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月の砂漠で飛ばされて  作者: 碧衣 奈美


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12/16

12.逃げても

 シャーリーンが何を思っているかも知らず、バグラームは口説き文句もどきを口にする。

「姫の髪は、まるで漆黒の闇のような美しさですな。広がるその波打った黒髪は、わしを夜の世界へと誘い込むかのようだ」

 いや、もう夜だし。何なら、真夜中でしょ。それで、夜の世界へ誘い込まれるって何? 漆黒の闇が美しいって、真っ暗で何も見えないじゃない。絶対、褒め言葉みたいなもの、言い慣れてないでしょ。だったら、下手な口説き文句、口にしないでほしいわね。だいたいアブラ症の男に、そんなこと言われても嬉しくない。盗賊がしゃれた言葉を使おうとするんじゃないわよ。

 ここへ連れて来られるまで髪をとかしていたので、シャーリーンの髪はふんわりと広がっている。

 束ねたままなら子どものように見られて、こんな風な状態にはならなかったかも知れない。今更、三つ編みにすることもできないが。

 ラジェートにもらったくしは、いつの間にか落としてしまっていた。きっと、ここへ連れて来られる間に落ちてしまったのだろう。

「髪だけしかほめる所がありませんものね、あたしには。何かの本で読みました。ほめる所のない女は、指か髪をほめろ、と。きっと次にあなたが口にするのは、あたしの指のことでしょうね」

 いやみったらしく言ってやる。

「いやいや。髪や指だけなど、とんでもない。姫にはほめる所がありすぎて、全てを口にすれば夜が明けてしまう」

 だてに年はとってない。シャーリーンのいやみも、バグラームは簡単にかわしてしまった。

「例えば、どこがほめられますの?」

 とにかく、何かしゃべらせておけば、その間は手を出されることはないだろう。

 バグラームが話をしている時に、逃げ道を探して。

 シャーリーンはそう企んだ。

「そうですな。その瞳。髪とはまた別の美しさだ。何もかも見透かす光。黒曜石のようなきらめきを放っている」

 黒曜石も黒いから、見透かすって表現はどうなのよ。

 ほめようとするのはいいが「ん?」と思うような表現が混じっている。相手がこんな男では、適切な表現をされてもその言葉の魅力が半減してしまいそうだ。

 また鳥肌が立ってくる。

「瞳や髪を引き立たせる、白い肌。若さにあふれ、張りと艶がある……」

 言いながら、バグラームはシャーリーンの方へにじり寄って来た。

 シャーリーンはぞくっとして後ずさるが、狭いテントの中では動ける範囲が限られている。

 これでは、計画していたよりもバグラームが手を出そうとしてくるのが早い。シャーリーンの予定では、もう少しでもしゃべらせておいて、何か相手の気を別方向に向かせるものを探すはずだったのに。

 これでは、もう探すひまはない。

 バグラームに、腕を掴まれた。ごつごつの、岩のような手。

 テントに連れ込まれた直後に、こうなっていてもおかしくはなかった。少し時間がかかっただけで、どうせバグラームは最初からこうするつもりだったのだ。

 手を出されないみたい、と思わせておいて豹変し、相手を絶望させる計画だったのかも知れない。

「何ですか、この手は。離しなさい。あたしは姫です。あなたのような者に、触れられたくはありません」

 こうなったら、毅然とした態度で行けるところまで行くしかない。あまり威厳がないのはわかっているが。

「そう、あなたは姫だ。だが、それは城の中でのこと。今のお前は、守ってくれる兵の一人すらもいない、か弱いただの女。ここでは、わしが王だ」

 とうとう、本性が出て来た。

 バグラームの顔が、どんどんシャーリーンに近付いてくる。声も低くなり、言葉遣いも変わって「あなた」から「お前」になっている。今にもそのど汚い舌で、顔をなめられそうだ。

「もう、わしからは逃げられん。ここを出ても、国へ入るまでに砂漠で干からびるだろうよ。姫の体力で、この砂漠を出るなど不可能。わしのそばにいれば、かわいがってやるぞ」

