03.夜の砂漠へ
一頭のダクラに荷物を載せ、もう一頭にはシャーリーンとフィーネの二人が乗った。
式典が近いので、警備が厳しくなっている。だが、中へ入ろうとする者ならともかく、外へ出る者が警戒される様子はほとんどなかった。
月夜に紛れてうまく城を抜け出した二人は、砂漠へと向かう。
「姫様、まさか砂漠を横切るおつもりですか」
「ええ。最初からそのつもりよ。だって、街の中を歩いていたら、すぐに追い付かれるかも知れないじゃないの」
「そう……ですね」
のっけから、フィーネの目論見は外れてしまった。
だから、馬じゃなくてダクラに乗っていらしたのね……。
砂漠を渡る場合、ダクラを使うことが多い。足裏が柔らかく、砂にめりこみにくので馬に乗るより進みやすく、スタミナもあるからだ。
シャーリーンも、さすがにその程度のことは知っているからこその選択。
失礼ながら「そういう部分までは考えないだろう」と思っていたフィーネは、ひどく落胆した。
砂漠を通って行くのなら、途中で会った誰かに伝言を頼む、ということはまず無理だ。隊商とすれ違えればいいが、そう都合よくはいかないだろう。
「一体、どこへ向かうおつもりなんですか?」
「ダージェンよ」
「ええっ? でも……」
「まさか、城出した姫が見合い相手の国にいる、なんて誰も思わないでしょ? それにそこにいれば、王子がどうなったかっていう情報も入るじゃない」
勉強の嫌いなシャーリーンも、こういうことになると頭が回る。なぜそれを勉強で生かせないのか、フィーネは不思議でならない。
「でも、砂漠で五日もすごすのですか?」
「いやなら帰ってもいいのよ。止めないから」
カルシャとダージェンは、シィヴァの砂漠をはさんでちょうど真向かいに位置する。砂漠を横切って相手の国へ行く場合は、最短距離でおよそ五日かかるのだ。
砂漠を囲む他国を通って行くとなると、十日以上かかる。急ぎの使者などは砂漠を通るが、貴人などは他国を通って目的地まで向かうのだ。
ただ、他国を通るとなると、その国の王に挨拶をしなければならない。庶民はいちいちそんなことはしないが、位が高くなるとそういう礼節を無視できなかったりするのだ。
とは言うものの、通る側にそんなことをしている時間がなかったり、通す側が対応していられないこともある。
なので、必ず謁見しなければならない、ということはなく、最近では書状で済ます場合がほとんどになってきた。
だが、それすらも面倒だったり、たまにきとくな人が砂漠を渡ったりするのだ。
「ここからなら、戻れるでしょ」
「いえ、姫様をお一人になど、できません」
「フィーネも、やっかいな姫の所へ来てしまったわね」
当の厄介な姫は、お気楽にけらけら笑う。
シャーリーンの後ろで、フィーネはそっとため息をついた。
☆☆☆
今日は、そんなに進むつもりはなかった。
何と言っても暗いし、危険だ。慣れない夜の砂漠を歩いて、行くべき方向を間違ってしまっては馬鹿らしい。
とにかく、シャーリーンとしては城を抜け出し、砂漠へ入ってしまえればよかったのだ。
砂漠へ入って少し進んだ所に、オアシスがあった。城の池よりも小さなオアシスだが、こうして砂漠の中に水があるというのはほっとする。
水面に、空の月が浮かんでいた。式典の日は、ちょうど満月のはずだ。
「今夜は、ここで休みましょ。明日から、がんばって進めばいいわ」
二人はダクラから降り、もう一頭のダクラから荷物を下ろした。
「姫様、私がやります。あちらでお休みになっていてください」
「いいわよ、そんなに気を遣わなくても。あたしが始めた城出なんだから」
そうは言ったものの、テントの張り方なんてシャーリーンは知らない。砂漠で夜をすごすのも初めてなら、砂漠を渡るのも初めてなのだから。
「これが……何よ、これ? えーと、こっちのが……?」
どういう物が必要かは、本などで調べた。それを、城のあちこちからちょろまか……もとい、調達した。
