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「……流石は柴翊様ね。一歩先どころか、盤石の布石だわ」
完成したばかりの巨大な倉庫を見上げ、私は心の中で静かに感嘆しました。
その建物の半分は、あえて「省倉」……つまり、政府の直轄倉庫としての体裁を整えてあります。
お嬢の独り言
「……ただ自分たちの利益を囲い込むのではなく、あえて『公』の看板を半分背負わせる。
そうすることで、高官たちの面子を立てつつ、彼らがこの場所を守らざるを得ない状況を作り出したのね。
利権という名の蜜を吸わせるだけでなく、彼らの職務上の『手柄』にまで昇華させてしまうなんて、柴翊様の差配には恐れ入るわ」
潮風と官服の赤
倉庫の落成式当日。
臨安の港は、これまで見たこともないような緊張感と華やかさに包まれました。
政府の要職にある趙財務長官が自ら足を運ぶとあって、市舶司の役人たちは朝から埃一つ残さぬよう地面を掃き清めています。
お嬢の独り言
「……趙長官が馬車から降り立った瞬間、周囲の空気がぴりりと引き締まったわ。
李美林様は、王族としての気品を湛えた装いで、趙長官と対等に言葉を交わされている。
その背後には、美林様の影となって鋭い眼光を光らせる陽ちゃん。
一方、私は……柴翊様の傍らで、今日のために新調した『華翊商会』の台帳を抱えて立っている。
燕青おじさんの弟子たちは、祝賀の賑わいに紛れて、誰にも気づかれぬよう趙長官の警護兵たちの動きまで監視しているわ。
万が一の『罠』も、今の私たちには通じない」
趙長官は、省倉の堅牢な造りと、運び込まれた南国の果実や香料の芳醇な香りを確認すると、満足げに柴翊様へ頷きました。
「……柴翊殿。この『華翊商会』の設立、そして省倉の併設。実に見事な手際だ。
南宋の繁栄を支える新たな大動脈となることを、期待しているよ」
お嬢の独り言
「『期待している』……その言葉の裏には、『これからもたっぷり蜜を運んでこい』という本音が透けて見えるわね。
でも、それでいい。
この強大な権力が私たちの味方である限り、燕青おじさんの船は、どの港でも無敵の通行証を手にしたも同然だもの」
式典の喧騒を離れ、私は倉庫の隅で、真新しい壁にそっと手を触れました。
ここは、ただの物置きじゃない。
私たちの意志と、奪い取った利権と、そして仲間たちの守りが詰まった、難攻不落の「城」の第一歩。
「……燕青おじさん。
見てる? 趙長官が、あんたの運んできた果実を絶賛して帰っていったわよ。
お供の者に渡すのも当然。
熱病なんて吹き飛ばして、早くこの『自分たちの居場所』を見に来なさいな」
夕暮れの光が、倉庫の白い壁を黄金色に染め上げていきます。
潮風に乗って聞こえてくるのは、新しい商売の始まりを祝う、賑やかな歓声でした。