「お前にかわいがってほしくはないっ」

 掴まれていない方の手で、シャーリーンはバグラームの横っ面をひっぱたいた。

 強く叩いたつもりだったが、ひげのせいか、あまりいい音は出ない。それに、バグラームにはそれほどの衝撃はなかったようだ。

 こんな男でも修羅場を何度も経験して、殴られることにも慣れているのだ。

「ほっほっ、全くかわいい姫だ。それで気が済んだか? ん?」

 怒らせるどころか、ますます楽しがらせているみたいだ。シャーリーンの必死の抵抗も、この男にすればじゃれているだけにすぎない。

「うっ……この……」

 一つでも武器があれば。たとえシャーリーンに扱い切れなくても、素手でこんな大男と対峙するよりはずっといいはず。

「もう終わりか? もっとわしを楽しませてはくれんか」

 こンのスケベ親父がぁ……。

 近付いて来るバグラームの顔を、とにかく渾身の力を込めて殴ろうとシャーリーンが構えた。

「な、何だ、お前らは」

「うわぁっ」

 外から、そんな声が聞こえた。刃が交わる音もしている。どうやら、侵入者が現れたらしい。

「んん? 何だ、一体」

 バグラームが、テントの入口の方を向いた。シャーリーンも何事だろうとは思ったが、相手がこちらから目を離した今がチャンスだ。

 体重をかけるようにして、バグラームの横っ面を殴った。今度は平手ではなく、拳だったので、さすがにバグラームもさっきよりは衝撃を受けたようだ。

 でも、利き手の右ではないので、完全にうまくはいかない。それに、所詮は女の力だ。殴ったシャーリーンの方が、余程痛い。

 だが、シャーリーンだって命がけだ。殴ったすぐ後に、蹴りを入れる。

「うおっ」

 さすがにバグラームも、急所を蹴られてうずくまった。シャーリーンから手が離れる。

 バグラームの手から抜け出すと、シャーリーンはテントの中を照らしているランタンを取った。

 まだうめいているバグラームの頭に、そのランタンを叩き付ける。油が衣にこぼれ、火が移った。

「うわぁ、あちゃっあちゃっ」

 驚いたバグラームは衣を脱ぎ捨て、自分を焼こうとしている火を慌てて消そうとする。

 シャーリーンはその間に、テントを走り出た。

☆☆☆

「わ……何かすごいことになってる」

 バグラームのそばから離れられたものの、手下の男達のテント周辺では、戦いが繰り広げられていた。

 暗くてどちらがバグラーム一団で、どちらが侵入者かわからない。ここはさっさと通り過ぎるに限る。巻き込まれたら、一番にケガをしかねない。

 どうしよう。侵入者がバグラームよりも悪党だったら、また今と同じことになるだろうし。だけど、このまま逃げようにも、方向がわからない。ラジェート達のテントの方が、カルシャへ向かうよりも近いとは思うけど、どっちへ行けば……。迷ったら、今度こそ行き倒れてしまうかも。そうだ、フィーネは。

「フィーネ、どこにいるのっ」

 シャーリーンは急いで、フィーネの姿を捜し始めた。

 あの男達のテントの方にいるのだろうか。いくつかあるテントのどれかに。

 もしそうなら、今は戦いの真っ最中で、危なくてとてもそちらへ行けたものではない。フィーネがテントの中にいたとしても、出るに出られないのだろう。

 でも、ぐずぐずしていたら、二人してまたどちらかの盗賊の囚われの身になってしまう。

「こ……のアマが……」

 シャーリーンがあちこち歩き回っているうちに、バグラームがテントから出て来た。身体のあちこちが焦げているが、残念ながら大したダメージはなかったようだ。

「もう遠慮はせん。無茶苦茶にしてやるから、そう思えっ」

 さすがに、頭にきたようだ。手下達が侵入者と戦っているのに、そういった状況が見えていないらしい。

 こういう時は、首領として手下に指示するものではないのか。自分のことしか考えていないのなら、バグラームは三流だ。

 なんてことを考えても、現実にバグラームは手を広げ、シャーリーンを捕まえようと近寄って来る。片方の手には、さっきの短剣ではない剣が握られていた。

 テントのどこかに隠していたようだ。それとも、シャーリーンが気付かなかっただけか。

 何にしても、危険は去っていないのだ。

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