02.決断
ダージェン? ああ、砂漠をはさんでちょうどカルシャの真向かいにある国だっけ。あそこ、王子がいたのか。
国際交流学を教えている先生が聞いたら泣きそうな、シャーリーンのいい加減な知識と記憶力。
少なくとも、国交のある国については習っているはずなのだが、ちゃんと覚えていないのだ。
ちなみに、カルシャは国の東側が砂漠に面していて、ダージェンはカルシャから見て東に位置する国である。
「お若い王子様らしいわ。二十一ですって」
「ねぇ、御結婚はしていらっしゃるの?」
「いえ、まだお独りですって」
「とても精悍なお顔立ちをなさっているらしいわ」
「りりしい方なのね。あたし、優しげな顔立ちをされている方より、そちらの方がタイプだわ」
どうしてあたしより、侍女の方がよく知ってるのかしらね。まぁ、あたしはあんまりそういうのに興味がないし。
シャーリーンは噂話を聞きながら、さっきお茶を淹れた時にくすねてきた焼き菓子を口に放り込んだ。
「その王子様がいらっしゃるの、楽しみねぇ。もしかしたら、もしかするじゃない」
「おそばまで行けないかしら」
「あら、狙おうとしても無駄よ」
「え、どうして?」
「内緒の話なんだけどね。ここだけの話にしておいてよ」
女が二、三人寄れば「ここだけの話」なんて、まず守られることはない。一時間後には、城中のほとんどの者が知っていることになるだろう。
シャーリーンもちょっと気になって、聞き耳をたてた。
「実はね、その王子様にシャーリーン様を、と王様はお考えらしいのよ」
何ですってぇ?
シャーリーンはいきなり自分の名前が出され、なおかつ見合いをさせられると聞いて、焼き菓子をのどに詰まらせかけた。
「ああ、そういうこと」
「そろそろ、姫さまもそういうお年頃だものねぇ」
「だけど、なぜダージェンの王子様となの? 他にも、適齢の王子様はいらっしゃるのに」
「ほら、ダージェンはカルシャより裕福なお国でしょ? 姉姫のシャスミー様が嫁がれたハビナよりも、ね。王様としては、少しでも豊かな国へ姫様に嫁いでもらって、後々にダージェンから恩恵を受けようとお考えなのよ」
「そっかぁ。王様はいつも、カルシャをもっと豊かにしたいとおっしゃっているものねぇ」
「交易が盛んになれば、色々と潤いそうだし」
「で、姫さまはこのことをご存じなの?」
「いいえ。ほら、姫さまはこのテのことについては、あまりお気になさらない性格でしょ。さりげなく話をそちらへもっていこう、とお考えらしいわ。式典の後でね。王子様の方は、承知されているみたいだけど」
「そうなの? それじゃあ、シャーリーン様も、とうとうお輿入れされる日が来るのね」
当のシャーリーンはあまりの話に呆然としてしまい、小鳥が残りの焼き菓子をつついていることに気付きもしなかった。
ちょっと待ちなさいよ。じゃ、その話を知らないのは、当事者のあたしだけってことなの? そういうことは、最初に伝えるべきじゃないの? 相手は承知している? 冗談じゃないわ、勝手に決めないでよ。あたしにだって、あたしの意思ってものが……。
だが、こういう風に話が進められているのなら、政略結婚に近い形になるだろう。いや、もうこれは政略結婚だ。
シャーリーンが「見合いなんてしたくない」と言えば「国のために」などと言われ、文句の言いにくい理由を出してくるのだろう。
さっき、侍女が言ったように「交易がどうの」とか何とか。
何よ、シャスミー姉様の時は、たまたまお忍びでカルシャへ旅行に来てらしたお義兄様と出会って、そのまま幸せに結ばれたのよ。なのに、あたしの時だけ政略結婚なんて、ひどすぎるっ。
そうよ、あたしだけが言いなりになって、がまんさせられるいわれはないわ。末っ子だからって、人生を勝手に決めていいなんてことないんだから!
