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趙長官からの要望は、実利と名誉の両面で極めて重いものでした。高麗人参(高麗人蔘)は言わずとしれた一級の薬材であり、高麗紙はその白さと強靭さから、朝廷の重要な公文書や書画に珍重される逸品。これらを「帰り荷」に据えるという一手は、商会の格を一気に引き上げることになります。
秘色の準備と「言葉」の重み
お嬢の独り言
「……高麗人参に、高麗紙。趙長官、相変わらずお目が高いわね。
でも、これをただの『買い物』で終わらせるつもりはないわ。
高麗の最高級品を、南宋の喉首を守る『華翊商会』が正規に引き受ける。その事実が、邸報を通じて臨安の街に知れ渡れば、私たちの地歩はさらに固まるのだから」
私は早速、愛蘭さんに筆を執ってもらいました。
彼女が書き上げる高麗への正式書面は、格調高い表現の中に、先方の自尊心をくすぐるような絶妙な「呼吸」が宿っています。私が代筆屋として培ってきた知識と、彼女の持つ生きた高麗の感性が混ざり合い、これ以上ない一級の外交文書が仕上がりました。
お嬢の独り言
「……愛蘭さんがいてくれて、本当に助かったわ。
言葉一つ、礼儀一つで、商売の成否が決まる世界。
彼女の書く文字は、まるで竜泉窯の青磁のように、静かでいて凛とした強さがあるわね」
しかし、実務の壁は想像以上に高く、険しいものでした。
初めての正規取引。青磁の検品は、一点の曇りも許されない緻密な作業です。梱包の仕方に至るまで、壁欄渡までの荒波に耐えうる「特別仕様」を考案しなければなりませんでした。
さらに、私を最も悩ませたのは「人」の選定です。
お嬢の独り言
「……ただの船乗りじゃダメなのよ。
腕っぷしが強いのはもちろん、口が堅く、万が一の時にも商会の誇りを捨てない者。
燕青おじさんの弟子たちが一人ずつ身元を洗い、過去の素行から家族構成まで、徹底的に調べ上げさせてもらったわ」
書類の作成と、運搬者の選定。
不慣れな事務作業に、書房の灯火が消えるのはいつも深夜過ぎ。
おじさんが戻ってきて少しは肩の荷が下りるかと思いきや、正規取引という「表の顔」を整える責任の重さは、私を休ませてはくれません。
「……おじさん。
あんたが海の上で戦っていたのとは、また別の戦いがここにはあるのよ。
一文字の書き損じも、一人の不逞の輩も、この『華翊商会』という船を沈めかねないのだから」
私は、愛蘭さんが整えてくれた高麗への親書に、最後の一印を慎重に捺しました。
墨の香りと、新しい青磁の冷ややかな感触。
それらが一つに重なり、いよいよ未知の航路が現実のものとして動き出そうとしています。




