第102話 対等という約束
教育分野の方針転換は、すぐに公表された。
『教育機関における公開枠組みは、支援指標中心へ移行』
順位なし、比較なし、個人の評価なし。代わりに、必要な支援量と改善の状況のみを可視化する。削った三つは、港では最も役に立っていた三つだった。
世論は再び割れた。甘すぎる、現実的だ、競争がなくなる、子どもを守るべきだ。どの声も、前の争いのときより短い。
だが、大きな炎上にはならなかった。誰もが、どこかで理解していた。港と同じではない、と。
王宮の執務室に呼ばれたエリシアは、扉の前で一度だけ立ち止まった。呼び出しの書付には、用件が書いていなかった。ノックをする。
「入れ」
レオンハルトは机に向かっていたが、すぐに顔を上げた。
「報告は受けている。教育分野の修正だ」
「問題なく移行しています」
短い確認だった。だが、それだけでは終わらなかった。用件が書いていない呼び出しには、たいてい別の用がある。
「……あのとき」
王子が言う。
「お前を追放したときのことだ」
エリシアは静かに立ったまま聞く。座れとは言われていない。彼も座っていない。
「私は、管理できないものを排除した。それが最善だと思っていた」
沈黙が挟まる。最善だと思っていた、という過去形を、彼は言い直さなかった。
「だが違った」
視線がまっすぐ向く。
「お前は、管理できないものを抱えた」
制度の揺らぎ、人の感情、想定していなかった傷。抱えたというより、置き場所が他に無かった。
「そして、捨てなかった」
エリシアはゆっくりと言う。
「捨てられなかっただけです」
「同じだ」
短い言葉だった。しばらく沈黙が続く。同じだ、と言われて、否定する材料が見つからない。
やがて王子は立ち上がった。
「戻れ、とは言わない」
エリシアの目がわずかに動く。戻れ、と言われるものだと、扉の前では思っていた。
「以前の関係には戻らない。戻れない」
それは当然だった。もう、同じ立場ではない。戻れないと先に言われたことのほうが、たぶん誠実だった。
「だが」
王子は続ける。
「これからは、対等でいたい」
静かな提案だった。命令でも、依頼でもない。命令にできる立場の人間が、命令にしなかった。
「制度の設計者として。国家の責任者として。そして」
一瞬だけ言葉を選ぶ。選んでいるのが、こちらから見て分かるほどの間だった。
「……一人の人間として」
エリシアはすぐには答えなかった。あの日とは違う。今は、選ぶ側にいる。選ぶ側にいるというだけで、答えが早くなるわけではなかった。
「私は、誰かの隣に立つためだけには動きません」
「知っている」
即答だった。
「だからこそ、隣に立ってほしい」
言葉は静かだが、重い。だからこそ、という接ぎ方を、彼は用意してきたわけではないらしい。
エリシアは少しだけ視線を落とし、そして上げた。落としているあいだ、部屋の音がひとつも無かった。
「今すぐの答えは出しません」
「それでいい」
「ですが」
一歩だけ近づく。
「対等であることは、受け入れます」
それは拒絶ではない。だが、許しでもない。名前の付いていない関係だった。名前が付いていないものは、様式にも書けない。
王子は小さく息を吐く。
「十分だ」
窓の外、港の灯りが見える。かつては遠かった場所。今は、同じ景色を見ている。
「一つ、頼みがある」
王子が言った。
「対等というのは、断ってもよいということだな」
「そうです」
「では、これから私が何か頼んだとき、断ってくれ。一度でいい」
エリシアは、少し目を細めた。
「断られたことがないのですね」
「一度もない」
王子は言った。
「できません、と言われたことがない。一度もないまま、私はここまで来た」
彼女はしばらく黙っていた。一度もない、という言い方を、この人は誇っていない。
「では、そのうちに」
「約束か」
「約束にはしません」
エリシアは答えた。
「約束にしたら、対等ではなくなります」
王子は微かに笑った。灯りが揺れる。約束にしない、という答えを、彼は書き留めなかった。書き留めれば、約束になる。
「選び続けるんだな」
「はい。制度も、関係も」
完成はない。だが、やり直すことはできる。対等な場所からなら。
婚約破棄から始まった話が、婚約でも許しでもなく「一度でいいから断ってくれ」に着地するのが、私の考えるこの作品のざまぁです。次は港で、ヨナス・レントが荷を提げて立っています。今年の日数と、浮いた日数で何ができたかを持ってきます。ブックマークと評価は、断ってもよい頼みとしてお願いしておきます。こちらは、まだ断られ慣れていません。




