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ナタリアもルカもまだ幼く、己れの運命をも知らずに過ごしていた頃の事。
先代の聖女カトリーナがベクマンベトフ男爵家の屋敷の離れに訪れた事があった。
屋敷の離れの主はイェルカ・フローレンス=ベクマンベトフ。
夫ゾーハルと共に長年この大地を蝕んでいた風土病の原因を解明した功績を以て平民の医学者から貴族の末席に名を連ねる事となった女傑である。
イェルカとゾーハルの築き上げたベクマンベトフの財は、爵位を継いだ嫡男マクシミリアンとその妻、ルーチェの虚勢の為に、孫のティムールが産まれた頃には底が見えていた。
生まれながらの貴族令嬢であったルーチェは湯水の如くに財をすり減らし、長年の無理が祟って孫の顔を見る前に儚くなったゾーハルの葬儀費用の工面にイェルカが頭を悩ませている横で、喪が明けた後に出席する予定の夜会の衣装や宝飾品の吟味をしていた。
ティムール以外の孫は、ほんの一世代で落ちぶれたベクマンベトフ家を立て直す為の策を練っていたが、マクシミリアンから爵位を継いだティムールは
「我が家には聖女が生まれる。何も心配はいらない」
と楽観視していた。
聖女カトリーナの予言の通りの子供が生まれると、早速巡礼が終わった後に王家から与えられる事となる報酬を当てにして、
「これも巡礼が終わるまでの間だ」
とロクな領地経営をしていない。
何処で育て方を間違えたのか、とイェルカはいつも洩らしていた。
カトリーナとイェルカの間を挟んだテーブルには、ケーキがふたつ。
ひとつは、ナタリアが用意した季節の果物をふんだんに使用したケーキ。
もうひとつは、ルカの用意した、小麦粉と水、それから甘草と塩化アンモニウムを練り込んだパンケーキ。
イェルカの手にあるのは、ルカの用意したパンケーキである。
「領民が日々の食卓に並べるパンひとつを手に入れるのに頭を悩ませていると言うのに、見栄の為に工面した金で手に入れたケーキを食べる気なんて、私にはないわ」
「そうね。私も、そのパンケーキをご相伴してもいいかしら?」
聖女の口にこんなものを入れたと知れたら怒られないかしら、とイェルカは静かに微笑んだ。
聖女になる前は野草を齧ったり泥水を啜った事もあるわよ、とカトリーナは笑った。
―――イェルカは、聖女が巡礼を終えても民衆が恒久的に安寧を得られる手段は無いかと10にも満たない内から考えていた。
聖女の巡礼は、「水が欲しい」と望む者に雨を齎す様なものだ。
一時的な解決手段では無く、恒久的な解決手段となるもの。水を必要としているならば、水脈を探り当てて井戸を掘り、誰もが容易に井戸の管理を行う事が出来る様な方法は無いのだろうか。
表立って口にすれば、「聖女信仰に対する冒涜である」と糾弾される事となる。
60年周期で訪れる10年の不自由を許容する事の方が、イェルカにとっては不思議でならないのだ。
カトリーナの指名した予言の聖女はナタリアであろうが、ナタリアは両親の、面倒事を後回しにする性質を引き継いでいる。
私欲を捨てて、10年の巡礼に耐えられる性格ではない。
「ナタリアが、役目を放棄したら。代わりに聖女を担うのは、ルカじゃないかしら」
「まさか、聖女に指名される事は名誉な事。役目を放棄するだなんて、有り得ないわ」
もしもの話よ、とイェルカは言った。
―――そんな、何でもない日だった筈のあの日の話を、カトリーナは死の間際に思い出した。
聖女ナタリアが巡礼の旅に出て3年、巡礼の地を巡るナタリアが妹のルカである、と王太子殿下からの報告があった。
ルカの婚約者であるロックハート伯爵からは、
「10年も人生を無駄にはしたくないの」
とナタリアが何でもない事の様に口にしたと報告を受けた。
(イェルカ、貴女の懸念は最悪のかたちで当たってしまったみたい...)
カトリーナは自身の認識の甘さを悔やみながら帰天したのだった。




