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文明を継ぐ魔女  作者: XType84
第一章 ありふれた青春
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第一章 第一節 研究室の変人

### 1996年 秋


研究棟の窓から差し込む午後の光が、机の上のノートを照らしていた。

材料力学の式。

荷重方向を示す矢印。

その隣には、どういうわけか古代文明の工具の構造図がある。


天城香織は鉛筆を止めた。

図をじっと見る。

もう一度、式を見る。

そして眉を寄せた。

「……やっぱり変」


鉛筆を工具に見立て、机の端へ押し当てる。

角度を変える。

もう一度押す。

首を傾げる。

「この角度じゃ、力が逃げる……」


本来なら、学部二年の学生が研究室に居つく時期ではない。

だが香織は、教授から資料整理や解析を頼まれるうちに出入りするようになり、いつの間にか窓際の空き机が定位置になっていた。


その机の上だけは、工学部なのか考古学研究室なのか分からない。

「……またやってる」

背後から呆れた声がした。

香織が振り返る。

ショートヘアに白衣。

応用生物学科の四年生、氷室冴子が腕を組んで立っていた。

「冴子先輩。ちょうどよかったです」


「嫌な予感しかしないんだけど」


「これ見てください」

香織は古代工具の復元図を差し出した。


冴子は受け取る。

一秒。

二秒。

「……工具?」


「はい」


「ここ材料系の共同研究室よね?」


「はい」


「なんで紀元前の工具が出てくるの?」


「そこじゃありません」


「そこ以外にどこを見るのよ」


香織は図の柄を指した。

「この復元図、柄の角度がおかしいと思うんです」


「角度?」


「このまま使うと、力を入れるほど手首側へ逃げます」


鉛筆を机へ押し当ててみせる。

「材料を削る道具なら、もっと寝ていた方が力を伝えやすい。あるいは握り方そのものが違ったか」


冴子が鉛筆を受け取った。

同じように押してみる。

「あ」


「でしょう?」


もう一度。

「……ほんとだ」


香織の目が輝いた。

「ですよね!」


「いや、そこで嬉しそうにされても」


「復元した人が間違えたのか、それとも使い方の前提が違うのか。面白くないですか?」


「普通はそこまで考えない」


「どうしてです?」


「古代工具だからよ!」


研究室の奥から笑い声が上がった。

「また天城が始まったぞ」


「昨日は青銅器じゃなかったか?」


「教授、変なの拾いましたね」


「拾ったとは失礼だろ」


資料を抱えた教授が通り過ぎながら口を挟んだ。

その足が止まる。

「氷室」


「はい?」


「生体材料側の測定結果、あとで確認してくれ。先方から追加が来た」


冴子は肩を落とした。

「またですか。今度から締切三日前じゃなくて、一週間前にください」


「善処する」


「教授の善処は信用してません」


教授は笑って去っていった。

香織が感心したように冴子を見る。


「先輩、教授にも言うんですね」


「あんたにだけは言われたくない」


冴子は古代工具の図を机へ戻した。

「で、結局どうするの?」


「実物の寸法を調べます。できれば復元品も作ります」


「絶対そう言うと思った」


冴子は額を押さえた。

「理系の天才で、見た目も悪くないのに……ほんと残念美人よね」


「褒め言葉として受け取っておきます」


「褒めてない」


研究室のドアが開いた。

「失礼します」


落ち着いた声だった。

長い黒髪を整え、控えめな化粧をした相沢絢香が、資料を抱えて入ってきた。


教授がすぐに声を掛けた。

「相沢、昨日の発表資料は良かったぞ。企業側からも分かりやすいと連絡が来ている」


「ありがとうございます。指摘いただいた箇所は今日中に直します」


「頼む」


絢香は自然に一礼した。

そのまま何人かの先輩へ声を掛け、最後に香織の机へ来る。

「天城さん、昨日の解析データ、終わった?」


「終わりました。データ、あとで渡します」


「助かるわ。ありがとう」


「いえ」


絢香の視線が机の上で止まった。

「……古代工具?」


「はい」


一拍。

「今度は何を見つけたの?」


香織は嬉しそうに復元図を持ち上げた。

「この柄の角度が――」


「待って」


