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「彼女の名は、愛蘭……。芸事の修行を積んだ身でありながら、海を渡り、今は異郷の地で静かに機を織っている。そんな多才な女性を、よくぞ見つけてきてくれたわね」
花陽ちゃんと李美林様が連れてきたその女性は、伏せた睫毛の奥に、波瀾万丈な半生を物語るような、理知的で深い光を宿していました。
彩り豊かな「声」
お嬢の独り言
「……彼女が差し出したのは、自ら織り上げたという高麗の布地。
その繊細な文様と、指先に吸い付くような滑らかな手触り。
ただ言葉を置き換えるだけの通訳官にはない、その土地の『暮らし』を愛する者だけが持つ、確かな重みを感じるわ。
愛蘭さんは、かつて芸を磨く中で、貴族たちの好む洗練された美意識を学び、同時に、交易に携わる者たちと接するうちに、実務的な世渡りの術も身につけたのでしょう。
彼女がいれば、私たちが運ぶ竜泉窯の青磁も、ただの荷物ではなく、高麗の生活を彩る『至高の宝』として、あちらの社交界に受け入れられるはず」
私は、愛蘭さんが持参した布地を、美林様と一緒に窓辺の光にかざしてみました。
「愛蘭さん。この『華翊商会』で、あなたの力を貸してちょうだい。
壁欄渡へ向かう船の中で、あなたは私の代わりとなり、あちらの女性たちの本音を聞き出し、私たちの志を伝えてほしいの。
……表舞台で声を張り上げる必要はないわ。
お茶を淹れ、布を語る、その静かな所作の中にこそ、真実の交渉が宿るのだから」
陽ちゃんは、愛蘭さんの物怖じしない立ち居振る舞いに、どこか自分と似た「芯の強さ」を感じたのか、満足げに腕を組んで頷いています。
お嬢の独り言
「……燕青おじさん。
あんたが熱病の汗を流している間に、私の周りには、また一人、心強い『彩り』が増えたわよ。
愛蘭さんの奏でる言葉と、美林様の放つ光、そして陽ちゃんの振るう盾。
ここに満ち始めたのは、墨の匂いだけじゃない。
異国の香料と、高級な布地の、なんとも芳しい予感。
次に届く知らせには、きっとこの新しい『声』が、希望となって綴られているはずだわ」
私は、愛蘭さんの採用を正式に決め、柴翊様へ送る報告書に、彼女の名を力強く書き添えました。
これから始まる航路は、きっと青磁のように清らかで、愛蘭さんが織る布のように、強固に両国を繋いでいくことでしょう。




