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歪の檻に囚われた、彼女の末路  作者: 天代智
最初の犠牲者
34/60

慧 side



 ・・・・




「まず一人……気づいたら、死んでいました」


 声が若干裏返る。震えているのか? もう十二年も経ったというのに。


 私は爪を服越しの腕に食い込ませた。


「これは何だ? というのが……私が抱いた最初の感想でしたよ」


 それまで私と言葉を交わし、生きていた人間が、いつの間にか死んでしまった。首から下はまだ人だとわかる形だったのに、個人を判別するための最たる部分である顔が、誰だかわからないほどぐちゃぐちゃになり、ただの肉の塊へと変わり果てていた。


 ほとんど飛び出た目玉が、私を見つめるように向いていた。いや、そういう気がしただけだったのかもしれない。ただ、それだけだったのに。


 私はそれを、恐ろしいと思ってしまった。


「そこから、ですね。いえ、それまでもまあまあな地獄でしたけれど、そこからです。その一人が死んでから、さらに恐ろしい展開が私たちを待っていたんです」


 ああ、駄目だ。そこから先のことは、口にするのもおぞましい。たまらず私は、顔を両手で覆った。目の前にあの時の惨状が広がっているわけではない。覆ったところで、それが消えるわけでもないのに、そうせずにはいられなかった。


 呼吸が荒く、短くなる。私は額にじんわりと掻きつつある汗を袖口で拭ってから顔を上げた。


「あなたからすれば、私はさぞ、憐れな存在に映っていることでしょう。早くに両親と姉を亡くして、若い身空なのに定職にもつかず、引きこもった日々を送る私は。でもね、言うほど卑屈になってはいないんですよ。これが私一人なら話は別ですけれど、私にはまだ"あの子"がいますからね」


 そう言うと、男は眉根を寄せた。妙な顔をする。まさか、あの子のことを知らないのか? いや、この男が知らないはずがない。引っ越す際に出したハガキに、今の私が誰とともに暮らしているのか、ちゃんと記したのだから。


 目の前の男の反応が気になりながらも、私はハガキには記さなかった現状について短く語った。


「今はこの狭いアパートで二人暮らしです。怠惰な私の分まで社会に出て、頑張って働いてくれています。親兄弟を亡くしたのは彼も同じなのに、何なんでしょうね、この違いは。監禁こそされていないからでしょうか? 私の方が年長者なのに……情けない話だ」


 私は苦笑を漏らした。男は何も言わなかった。


 辛気臭い。壁掛けの時計に視線をやった。時刻を見ると一時半。もちろん、午後の。そこで私はあることを思い出した。


「ああ、いけない。忘れていました」


 わざとらしく声に出すと、男はハッとして、立ち上がる私を見上げた。


 構わずキャビネットへ向かった私は、引き出しにある白い紙袋を取り出した。その表面にはゴシック体で「鈴木 (けい)様」と印字されている。私の名前だ。


 紙袋から銀色の包装シートを一枚抜くと、中の錠剤を指で押し出した。パキッと小気味よい音がする。私はこの瞬間が好きだ。思えば、こういった刹那的なものが好きなのかもしれない。


 リストカットにしてもそうだ。つるりとした薄い皮膚を切り裂くと、体内で流れる赤黒い血が、パッと打ち上げられた花火のように弾け飛ぶ。聴覚と視覚ではまったく異なる楽しみ方だ。特に後者はきっと、共感されにくいだろう。別に、共感して欲しいとも思わないが。


 以前はピルケースに入れて、ジャラジャラと持ち歩いたものだが、最近ではそのセットすら面倒で、いちいち紙袋から一回分ずつを取り出して飲んでいる。そんなやり方をしているから、薬の飲み忘れと重複が頻発するんだ。


 以前は愛用していたピルケースも今では埃被っていることだし、今度のゴミ出しの日にでも捨ててしまおう。出すとしたら、あれは可燃ごみか? わからない。あの子が帰ってきたら聞いてみよう。


 シンク横の水切りかごで逆さまで放られているグラスを手に取り水道水を入れると、覚悟を決めて錠剤を口に放り込む。続いてグラスに満たされた水を口に含むも、私の動きはそこで停止してしまう。


 薬、とりわけ錠剤は苦手だ。食事の際の咀嚼物を飲みこむことは平気でも、これが薬となると体が拒絶するせいか自然と喉が窄まってしまう。それゆえ、いつも錠剤を飲みこむタイミングがつかめず、水を口に含んだままもたもたしてしまう。今もそうだ。


 次第に錠剤は溶けていき、舌には吐き出したくなるほどの苦味がまとわりつく。反射的に嘔吐しそうになったところで、それまで閉まっていた喉が一気に開き、薬は込み上げる嘔気とともに胃の中へと流し込まれた。


 たった一錠の薬相手に何をちんたらしているのかと、周りからすれば思うだろう。だが、私からすれば、人間はどうしてこんな石ころを噛み砕きもせずに飲みこめるのかがわからない。特に腸溶性コーティングが施されているから、噛み砕こうにも噛み砕けない。喉に引っかかりやすいカプセル剤じゃないだけ、マシと思うしかない。


 はあ、と大きなため息を吐くと、男が怪訝な目をこちらに向けていた。やめてくれ。ただでさえ苦手な錠剤を飲み干したばかりだというのに、こうもあからさまに凝視されては浮かべた笑みも引き攣ってしまう。彼は美形の部類に入る顔立ちだ。彼に対する気持ちはとっくに冷めてはいるものの、やはり見つめられると緊張する。


 彼からすれば、それはどうでもいいことだろうが、私が飲んだ薬の内容が気になるのだろう。視線を外す素振りすら見せない。覚せい剤や違法ドラッグの類と思われても心外だ。


 私は男に、薬の入っていた紙袋を掴んで見せた。


「ご心配なく。ただの抗うつ剤ですよ」




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