冴子が止めた。

「相沢、今聞くと十五分は拘束される」


絢香は少し考えてから笑った。


「じゃあ後で聞くわ」


「はい」


「聞くんだ……」


冴子だけが呆れていた。


絢香が研究室を出ていく。


その背中を見送りながら、冴子が小さく呟いた。

「ほんと不思議」


「何がです?」


「あんたたち」


「私たち?」


「発表になれば競ってるし、成績だって似たようなもんでしょ。普通もう少しギスギスしない?」


香織は首を傾げた。

「競う相手が優秀なのは、いいことじゃないですか」


「いや、そういう問題じゃなくてさ……」


「?」


冴子は諦めたように息を吐いた。


* * *

昼休み。


学生食堂は、食器の音と学生たちの話し声で騒がしかった。


香織は学食で、高瀬真紀と向かい合っていた。

「で、昨日の続き」


「何でしたっけ」


「古代文明」


「ああ」


「なんで工学部の人間が、そこまで古代の道具に食いつくの?」


香織は味噌汁を一口すすった。

「面白いからです」


「雑だな」


「例えば青銅器だって、温度管理、鋳型の精度、冷却速度で品質が変わります。昔の人は数式を知らなくても、経験で最適条件を探していた」


箸を置く。


「つまり、今の工学とやっていることはそんなに変わらないんです」


真紀が唐揚げを口へ運ぶ手を止めた。

「昼飯で聞く話じゃなかった」


「聞いたのそっちじゃないですか」


「香織さぁ」


「はい」


「美人なんだから、たまには普通の女子大生っぽい話しなよ」


「普通?」


「恋愛とか」


「恋愛」


香織は少し考えた。

「実験データになりませんよね」


「するな、研究を」


「再現性もないですし」


「だから研究にするな!」


真紀が吹き出した。

「じゃあ好きな人は?」


「現在、被験者募集中です」


「募集するな!」


香織だけが、不思議そうに味噌汁をすすった。

「……何が駄目なんですか?」


「全部だよ」


* * *

午後。


一般教養科目の「歴史文化論」。


理系学生の間では、比較的単位を取りやすい授業として知られていた。

香織も一年の頃は、その評判につられて履修した一人だった。

それから一年半。

今では時間割に彼女の講義を見つけると、自然に選ぶようになっていた。


教壇に立つのは、和服姿の女性講師。

穏やかな物腰と静かな声。

それだけなのに、講義が始まると教室のざわめきが少しずつ消えていった。


香織はノートを開く。

講義内容を書き取りながら、その余白へ朝から気になっていた古代工具の図を描いた。


どうにも腑に落ちない。

講義が終わる。


学生たちが席を立ち始める中、香織はノートを抱えて教壇へ向かった。

「先生、少しいいですか?」


講師が顔を上げる。

「どうしました?」


香織は古代工具の復元図を開いた。

「これ、少し変なんです」


「変?」


「朝から気になっている工具があるんです。今の常識なら使いにくい。でも、復元が間違っているのか、使い方が違うのか分からなくて」


講師は図へ視線を落とした。

「では、どうします?」


「現物を見ます」


香織は即答した。

「図面だけじゃ分からないなら、実物を確かめます」


講師がわずかに微笑んだ。

「以前より、見るものが増えましたね」


「え?」


「昔なら、道具そのものを見ていた。今は、それを使った人まで見ようとしている」


講師はノートを香織へ返した。

「形には、そうなった理由があります」


香織は図を見る。

「材料かもしれない。使う人かもしれない。暮らしや用途かもしれない」


講師は静かに続けた。

「机の上だけでは分からないこともあります」


香織はしばらく黙っていた。

やがて、ゆっくり頷く。

「……やっぱり、現物を見たいです」


「なら、調べてみなさい」


「はい」


香織はノートを閉じた。

「ありがとうございました」


一礼して教室を出る。

廊下の窓から、秋の光が差し込んでいた。


香織は歩きながら、もう一度ノートを開く。

古代工具の図の横へ、一行だけ書き加えた。

『分からないなら、確かめる。』


少しだけ満足そうに頷く。

「……よし」


ノートを閉じ、次の講義へ向かった

2026/08/21

説明描写が多いため、表現を変更。

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