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...私が、巡礼の旅を苦難だと思わなかったのは、故郷である北の大地に住む領民達の為だった。
例え偽物でも、聖女として巡礼を完遂させる事が出来た時、領民が今より少しだけでも豊かな生活を送る事が出来る様にと、聖女へ支払わる謝礼は私の望む様に動かす事を約束して下さる、とオリバー王太子殿下は仰った。
全てが明らかにされて、私も、お父様達の首が飛ぶ事になっても構わないと思いながら10年、ずっと歩いてきた。
私がいる療養院に両親と姉が姿を見せている。
ほんの10年で、私の家族は随分と老け込んだ様に見えた。
『―――あの者達を、この娘に近付ける事は許しません』
私の傍らに、美しい碧色の髪を靡かせた女性が立って、そう言った。
古い文献で、見た事がある。
彼女は水の精霊で、本来とても穏やかな精霊なのだが、そんな彼女が私の為にそう言ってくれた。
私の周りには他にも、巨大な山椒魚に似た姿で、熱い焔を纏った火の精霊、流れる金髪に美しい虹色の翅を持った風の精霊、小さな身体で自分よりも大きなツルハシを抱えた大地の精霊がいた。
『偽物の聖女でいいの?』
初めて彼等の姿を見た時、私は思わずそう呟いた。
『私達は、貴女が良いのです。
歴代の、聖女の名を持つ者達の中で唯一、貴女だけが私達を蘇らせる事が出来たのですから』
形骸化した聖女の祈りは決して、精霊には届かず精霊を蘇らせるに至らなかった。
けれど、真摯に土地で生きる者達と向き合うルカの声は精霊達に届き、精霊を蘇らせた。
精霊達は私を10年、ずっと守ってきた。
額には、精霊の王である証がハッキリと浮かんでいた。
『此処に、2000年の贖罪は果たされました』
彼等が言うには、私の前世である彼等の王はこの国の、当時の国王に輿入れした。
だけど、精霊と人間の間に子供を持つ事は出来ない。
それが分かっていて王を妻として迎えたにも関わらず、王を蔑ろにし、最期には謂れの無い罪で毒杯を賜らせた。
王を喪った精霊は世界から姿を消した。
精霊のいない大地は腐り果てて死んでしまう、と神託を受けた当時の王家は2000年の永きに亘り、神に選ばれた聖女を代理として立てて贖罪を続けた。
その贖罪が、やっと精霊に届いた、と言う訳だ。
私は、生きながらにして死んでいる。
だからこそ、この10年で人間としての私は機能を停止し、精霊の肉体へと生まれ変わった。
精霊の王の権限を以て、大地に祝福を与える、ただそれだけの為に姿を世界に現しているに過ぎない。
王太子殿下は憐れむ様に私を見ている。
今、世界で唯一、「ルカ」と、私の名を呼んでくれるからこそ、私は辛うじて人の姿で故郷に足を踏み入れる事が出来ているのだ。
「―――聖女の名前?」
王太子殿下の問いかけに、両親も、姉も口篭る。
私が、ほんの僅かな間、再び人間として生きる為には両親が正しい名前で私を呼ぶ必要がある。
両親も姉も、私が精霊へと変生している事を知らない。王家が、私が先代から指名された聖女ではないと把握している事を知らない。
ここで私の名前を出せば首が飛ぶ事を恐れている。
ロックハート伯爵家に、10年もの間、嫁入りした筈の次女が指名された聖女である事を詳らかにされる事を恐れている。
「―――ナタリア、に、ございます」
思い返して見れば、私は両親からも、姉からも、名前で呼ばれた事は無かった。
「あれ」
「次女」
「スペア」
...他にもいろいろと呼ばれてはいたけれど、「ルカ」、と呼ばれる事は一度たりとも無かった。
私の婚約者として婚約を打診したロックハート伯爵家嫡男、リィンハルト様も私を
「聖女の妹」
と呼ぶ事はあれど、名前で私を呼ぶ事は終ぞ無かった。
『行きましょう、我等が主。我等が王。人の世を離れ、その行く末を見守りましょう』
私は、精霊達の手を取って世界に溶け込んだ。
私が新たな精霊の王となり、精霊が蘇った事で国は恒久的な繁栄を手に入れる事となる。
次代の聖女はもう生まれない。
私が世界に溶け込んで数年で、両親と姉は伯爵家からの縁が切れた結果、家財の殆どをそのままに、逃げる様に夜の闇に消えたと風に乗って聞こえてきた。
嗚呼、せめて。
名前を呼んでくれるだけで良かったのに




