真 side 5
「私は仕事を休んだのよ」
と、幾分口調が穏やかになった潤美が吐露し始めた。
「ここのところ体調が悪くて、三日ほど休んでいたの。別に初めてのことじゃないわ。時折、調子が崩れるの。今回は長引きそうだったから職場へ連絡したけれど、無断欠勤もこれまで何度かしているし、これで出勤できないとなると、さすがにクビを切られるわね」
アンタたちにはどうだっていいことでしょうけれど、と苦笑しながら潤美は続けた。
「で、目覚める前のことだけれど、夜の六時……いや、七時頃だったかしら。私を心配した友達が見舞いに来てくれることになって、鈴木と同じく家のインターホンが鳴ったから、確認もせずに扉を開けたのよ。それで……」
と、ここで潤美が言葉を詰まらせた。
「どうしました? 潤美さん」
鈴木が声をかけると、潤美は首を緩やかに振って、「そこから、記憶がないんだわ」と、どこか物悲しそうに語り終えた。
私は鈴木の時と同じく、潤美の足元を見た。彼女が履いているのはヒールだ。それは何度も目にしているから、わざわざ確認するまでもないのだが、私の中で引っかかっていることがあった。
彼女の言うように、見舞いに来た友達を出迎えるために玄関の扉を開けたなら、何も靴はヒールでなくともいいはずだ。それこそ、鈴木のようにサンダルや、つっかけなどで事が足りる。それなのに、潤美の履いている靴は、暗い中でもわかるほどの美しい濃いピンク色のヒール。下ろし立てと言われても、不思議はないくらいのものだ。
私の視線が気になったのか、潤美は「何よ」と不快感をあらわにする。誤魔化すか? いや、何かを隠しているのなら切り込むべきだと、私は口を開いた。
「ヒールを履いて出迎えたんですか? 友達を家に招き入れるためだけに?」
すると潤美は、一瞬だけ顔を曇らせた。ああ、これは何かあるなと、言葉を続けようとしたところで、彼女は不愉快そうに早口で捲し立てた。
「アンタは玄関で靴を履かないの? うちには鈴木のようにサンダルなんてお気楽な靴は置いてないの。ヒールしかないのよ。仕事柄たくさんあるの。悪い?」
「いえ、そんなことは……」
「だいたい、ヒールを履いているからといって、何で疑いの目を向けられなくちゃいけないのよ。私が犯人なら、人を拉致するのに、こんな疲れる靴を選ばないわよ」
潤美の言うことは至極当然だった。七人もの大掛かりな拉致において、脚に負担のかかる靴など、普通は選ばない。
では、疑いが晴れるかといったら、それはない。靴など、ただ履き替えればいいだけだ。彼女が犯人だとするなら、犯行時に履いていた靴は捨てるかどこかに隠しておいて、あたかも自分も被害者だと思わせながら彼らに交ざり、怪しまれないように用意していたヒールを履く。普段から履いている靴を犯行現場に残せば、後に警察が現場へ踏み込んで調べた際、些細な痕跡で自分が犯人だと疑われるかもしれない。だから新品を用意した。
……とも考えられるわけだが、そうすると当然の疑問が出てくる。彼女のような痩躯な人間が、どうやって平や武藤のような大柄な人間を運べたのか、だ。現時点で複数犯を疑っているものの、犯人の一人が彼女だとして、他の犯人はどこにいるのか、それがあと何人いるのかなど、疑いは尽きない。
どちらにしても、今の段階では潤美が怪しい言動をとったということしかわからない。本当にヒールしかない家だということもある。明かさない職業が水商売なら、なおさらたくさん持っているだろうし、今はまだ彼女だけを注視するわけにはいかない。視野が狭くなってしまうからだ。
私は「すみません」と一言謝った。潤美もそれ以上、噛みつくことはしなかった。
「呼び鈴なら、俺のとこも鳴ったぞ」
それまで静観していた武藤が、やや気怠い様子で語り出した。
「飯を食ってから酒を飲んで、気持ちよく寝ていたところだった。何かを頼んだ覚えはないし、それよか眠気の方が勝っていたから、しばらく居留守を使っていたんだ。だが、向こうさんも諦めが悪くてな。ピンポンピンポンうるせえこと、うるせえこと。だんだん腹が立ってきたから仕方なく出たよ。怒鳴ってやるためにな。それが運の尽きだった」
ソファの背もたれに左肘を立てて、開いた手のひらに自分の頭を預けて話す武藤。前髪が流れてあらわになった額からは、滝のような汗が出ているものの、気にならないのか拭う仕草すら見せない。
最後に大きなあくびをしたところで、武藤は瞼を閉じた。
「じゃあ、次。平君。君はどうだい? 何か覚えていることはあるかな?」
平に尋ねると、彼は瞼を半分閉じた目で私を一瞥した後、「家にいた」とだけ答えて、口を閉じた。
「それだけですか?」
鈴木がやや前屈みになり、隣の平に顔を合わせながら尋ねると、平は驚いたのか顔を引き攣らせながら、唇をもごもご動かした。
「それ以外、何もない。ゲームをしていた」
言い終えるなり、平は鈴木から顔を逸らした。
「明らかに昼夜逆転の生活をしていそうだものね」
潤美が軽蔑するような眼差しを平に向ける。
「じゃあ、家の中で襲われたってことか。一緒に住んでいる家族はいないのかい?」
平に質問すると、彼は首を縦に振るでも、横に振るでもなく、ただジッと私を見つめ返した。いや、睨み返した。それ以上は話さない、と。彼の目が言っていた。
潤美に続いて怪しい言動だ。平が一人暮らしなら、例えばピッキングなどを使って犯人が彼の家に忍び込み、襲ったとも考えられる。だが、家族について尋ねた途端、彼は貝のように口を閉ざしてしまった。
家族に対して何かあるのか? そもそも、家族とともに暮らしていて、犯人が家に忍び込み彼を拉致したのだとしたら、彼の家族は今、どうなっているというのか。
おいおい。潤美以上に怪しいぞ。仮に平が犯人なのだとしたら、彼を拉致する方法など考えなくて済んでしまう。他の人間は平より軽いし、複数犯はもとより彼による単独犯でも、体力さえ度外視するなら美香たちを運ぶことは可能だろう。彼がスニーカーを履いていることにも、すんなりと納得ができてしまう。
けれども、本当にそうだろうか? もしも私が犯人なら、同居している家族の有無について尋ねられたとき、迷わず否定するだろう。一人暮らしで、他の彼らと同じようにインターホンが鳴ったから扉を開けた、そこからの記憶がない、そう言えば済むところを、彼はともすれば自分が疑われるような答えをなぜ、返したのか。
駄目だ。美香以外、全員が怪しく見える。昔読んだミステリーに、登場人物の容疑者すべてが犯人だったという衝撃のラストを迎えた小説があったが、目の前のこれはフィクションじゃない。現実だ。ここにいる全員が犯人ということは、まずありえない。
そう。美香の隣で怒られた子どものように泣きじゃくる女性も、「実は女優で嘘泣きなんです」と言われても、にわかには信じられないだろう。




