが言葉になってしまう。言葉になったものは、次の年に守らなければならなくなる。
九月。ヨナスは一人で数字を作った。三日かかった。以前は二人で一日半だった。件数六十八。量二百四十。遅れ日数、十六。
貼りながら、彼は数字を見た。落ちている。だが、まだある。
彼が知りたいのは、この先どこまで落ちるかではなかった。この落ち方が、除外のせいなのか、それとも夏の街道が悪かったせいなのか、あるいは去年から続いていた別の理由なのか──それを、切り分けたかった。
切り分けるには、前年と比べる必要がある。
前年の数字は、ある。一年半ぶん全部ある。粗いままだが、途切れていない。だが、それを比べる形に整えるには、対照表がいる。
対照表は、基準の第二十六項だった。
ヨナスは、しばらく板の前に立っていた。可笑しい、と思った。笑うところではないのに、少しだけ笑った。
自分の町が落ちるところを正確に見るために、自分の町を落とした基準が要る。
その夜、彼は集会所の棚から、去年の秋に配られた冊子を出した。冬を越しても、一度も開かれていない冊子だった。背は、まだ固い。
埃を払って、第二十六項を探す。
対照表の作り方は、二頁にわたって書いてあった。丁寧に書いてあった。図まで付いていた。書いた人間が、読む相手に届かせるつもりで書いた頁だった。
ヨナスは、それを読み終えるのに二晩かかった。二晩目の途中で、彼は一つ思い当たった。去年の秋、この二頁を先に読んでいれば、あの部屋で手を挙げられたかもしれない。挙げたところで通ったかどうかは分からない。だが、少なくとも「読み切れていないから」という理由は消えていた。
三日目の朝、彼は罫を引いた紙を出して、一年半ぶんの月次を並べ始めた。
通らないと分かっている。除外は決まっている。作っても、載らない。
それでも作る理由を、彼は自分でも説明できなかった。
ただ、書き終えた紙のいちばん上に、名を入れる欄を作った。欄を作ってから、そこに何と書くべきかを、しばらく考えた。
町の代表としてか。書き手としてか。それとも、去年の秋に手を挙げなかった者としてか。
彼は、自分の名前だけを書いた。
肩書きは、要らなかった。書いた紙を、どこへ出すあてもない。出すあてのない紙に肩書きを付けると、肩書きのほうが先に嘘になる。
町を外した冊子を、町の落ち方を測るために開く。ヨナスがそこで見せた乾いた笑いは、この部で作者がいちばん好きな表情です。次回、秋の設計監査。エリシアの第一声は「ハルフェン本部は、適合基準を満たしていません」。