☆☆☆
シャーリーンは部屋へ戻り、荷物を作り出した。家出、もとい、城出の用意だ。
数日分の食料と、水。いくらかの宝石と、金貨。エトセトラ……。
おとなしくダージェンの王子と見合いをするつもりなんて、シャーリーンにはなかった。
一生結婚しない……つもりではない。だが、いくら何でもこういうサプライズ状態でさせられるなんて、何が何でもいやだ。自分にだって、恋をする権利はある。
会ったこともない男と、ただ相手が金持ちだから結婚する、なんてことは絶対にしたくない。
さすがに、明るいうちに出ようとすると見付かってしまう。決行は夜だ。
何でもない顔で夕食をとり、部屋へ戻るとまとめていた荷物を引っ張り出した。
「姫様? 何をなさってるんです」
シャーリーンが部屋でばたばたしていることに気付いたフィーネが、中へ入って来ていぶかしそうな顔をする。
「ここを出るの」
「は?」
フィーネはにぶい子ではないのだが、シャーリーンのこの言葉だけではさすがに状況を理解するのは難しかった。
「あの、ここをって……」
「フィーネだって、知ってるんでしょ。あたしがダージェンの王子と結婚させられるって」
「え……あの、それは」
口ごもるところを見ると、フィーネも知っているのだ。やはり侍女はみんな、知っている。
聞いていないのは、本人のみ。
「あたしはね、見たことも会ったこともない男と一緒になるなんて、絶対にいやだからね。どうせお父様に文句を言ったところで、理由をつけられて無理にさせられるのがオチよ。それなら、その前にここから出るの」
式典の日まで、もう時間がない。今、問題を起こせば、普段以上に大騒ぎになるだろう。
しかし、シャーリーンにすれば「そんなのは、知ったこっちゃない」話だ。自分の見合いの日まで、すでに一週間を切っているのだから。
両親は、いつ娘に告げるつもりなのだろう。
「ここを出るって、もしかしてお城からってことですか? 姫様、何もそこまでなさらなくても」
「相手は承知してるって言うじゃない。その王子ってカルシャのこと、お父様が国を豊かにしたいと思っているのを知っていて、ちょうどいいから金で女をつって結婚しよう、なんて思ってるのよ。そういうのってきっと、すっごい傲慢な奴か、二目と見られないような醜い男に決まってるわ」
かなり偏見に満ちた意見である。
「そして、さんざんもてあそんだ挙げ句、あたしは放っておかれるのよ。所詮、金でつられた女の末路なんて、哀れなものだもの。カルシャへ帰ることもできず、ダージェンの城でひとり、孤独にさいなまれながら人生を過ごすのよ」
「……姫様、おかしな本の読みすぎじゃありません?」
フィーネが眉根を寄せる。
「とにかく。あたしはここを出るの。無理に結婚させないっていうのがわかったら、戻って来るわ」
どうやったら、それがわかるのですか。
フィーネは聞いてみたかったが、興奮状態のシャーリーンにそんなことを聞いても無駄、とわかっているので、口にはしない。
何はともあれ、一国の姫が「城を出て行く」と言っているのだ。それを黙って見過ごす訳にはいかなかった。
フィーネが何か言ったところで、姫が聞き入れてくれるとは思えない。姫を止めてもらうために誰かを呼びに行けば、きっとその間に部屋から抜け出してしまうだろう。
この姫なら、そうする。一度決めると、なかなか頑固な性格でもあるのだから。
「姫様、私もお供します」
助けを呼びに行く時間はない。だったら、自分が一緒にいて、その行動を把握するしかないだろう。
「フィーネまで無理に来なくていいわよ。これはあたしの問題なんだし」
「でも、笑ってお見送りもできませんわ」
一緒にいれば、行く先で人を使って姫の居場所を伝えることもできる。そうなれば、近衛兵なりがやって来て姫を連れ戻してくれるだろう。
それに、一度でも外へ出れば、たとえ連れ戻されてもその時には姫も今よりずっと落ち着くかも知れない。
「そりゃ、フィーネの立場からすればそうでしょうけどね。……一人よりもありがたいわ」
フィーネの心中も知らず、シャーリーンはのんきにうなずいた。
「ちょうどよかった。髪が広がるから、三つ編みにしてくれる?」





