真 side 5
私は努めて冷静に、鈴木に言った。
「今は美香に、あまり近づかないで欲しい。恋人としての頼みだ」
「あ~、なるほど」
恋人、という単語に鈴木は納得がいったように頷き、「それは失礼」と、差し出した手を下ろした。
「ごめんなさい……」
美香が鈴木に、手を取らなかったことを詫びた。
「いえいえ。首を絞められた上に乱暴されたんじゃ、無理もないですよ。じゃあ、安心するかどうかはわかりませんが、一つ告白しますね。私はゲイです」
「えっ?」
いきなり何の告白だ、と私は内心ドキッとした。美香も驚いたのか、ぽかんと口を開けて鈴木を見上げている。
衝撃の告白をした本人はといえば、私たちから少し離れて、
「ゲイ受けする容姿じゃないことは自覚しています。見ての通り、体毛が薄くて髭はなかなか生えないし、そっちの彼氏さんのように長身でもなければ体格も細い男です。でもね、その“男”が好きなんです。男性のアレは咥えても、女性のアソコは舐めたことすらない正真正銘のホモです。ホモ。だから美香ちゃんのおっぱいが丸見えだろうが、私は勃起しません」
と、あけすけに語った。つまり、乱暴はしないから安心してね、ということだ。
私は頭を抱えた。
「鈴木君。君というやつは……」
「下品なくらいはっきり言った方が、わかりやすいでしょ。本当にゲイかどうか、今ここで証明してみせてもいいんですが……」
そう言って、鈴木はこれ見よがしに私の方へ視線を落とした。思わず、美香を抱えて僅かに身を離した。
鈴木が「やだな。冗談です」と言って、自分の前で手を振った。
「私にだって好みがありますよ。残念ながら、この建物の中に私好みの男はいません。まあ、だからといって、私が犯人でないという証明にはなりませんが、美香ちゃんには指一本触れないと約束します」
鈴木は自分の前で、人差し指を立ててウインクをした。認めたくないが、様になっている。
彼は本当にゲイなのか? だとしたら、これまで彼に関わってきた女性の何割が、枕を涙で濡らしたことだろう。
鈴木の言葉を完全に鵜呑みにできるわけもないが、少なくとも美香の体からは震えが止んだようだ。少しは安心できたのかもしれない。
だからといって、本人の言う通り、彼が犯人でないという証明にはならないが。
それよりも、私は確認したいことがあった。今、自分が抱いている仮説をそのまま話せば、きっと頭の中を疑われるだろうが……重要なことだ。
端的に質問しようと、私は鈴木に声をかけた。
「鈴木君。一つ、聞きたいんだが」
「はい。何でしょうか?」
「今は……何年だ?」
「はあ?」
唐突な私の質問に、鈴木は素っ頓狂な声を出した。そしてすぐに「何を言っているんですか?」と怪訝そうな顔で私を見つめてくる。
私は美香から一旦手を離すと、鈴木へ詰め寄るように立ち上がり、肩を掴んだ。
「教えてくれ。今はいったい何年なんだ? 西暦でいい」
「真……さん?」
はやる私の背を、不安そうな美香の声がそっと撫でた。そうだ。ここには美香がいる。ただでさえ未知の状況に恐怖を抱いているのに、これ以上、彼女を不安にさせてはいけない。
そう自身に言い聞かせた私は、聞き方を変えた。
「今は……二〇一〇年、なのか?」
まさかと思っている。口にした今も、何を馬鹿なことを聞いているのかと。
今は二〇二二年。十二年前の二〇一〇年であるはずがない。
だが、美香が。私の傍にいるこの美香が、十二年前の姿そのものなんだ。
よく考えれば、この監禁は出来過ぎている。手口が巧妙という意味ではない。かつての監禁事件の被害者となった恋人と同じように、私もまた監禁事件に巻き込まれていることがだ。そんな偶然が、はたしてどれだけの確率で起こるというのだろう。
何より美香が、この監禁に非常に戸惑っている。十二年前に拉致をされ、そのまま救出されずにいたのなら、こんな新鮮な反応はしない。つまり美香は今、初めて被害に遭ったということだ。
そういえば、私がこの建物内で目覚めた時、かなり強く背中を打った。はじめは近くにあった机の上から落ちたものだと思っていたが、ベッドより少し高いだけの位置から落ちて、こんなにも体が痛むものだろうか?
