消された歴史
朝。
曇り空だった。
イサナは頭の中に引っ掛かっている違和感を消せずにいた。
老人。
本。
記憶。
そして、誰かが何度も口にしていた言葉。
「思考の封印」
その意味だけが、どうしても見つからなかった。
家を出ると、足は自然と国立図書館へ向かっていた。
この図書館は、全ての情報が詰まっていると言われている。
図書館といってもデータ倉庫のようなところだ。
館内は静かだった。
紙の本を読む人はほとんどいない。
ほとんどの利用者はスマートコンタクト越しに電子資料を眺めている。
イサナは検索端末の前へ座った。
検索欄へ入力する。
思考封印
検索結果 0件。
「……そんなはずないだろ。」
今度は別の言葉を入れる。
思考
正常。
哲学。
精神医学。
治療。
ありふれた記事だけが並ぶ。
画面が止まる。
数秒。
ノイズ。
突然画面が切り替わった。
【PROTOKODE検知】
画面いっぱいへ赤い文字が浮かぶ。
【閲覧権限がありません】
【原初種】
【違法アクセス検知】
一瞬で表示は消え、
何事もなかったように検索画面へ戻った。
イサナは息を呑む。
「……今のは何だ。」
イサナは原初種と検索欄に打ち込んだ。
その時だった。
背後から静かな声が聞こえる。
「その言葉を知っている人は珍しいですね。」
振り返る。
年老いた司書だった。
白髪。
細い身体。
穏やかな笑顔。
「昔の言葉ですよ。」
「今では誰も使いません。」
「原初種って……何ですか。」
司書は少しだけ目を伏せた。
「人間ですよ。」
イサナは首を傾げる。
「……人間?」
「ええ。」
「今の人間ではありません。」
「もっと昔。」
「思考を制限される前の人類。」
空気が止まる。
「それって歴史の本に……」
「載っていません。」
「消されたからです。」
その瞬間。
館内の照明が一度だけ暗くなる。
ジジ……
天井のスピーカーからノイズが流れた。
司書はそれ以上話さなかった。
まるで誰かに聞かれているように。
イサナは静かに尋ねる。
「どうして消されたんですか。」
質問に司書は答えない。
「あなたも、私と同じなのですね。」
「いえ、、きっとあなたはPROTOKODE」
そして本棚の一番奥を指差した。
そこには一冊だけ、
古びた黒い本が置かれていた。
表紙には題名がない。
ページを開く。
ほとんどが白紙だった。
ただ、一ページだけ文字が残っている。
我らは原初種の記憶を持つPROTOKODE。
思考を恐れなかった最初の人類。
その下は、
何かを無理やり削り取ったように穴が開いていた。
次の瞬間。
館内中のモニターが一斉に点滅する。
【違法閲覧を検知】
【情報を修正します】
【閲覧記録を削除しました】
イサナは本を閉じた。
鼓動が速くなる。
「誰が……消してる?」
司書は静かに微笑んだ。
「歴史は、勝者が作るものです。」
その言葉を最後に、
司書は奥の書庫へ歩いていく。
イサナが後を追った時には、
もう誰もいなかった。
書庫は行き止まりだった。
帰り道。
空を見上げる。
街は昨日と同じように穏やかだった。
笑顔の人々。
流れる音楽。
幸福指数の表示。
誰も疑わない。
誰も知ろうとしない。
イサナは小さく呟いた。
「原初種……」
その言葉だけが、
胸の奥へ静かに残り続けていた。




