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そしてだれもいなくなった  作者: 水前寺鯉太郎
第二部:幼い依頼人

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第二部 第二章:赤黒い沈黙

第二章:赤黒い沈黙

1

山下はじめは、自分の無力さに吐き気がしていた。

ソヨンから手紙を受け取った翌日から、はじめは何度も警察と児童相談所に足を運んだ。しかし、返ってくるのは型に嵌まった回答ばかりだった。

「山下さん、あなたの熱意は分かりますが、警察も二度訪問しています。その際、ご両親は非常に理性的で、ソヨンちゃん本人も『家で楽しく過ごしている』と言っている。それ以上の介入は、民事不介入、あるいは親権の侵害に当たるんですよ」

担当刑事の冷ややかな目が、はじめを突き放す。

ソヨンの父親は、街の再開発事業に関わる地元の名士だった。警察にとって、その家のドアを無理やりこじ開けることは、自らのキャリアを危険に晒すことを意味していた。

「……あの子の目が、助けてくれと言っているんだ。法律は、あの子が死ぬまで動かないのか!」

はじめが叫んでも、警察署の廊下には虚しいエコーが響くだけだった。

2

その「最悪の日」は、ソヨンが施設に入所する予定日のわずか一週間前にやってきた。

はじめが施設で事務仕事をしていると、佐藤施設長が青ざめた顔で駆け寄ってきた。

「山下君……キムさんの家で、救急車が……」

はじめは言葉を待たずに施設を飛び出した。

ソヨンの自宅前に着いた時、そこには数台のパトカーと、赤色灯を激しく明滅させる救急車が止まっていた。野次馬の隙間を縫ってはじめが見たのは、ストレッチャーに乗せられ、白い布を被せられた、あまりに小さな「塊」だった。

ソヨンの弟、まだ5歳のジフンだった。

「……嘘だろ」

呆然と立ち尽くすはじめの横を、警察に連れ添われた継母が通り過ぎた。彼女はハンカチで顔を覆い、狂ったように泣き叫んでいた。「私が目を離した隙に、階段から落ちて……」と。

しかし、はじめは見逃さなかった。彼女の指の関節が、強く何かを殴りつけたように赤黒く腫れ上がっているのを。

3

家の中から、一人の少女が警官に抱きかかえられて出てきた。

ソヨンだった。

彼女の顔には表情がなかった。涙すら流していない。ただ、呆然と、弟が運び出されていく光景を見つめていた。

はじめと目が合った瞬間、ソヨンの唇が微かに動いた。

声にはならなかったが、はじめにははっきりと聞き取れた。

『――遅かったね。』

その言葉は、刃物となってはじめの心臓を貫いた。

司法試験で学んだ「法の正義」とは何だったのか。何千時間もかけて詰め込んだ法律の知識は、目の前の5歳の命一つ救えなかった。

4

数時間後、警察の取り調べに対し、継母は「しつけのつもりで数回叩いたが、死ぬとは思わなかった」と供述を変えた。殺意は否定。容疑は「傷害致死」に留まる可能性が高かった。

夜、誰もいなくなった施設の図書室で、はじめは拳を机に叩きつけた。

「……傷害致死? 5歳の子を殴り殺しておいて、たった数年の刑務所暮らしか?」

そこへ、姉の直子がやってきた。彼女ははじめの肩に手を置き、静かに言った。

「はじめ。ソヨンちゃんは今、警察の保護下にいる。でも、お父さんが連れ戻そうとしてるわ。『母親がやったことで自分は関係ない、家にはソヨンの居場所がある』って。……このままじゃ、ソヨンちゃんも殺される」

はじめは顔を上げた。その瞳には、絶望ではなく、凍りつくような「怒り」が宿っていた。

「……もう、法律の『外』で戦うのはやめる。弁護士としてじゃない、一人の人間として、奴らを地獄に引きずり落とす。ソヨンが書いたあの手紙……あの中にあった『井戸の声』と『儀式』の話。それが、あの一家を破滅させる鍵になるはずだ」

はじめは、第一部の失踪事件の資料と、ソヨンの手書きの手紙を並べた。

弟の死。それは終わりではなく、街を飲み込む巨大な闇との、命がけの裁判の始まりだった。

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