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季節は、何度も巡った。
名もない村で、夜を越え、
知らぬ町で、朝を迎える。
その繰り返しだった。
追われる理由は、もう言葉にしない。
ただ、止まれば終わる。
それだけを知っていた。
少女は、いつの間にか——
少女ではなくなっていた。
背丈が伸び、
声が変わり、
歩く速さが、隣に並ぶようになった。
燕青は、何も言わない。
守ることは、変わらない。
ただ——
ある日。
寒い夜だった。
火は、小さかった。
風が、隙間から入り込む。
そのとき、
彼女の手が、わずかに触れた。
避けなかった。
それだけだった。
言葉はなかった。
約束もなかった。
ただ——
次の日も、
その次の日も、
二人は、同じように並んでいた。
離れる理由が、どこにもなかった。
それだけだった。
やがて——
新しい命が、生まれる。
泣き声は、小さかった。
だが、その音だけが、
この長い時間の中で、
初めて“終わりではないもの”だった。
「……蓮華」
彼女が、名をつけた。
燕青は、頷くだけだった。
その日もまた、
彼は外へ出る。
探すために。
もう一人の——
まだ見つからない命のために。
雨の夜は、長かった。
屋根は、ところどころ抜けている。
滴る水を避けるように、
三人は隅に寄る。
「……今日は、ここまでだな」
燕青は、濡れた薪を見て、火を諦めた。
「いいよ」
華流は、そう言って笑う。
本当に、困っていない顔だった。
「蓮華、こっちおいで」
小さな体が、すぐに寄ってくる。
布を一枚、多くかける。
それだけで、少し暖かい。
「……ねえ」
彼女が、ぽつりと言う。
「明日は、晴れるかな」
外は、まだ雨だ。
だが燕青は、少しだけ空を見てから答える。
「晴れる」
根拠はない。
それでも、そう言う。
「じゃあ、川に行こう」
「魚、いるかな」
「いない」
「いるよ」
「いない」
小さなやり取りが、続く。
やがて、笑い声が混じる。
その声は、外の雨音よりも、確かだった。
「……ねえ」
「うん?」
「こういうのも、悪くないね」
燕青は、少しだけ間を置く。
「……ああ」
短い返事。
それで、十分だった。
雨は、まだ続く。
だがその夜は、
少しだけ、静かだった。
朝は、いつも同じ音で始まる。
木戸の外を通る荷車の軋み。
遠くで鳴く鶏。
まだ冷たい空気。
燕青は、先に目を覚ます。
火を起こし、水を温める。
音を立てないのは、癖だった。
「……もう起きてるのね」
振り向くと、
盧華流が立っている。
髪はまだ整っていない。
だが、その顔は穏やかだった。
「寒いから、戻っていろ」
「もう寒くないよ」
そう言って、火のそばに座る。
しばらく、言葉はない。
湯が沸く音だけが、小さく響く。
やがて、奥から足音。
「おはよう」
蓮華が、眠そうな目で現れる。
「遅い」
燕青が言う。
「早いよ」
蓮華が返す。
すぐに、盧華流が笑う。
「どっちも、いつも通りだね」
その一言で、朝が整う。
湯気の立つ碗が、三つ並ぶ。
特別なものはない。
だが、同じものを、同じ場所で食べる。
それだけで、十分だった。
昼は、川へ出る。
石を投げて、水面を跳ねさせる。
「見てて」
蓮華が、得意げに腕を振る。
三回、跳ねた。
「……二回だな」
「三回だもん」
「二回だ」
「三回!」
そのやり取りに、盧華流がまた笑う。
「じゃあ、次はお父さんの番」
「やらない」
即答だった。
「逃げた」
「逃げてない」
結局、やらされる。
一回。
「一回だね」
今度は、二人で笑う。
夕方、帰る道。
長い影が、三つ並ぶ。
言葉は少ない。
だが、誰も離れない。
それでいい。
夜は、火を囲む。
風が、少し強い。
盧華流は、手元の布を整えながら言う。
「今日は、いい日だったね」
燕青は、少し考えてから頷く。
「ああ」
それだけだった。
蓮華は、もう眠っている。
その寝息を聞きながら、
二人は、しばらく黙っている。
何も起きない夜。
それが、何よりも貴重だった。




