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「……ちょっと、燕青おじさん。お気楽に言ってくれるわね」
私は届けられた積荷の目録を眺めながら、思わず溜息をつきました。
羅針盤150個に海図200枚。代筆屋の枠をとうに超えた、もはや国家規模の軍需物資よ。
それを、南洋の「お宝」と引き換えに動かそうっていうんだから。
沈香の薫る倉庫と、別れの寂しさ
お嬢の独り言
「……目録を見るだけで目が回りそう。
沈香に竜涎香。これだけの香料が一度に臨安に流れ込んだら、街中の調香師が狂喜乱舞するわね。それに**蘇芳**の赤色は、私の作る多色刷りの版画に最高の彩りを与えてくれる。
柴翊様が販売先を確保してくれているなら、お金の心配はないけれど……問題は、この『山のような富』をどう隠し通すかよ。
『おじさん。弟子たちに見つけさせた倉庫、ちゃんと防湿と防鼠の処置はさせておいてよ? 特に鹿皮や象牙は、湿気と虫が天敵なんだから。陽ちゃん、あなたも悪いけど、倉庫の警備計画を逢春おじ様譲りの鋭さでチェックしてちょうだい』
『ねえさま、お任せください! 鼠一匹、役人の鼻先一つ、あの倉庫には近づかせませんわ!』
陽ちゃんが力強く頷き、弓の手入れを始める。その隣で、燕青おじさんはどこか遠い目をして、積み込みの準備を進める柴翊様の部下たちを眺めていた。
『……今週中に海図が刷り上がれば、任務完了か。お嬢、お前なら完璧に仕上げるだろうよ。だが、そうなると……また当分、お前の毒舌を聞けなくなるのが、少しだけ寂しくなるな』
おじさんの言葉に、胸の奥が少しだけ、本当に少しだけチクリとしたわ。
『……何言ってるのよ。あんたがいない間の方が、店は静かで仕事が捗るんだから。せいぜい、その羅針盤が狂って、とんでもない島に流されないように気をつけることね』」
おじさんが旅立つまでの数日間、店は不夜城のような忙しさになりました。
海図の印刷、柴翊様から提供された最新の航路標を、特製の耐水紙に印刷。
隠し染料で、36群星だけが読み取れる「秘密の補給港」を書き込む。
香木の鑑定、代金として届いた沈香を、お嬢自ら選別。最高級品は、墨に混ぜるために確保。
倉庫の管理、陽ちゃんが、倉庫の入り口に微細な糸を張り、侵入者を検知する罠を仕掛ける。
お嬢の独り言
「『おじさん。この海図の端に、一つだけ特別な“まじない”を書いておいたわ。……ピンチになったら、そこを指で温めてみなさい。私が考えた、一番性格の悪い脱出ルートが浮かび上がるはずよ』
『ははっ、さすがはお嬢だ。地獄の沙汰も、お前の筆先次第ってわけか』
おじさんは笑って、私の頭を乱暴に撫でた。
その手の熱さと、倉庫に運び込まれた蘇芳の深い赤色が、私の心に別れの切なさを刻んでいく。
燕青おじさん。
あんたが大海原の向こうで、羅針盤の指す先を見失わないように。
私はここで、あんたが帰ってくるための『文字』を守り続けるわ」




