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歪の檻に囚われた、彼女の末路  作者: 天代智
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真 side 2



 そんな彼の様子を同じく見つめていた美香が、


「あの、鈴木さん」


「何ですか? 美香ちゃん」


「それ、私にもいただけませんか?」


 僅かに震えながら、鈴木に右の手のひらを向けて差し出した。私は驚きのあまり、彼女の肩を掴んだ。


「やめろっ。美香っ。いったい何を考えているんだっ」


「だって私が飲めば、ショウコさんも安心して飲めるかもしれないでしょ? このままでは本人が辛いのよ。鈴木さん、その薬の名称ってわかります?」


 いつになく美香は強気になり、私から顔を背けて鈴木に尋ねた。


「えーと、なんだっけ……じ……じあ……ジアなんとかってやつです」


「ジアゼパム、かしら? 今のショウコさんにはいいかもね。不安を和らげてくれるわ。お願いします。分けてください」


「それは構わないけれど……いいんですか? 私を信用しても」


「はい。信用します。鈴木さんは武藤さんが亡くなられた時に私たちと一緒にいましたし、薬も今、目の前で飲みました。もしその薬が犯人によって差し替えられた毒物だとしたら、今頃鈴木さんの体に異変が起きていてもおかしくないです」


 美香はきっぱりと言い切ると、再び手のひらを鈴木に差し出した。私はやや乱暴に、美香の手を掴み上げた。


「美香。駄目だ。それは私が許さない」


 鈴木が薬だと言っているだけで、危険ドラッグということもある。目の前で処方されたものならまだしも、出会って間もない人間が持ち歩いていたものを、平気で口にするなど正気の沙汰とは思えない。


 飲んで即、反応のある毒物はない。少なくとも、私の持ちうる知識では。最低でも十五分、いや、三十分は様子を見ないと安全とは言い切れない。もっと恐ろしいのは遅効性の薬物だ。


 それに、飲んだ後で何らかの反応が出ても、こんな場所では水を飲ませて吐かせてやることもできない。


「なら、このままショウコさんを放っておけというの?」


「それは……」


「真さん。あなた、医師でしょう。目の前の困っている人を見捨てるの?」


 美香は睨むように私を見上げた。曇りのないまっすぐな瞳に、私はぐっと押し黙る。逡巡した後、指から解いて美香の手を離した。


 彼女の言っていることは間違っていない。行動は正解だとは思えないが、その心根は医療従事者として正しかった。


 しかしそれは、彼女が生きていてこそ、成立する話だ。私は美香を失いたくない。ただそれだけなのに。どうして彼女は、危険を顧みないんだ。


 私は睨むように、彼らのやり取りを見つめた。美香は鈴木から、ピルケースの右端にある錠剤を二錠、受け取ると、


「ショウコさん。見ていてください」


 と、ショウコに声をかけ、その内の一錠を口の中に入れた。鈴木同様、水がなくて飲みにくいのか、少し経ってからそれを飲み込んだ。


「ね、飲んでも大丈夫です。美味しくはないけれど」


 そう言って、ショウコに向かって困ったように微笑みかけた。


「ほ、本当に……なんともないの? 毒じゃないの?」


「少なくとも、私は毒だと思っていません。今、私が飲んだものは不安を和らげる薬です。でも、きっと抵抗があるでしょうから、今から十五分ほど待ってみましょうか。この薬自体は即効性のあるものです。仮に殺傷能力のある薬物なら、もっと早くに悪い反応が出ると思います」


 毒に詳しくないので、はっきりとは言えませんが。そうつけ加えて、美香は袖口を少しだけずらすと、手首に巻いた腕時計を見て、それをショウコにも見せた。


「今が三時十五分ですから、三時三十分になったら飲みましょう。それでも嫌だったら、無理にとは言いませんから」


 微笑みを絶やさない美香に、ショウコは渋々と言った様子で頷いた。


「まだ、一時間くらいしか経っていなかったのね……」


 鼻を啜る潤美が、誰に向かって言うでもなく呟いた。


 それからは、一秒、一秒が長く感じられた。美香が飲んだものは本当に薬なのか、それとも毒物なのか。制限時間の十五分が、まるで判決を待つ罪人のようで、最悪の気分だった。


 今か今かと待ちに待ち、時間はようやく三時三十分を過ぎた。


「大丈夫か?」


「ええ。むしろ私にも、いい具合で効いているみたい。さ、ショウコさん」


 美香は手に持ち続けていた錠剤を一錠、指で摘まんでショウコに渡した。ショウコはおずおずといった様子で、手のひらに落とされた錠剤をしばし眺めてから、瞼を強く瞑って口の中へ放り込んだ。しかしなかなか飲み込めないらしく、最後は顔をくしゃくしゃにしながら薬を噛み砕いていた。


 その様子を黙って見ていた潤美も、ソファに座って休んでいる鈴木に向かって、「私にも一錠ちょうだい」とねだった。


「無事に脱出できたら、薬代を請求しますからね」


 と、幾分か口調が穏やかになった鈴木が、潤美や美香に向かって茶化すように言った。錠剤を受け取った潤美は、「出られたらね」と苦笑を浮かべて、水なしで難なく飲み込んだ。


 まだ絶対に大丈夫とは言い切れない。だが、美香たちの飲んだそれがひとまず薬のようだと安心した私は、長いため息を吐いた。


 私は美香の手を握り、囁くような小さな声で懇願する。


「美香。頼むから、今後はこういった危ない真似はしないでくれ」


 美香からは、肯定の言葉は返ってこなかった。ただ、気まずそうに「心配かけて、ごめんなさい」と謝られた。



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