希望の鳥
帰宅したあとも、手のひらの痺れが抜けなかった。
イサナは椅子に背を預けたまま、ゆっくりとスマートコンタクトのインターフェースを起動した。
思考で操作できるAR画面が、視界の中に淡く浮かび上がる。
「……廃ビル 黒 都市外れ」
声には出さず、頭の中でイメージを検索する。
あの記憶の最後に見た、黒ずんだ鉄骨の建物。
それを“思い浮かべる”だけで、AIは関連情報を拾い始めた。
数件の候補の中に、ひとつだけ記憶の光景と一致する画像があった。
《廃タウン地区 旧商業ビル》
地図を開くと、スマートコンタクトが自動的にルート案内を始めた。
視界の隅に、矢印と距離、移動時間が表示される。
「……行くしか、ないよな」
街の外れは、人の気配が急に薄くなっていた。
コンビニもなく、無人配送車すら通らない。
イサナは案内の矢印を辿りながら、静まり返った細い路地を進んだ。
やがて視界の先に、あの建物が現れた。
黒く、錆びつき、今にも崩れそうな旧商業ビル。
中に入ると、埃と時間の匂いがした。
割れたガラス、放置されたカウンター、朽ちた金庫。
イサナは、記憶にある違和感のある場所へと向かう。
金庫の裏側
誰も覗かないような、狭い隙間。
手を伸ばすと、何かに触れた。
小さな木の感触。冷たくも、暖かくもない。
引き抜くようにそれを取り出すと、小指ほどのサイズの木彫りの鳥の置物が現れた。
次の瞬間、視界が白く揺らぐ。
花が咲く広場。
陽の光。
音楽と笑い声。
目の前には、彼女がいる。
彼女は笑っていた。
手を取ってくれる。共に歩いてくれる。
その頬が紅潮し、何かを囁いていた。
温度だけがはっきり伝わってくる。
視界が揺れ、笑い合う中で、彼女が涙を流している。
嬉しくて泣いているのだと、すぐにわかった。
次の場面。
彼女は、白いドレスを着ている。
こちらを見て、笑いながら小さく頷く。
そして
視界が暗転する。
今、彼女は動かない。
腕の中で、冷たかった。
言葉が出ない。
次に見えたのは、土を掘る手。
土にまみれた指先。
震えながら何かを埋める
草に覆われた、小さな墓。
その墓石には、鳥の模様が刻まれていた。
イサナは、地面に膝をついていた。
手には、まだ木の鳥が握られている。
「……誰の記憶……なんだよ……これ……」
涙はでなかった。
けれど、胸の奥が締めつけられるように苦しかった。
これはただの記憶ではない。
誰かが確かに生き、愛し、失った記録だった。
そして今、それが自分の中に、確かに刻まれた。