そこまではよかったが、使い方がわからない。ただでさえわからないのに、ランタンの灯り程度では暗いので、何が何やら。
城からスムーズに出るため、夜に城出を決行したが、こんな場所へ夜に来るなんて命知らずもいいところだ。
「姫様、私がやりますわ」
自分がどの部品を取り出しているのか、シャーリーンはまるでわかっていないのだ。これなら、フィーネ一人でやった方がずっと早い。
侍女たるもの、一応のことは全てできるように教えられている。
夜にテントを張る、なんてことは初めてだが、シャーリーンがするよりはちゃんとできるはず。
この方、こんな状態なのに、よく一人で城を出ようなんて気になられたものだわ。テント一式を用意なさっただけ、奇跡かも。
姫が城出するのもとんでもないが、一人で砂漠へ入ろうと考え、それを実行する度胸がすごい。
この先どうなるのか。不安を抱えながらも荷物をほどき、フィーネはてきぱきと休める準備をしていく。
「あの……ねぇ、フィーネ。仕事中に悪いんだけど……」
シャーリーンが、フィーネの肩を遠慮がちにつついた。
「何ですか?」
「あれ……何?」
シャーリーンが指差す方を見て、フィーネは息が止まりそうになった。
砂漠の地平線に、妙な柱がある。もちろん、建物の柱などではなく……。
「砂嵐ですよっ」
いくら月明かりしかない暗がりでも、その砂嵐がこちらへ向かっているのはわかった。それも、かなり大きい。まるで、土の壁が迫って来ているかのようだ。
「あれが砂嵐?」
話には聞いたことがあっても、本物を見るのが初めてのシャーリーンは、その場でぼんやりと突っ立っていた。
フィーネは見たことがあるが、それもずっと昔の話。小さな子どもの頃だ。こんなに近くで起きた砂嵐に、どう対処していいのかなんてわからない。
「姫様、伏せてっ。もうここから逃げるのは無理ですから、伏せてくださいっ」
叫ぶフィーネに、シャーリーンは押し倒された。とにかく、姿勢を低くするくらいしかできない。
その頃には、すぐそばで風が唸っているのがはっきり聞こえてくる。砂が飛ばされ、身体に当たって痛い。強すぎる風で、目が開けられなかった。
出発の夜から、かなり前途多難だなぁ。
のんきに思っていたシャーリーンの身体が、ふわりと浮いた。え? と思った時には、風で宙を飛んでいる。
え、人間の身体って、風で浮くの?
悲鳴を上げようにも、声が出なかった。無理に身体を回転させられて、自分がどうなっているかわからない。
そのうちに目が回り、シャーリーンは意識をなくした。
☆☆☆
シャーリーンは、ゆっくり目を開けた。
砂嵐に巻き込まれたのは、起きてすぐの頭でもしっかり覚えている。まだ頭はふわふわしているが、身体は地面に着いているから砂嵐の中ではない、というのもわかった。
近くにぼんやりとした灯りがあるようだが、見えている空は暗い。月も見えているから、まだ夜だ。
ということは、さっきの砂嵐からそんなに時間は経っていないのだろう。
まさか、次の夜……ってことはないわね。砂漠の夜は寒いし、昼間は暑いんだから、さすがに目が覚めるだろうし。
「あーあ、ひどい目に遭ったわ。ねぇ、フィーネはだい……」
起き上がり、ふと顔を上げると……ターバンを巻いた見知らぬ男の顔が、すぐそばにあった。
「きゃあああっ」
「うわっ」
叫びながら、シャーリーンは後ずさる。叫ばれた方は、耳を押さえてやはり後ずさった。
「何て声を出すんだよ」
耳を押さえた男はかなり身体が大きく、どういう角度から見ても顔が恐い。
よく見れば、シャーリーンの周りにはこの男と同じような風体の男が、五、六人いる。
そんなに濃くはないが、全員が口の周りにひげを生やしていて、その恐さに拍車をかけていた。月明かりとランタンのぼんやりした灯りだけなので、なおさら。
そのひげのせいで判別はしにくいが、たぶん、二十代から三十代に思われた。
「だ、誰よ、あんた達」
男達の顔を見てシャーリーンの脳裏によぎったのは、砂漠にいる盗賊の話だった。





