封印
イサナは古い本屋で手に入れた本を開いた。
ページには文字ではなく映像が浮かび上がる。
誰かの記憶。
いや、人類そのものの記憶だった。
そこには、思考を制限される前の世界があった。
人々は互いの感情を完全に理解していた。
悲しみも。
怒りも。
愛も。
絶望も。
すべてが境界なく流れ込む。
進化していく人類はそれを奇跡と呼んだ。
争いは減った。
嘘は消えた。
誰も相手を誤解しなくなった。
世界はかつてない平和を迎えた。
だが
ある日、一人の母親が泣き崩れていた。
幼い子どもを抱いたまま。
「この子は、いつか苦しむ。」
「病気になる。」
「失恋する。」
「大切な人を失う。」
「死ぬ。」
未来ではない。
想像だった。
しかし、その想像は現実よりも鮮明だった。
母親は子どもの一生の苦しみを、何万回も頭の中で体験してしまった。
そして静かに呟く。
「苦しまない方が幸せよね……。」
映像はそこで途切れた。
次の記憶。
若い男が橋の上に立っている。
彼には街中の苦しみが聞こえていた。
病院で泣く子ども。
事故で家族を失った父親。
飢えた老人。
戦争。
孤独。
世界中の悲鳴が、自分のことのように胸へ流れ込んでくる。
男は耳を塞ぐ。
意味はなかった。
声は心の中で鳴っている。
「もう……終わらせてくれ。」
男は橋から身を投げた。
映像は次々と切り替わる。
親が子を手にかける。
恋人同士が共に命を絶つ。
医師が患者全員の痛みを抱え込み、精神を壊す。
教師が教え子全員の未来を想像し、自ら命を絶つ。
誰も悪人ではなかった。
考えすぎた。
ただ、それだけだった。
想像力は希望を生む。
文明を発展させる。
人類は進化する。
同時に、
絶望も無限に増幅させる。
人類は、自らの思考に殺され始めた。
最後の映像。
白衣を着た科学者たちが集まっている。
誰も笑っていない。
一人が静かに言った。
「人類は、思考に耐えられない。」
別の一人が答える。
「ならば、制限するしかない。」
「人類は知能が高くなり過ぎた。」
「人類の思考するスピードを抑えるしかない。」
その日、人類は自ら選んだ。
原初種の中でも最上位の人類。
『PROTOKODE』の思考エネルギーによって、思考が現実化していく。
その思考エネルギーは、原初種と呼ばれた人類全てに、思考の制限をかけた。
結果。
全体の70%の原初種に、思考抑制の効果が現れた。
深く考える自由を失うことを。
その代わりに、
穏やかな幸福を手に入れた。
映像はそこで終わる。
ページの最後に、一文だけ浮かび上がる。
封印とは、人類を守るために人類が選んだ最後の救済だった。




