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飯店の喧騒も遠のいた深夜。
私は一人、新しく届いた「高麗への定期航路」の契約書を広げています。
竜泉窯の青磁。その美しい青を海を越えて運ぶという仕事は、本来なら代筆屋の娘が関わるような規模ではありません。
お嬢の独り言
「……柴翊様も、無理難題を淡々と持ってくるわね。
燕青おじさんがいない間、この屋敷はただの『留守宅』ではなく、完全に『華翊商会』の心臓部になってしまった。
高麗の壁欄渡を結ぶ航路。
そこには、南国の果実を扱うのとはまた違う、北の海の厳しさと作法があるはずよ。
私はただ、その往来が滞りなく進むように、一点の曇りもない書類を整えるだけ。
それが、今の私の『持ち場』なのだから」
庭の方では、美林様と陽ちゃんが、時折静かに言葉を交わす気配がします。
警護と窓口。それぞれの役割がこの数日で、ごく当たり前の日常として馴染んできました。
燕青おじさんの弟子たちも、今は屋敷の影に深く潜み、無用な音を立てることはありません。
「……おじさん。
あんたが熱病で寝込んでいる間に、この屋敷の墨の匂いは、少しずつ潮の香りに塗り替えられていっているわ。
でも、不思議と嫌な気分じゃないの。
こうして新しい航路の地図を眺めていると、あんたがいつも見ていた景色の広さが、ほんの少しだけ分かるような気がするから」
私は、明日の朝、市舶司へ提出する「青磁運搬の許可申請書」のために、静かに墨を磨り始めました。
この新しい「縁」を紙の上に定着させていくだけ。
夜の運河を流れる水の音だけが、今の私には一番心地よい伴奏です。
思えば、この和田玉を手にしてから何か違う感覚が、、、、。




