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高麗の玄関口、壁欄渡を目前にして、海の色がどす黒く変わった。
おじさんの乗る華翊商会の本船を、獲物を狙う野犬の群れのように、数多の小舟が取り囲む。
碧海の洗礼。
お嬢の独り言
「……おじさん、試されているわね。
高麗の海賊たちは、宋の役人の許可証なんて紙切れ一枚、鼻も引っ掛けない。
彼らが欲しがっているのは、船底に眠るお宝、極上の青磁と、そして『燕青』という男が、この海を渡るに相応しい器かどうかという証拠よ。
囲まれた小舟からは、獣のような咆哮が上がり、錆びた鉤爪が船べりにかけられようとしている。
でも、おじさんの顔を見ればわかるわ。
その真っ黒に焼けた顔で、不敵に笑いながら、腰の短棒を軽く叩いているはず。
『面白い、高麗の挨拶は随分と威勢がいいじゃねえか』ってね」
おじさんが動くより早く、甲板に静かに佇んでいた公孫勝様のお弟子さんたちが、数珠を握り直した。
お嬢の独り言
「……公孫勝様の道術。
弟子たちが呪文を唱え、印を結ぶと、凪いでいた海面に奇妙な渦が巻き起こったわ。
小舟を翻弄し、海賊たちの視界を白い霧で覆い尽くす。
彼らは戦わずして、海賊たちに『天の守護』を見せつけたのね。
霧の中から、おじさんの野太い声が響き渡る。
『俺は宋の燕青だ! この船に乗っているのは、お前たちの国の宝、そして尊き師範だ! 命が惜しくなければ、その薄汚い手を引け!』
力と技、そして天の加護。
これこそが、私が書類に認めた『安全』の正体よ」
霧が晴れたとき、海賊たちはその圧倒的な気圧に圧され、道を空けるように左右に分かれた。
その先に、高麗の堅牢な門が見えてくる。
お嬢の独り言
「……さあ、おじさん。
海賊たちを黙らせたその足で、堂々と壁欄渡の門を叩いてやりなさい。
阮家の三兄妹がここで泥を掴んで戦っているように、あんたは波を裂いて進む。
私の筆は、今この瞬間のあんたの勇姿を、一文字も漏らさず歴史に刻んでいるわよ。
高麗の連中に、燕青の、そして華翊商会の名前をその魂に焼き付けてやるのよ!」
私は臨安の筆房で、遠く海を越えて届く「勝ち鬨」の気配を感じ、震える手で新しい紙を広げました。




