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海賊たちの包囲を道術の霧で切り抜けた華翊商会の本船が、ついに高麗の喉元、壁欄渡の石造りの桟橋へと横付けされました。
待ち構えていたのは、抜き身の槍を揃えた高麗の兵士たちと、冷徹な眼差しで船を睨みつける港守の武官でした。
碧海の門、義に震える。
お嬢の独り言
「……いよいよ、正念場ね。
高麗の港守は、宋の商人が持ち込む色香や金銭には見向きもしない、鋼のような規律の男だと聞き及んでいるわ。
お父さん、あんたならどう動く?
刀を抜けば、この航路は血に染まり、二度と開かれることはない。
趙長官から預かった公文書(手形)を突きつければ、相手の自尊心を傷つけ、形だけの拒絶を招くだけ。
燕青という男が、その真っ黒に焼けた体一つで、どうやって異国の硬い門を抉じ開けるのか……。
私の筆が、緊張で少し震えているわ」
おじさんは、船首からひらりと桟橋に飛び降りました。武器は持たず、両手を広げて「敵意がない」ことを示しながら、一歩、また一歩と、港守の鼻先まで歩み寄ります。
「……港守どの。俺は宋の燕青。
この船に乗っているのは、欲に駆られた商人の荷じゃねえ。
貴国の王宮へ、そして民へと届けるべき『祈り』と『志』だ」
おじさんは、懐から一通の書状を取り出しました。それは趙長官の公文書ではなく、公孫勝様が道術で封じ、愛蘭さんが高麗の古き礼節に則って記した、無準師範の渡海を告げる「親書」でした。
お嬢の独り言
「……おじさん、流石だわ。
権力で圧すのではなく、相手が守るべき『礼』と『信』に訴えかけたのね。
船上から、無準師範が静かに姿を現すと、桟橋に漂っていた殺気が、春の雪解けのようにふっと消えたのが分かったわ。
高麗の兵士たちが、師範の纏う清浄な気配に、思わず槍の先を下げた。
港守の男も、おじさんの射抜くような、けれど一点の曇りもない瞳を見て、悟ったはずよ。
『この男が運んできたのは、金銀財宝ではない。
国境を越えて、人と人を真に繋ぐための「義」なのだ』と」
おじさんは、港守の肩をガシッと掴み、耳元で低く、けれど力強く囁きました。
「……俺たちは、この海を汚しに来たんじゃねえ。
あんたたちが守り抜いてきたこの港を、新しい『希望』の入り口に変えに来たんだ。
門を開けな。その先には、あんたたちの孫の代まで誇れる『絆』が待っているぜ」
港守の男は、しばらくの間おじさんを凝視していましたが、やがて短く、重みのある号令を下しました。
「……門を開け。華翊商会の船を、国賓として迎え入れよ!」
お嬢の独り言
「……やったわ。
おじさんの『義』が、高麗の冷たい石門を溶かした。
さあ、燕青の娘として、私はこの歴史的な瞬間を、最高の金泥で書き留めるわよ。
私たちの航海は、ここから本当の意味で『伝説』になるんだから!」