さらに考えてみれば、私には拉致をされたという記憶も、誰かに襲われたという記憶もない。美香のいない時代で職場に行き、仕事をこなし、帰宅する。記憶はそこで、ぷっつりと途切れていた。
それに一階の診察室に散らばっていた大量の新聞紙。他は埃が積むほど廃れていたというのに、あの新聞紙はさほど埃を被っていなかった。あれはずっと置かれていたものではなく、ごく最近に誰かが新聞紙だけを置いていったと考えられる。
極めつけはその日付だ。私が手にしたものが二〇一〇年五月二十三日だった。あの場のすべての新聞を確認したわけではないとはいえ、机上の一番上に置いてあったものがあの中の最新だとするなら、今は二〇一〇年五月二十三日以降。美香がいなくなったと確認されたのは同年の五月二十四日から。仕事帰りに襲われたという美香の証言から、これは前夜からの犯行となる。
ああ、なんて馬鹿馬鹿しい。ここが今から十二年前の世界だなんて。SFなど、これまでフィクションの中だけに存在する超常現象だと思っていたのに……。
信じられない。信じ難い。ありえない。
私は自分を疑いながら、鈴木からの返答を待った。
その鈴木は一瞬、顔を顰めたが、すぐに呆れたように崩して私に答えた。
「気絶している間に、そんな当たり前のことすら忘れてしまったんですか?」
そう言うと、鈴木は自分の肩に乗る私の手を払い落とすと、こちらに背を向けて散乱する人形たちを調べ始めた。
私はだらんと肩を落とした。ああ、そうか。本当に、そうなのか……。
私はタイムスリップした。十二年前、恋人が巻き込まれた集団拉致・監禁事件の事件現場に。
「ちょっとは期待していたんだけどな……」
鈴木が落胆したようにボソリと呟いた。日にちならまだしも、ここで年数を聞いてくる私の頭は期待できないと踏んだのだろう。
この鈴木という男は一見飄々としているようで、その実私を含んだ周りの人間たちを値踏みしている。使える人間か、そうでないか。おそらく、気の強いウルミ相手にへつらいながら煽てているのも、あの中で彼女が自身にとって最も使える人間だからだろう。
聡い男だ。今この瞬間、私は使えない人間だと見切られたらしい。それまでのへらへらと媚びるような態度から一変、鈴木は黙々と辺りを調べ始めた。
「まったく。いい趣味だなぁ」
鈴木は私達に背を向けたまま、床から上に照明を動かし、吊るされた人形を見ながら吐き捨てるように言った。
長年医師として色んな患者を診てきた私から見ても、これは唾棄すべき行為と光景だった。それがたとえ、人形相手であったとしても。彼が軽蔑気味に呟いてしまうのは、むしろ当然の反応だった。
美香も鈴木が照らすそれを目にしてしまったのか、「うっ」と声を漏らしながら口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい。ちょっと、気分が……」
目覚めてすぐにこの惨状を目の当たりにすれば、誰だって気分は悪くなる。私だったら吐いているところだ。
一旦、この場所から人のいる一階へ美香を移そうと、彼女の手を取り立ち上がらせた。
「一階に人がいる。ここよりはいくらかマシだ」
美香は口元を押さえたまま頷いた。可哀想に。元々、豊満でもなかったが痩せぎすでもない中肉の女性だった。しかし見た目よりも激しく震える美香の肩は、昔に抱いたあの頃よりも、華奢で小さく感じた。
「ああ、それと……」
これは持っていった方がいいだろうな。私は体を屈めてあるものを拾うと、ズボンのポケットの中へ突っ込んだ。
「真さん。それは?」
「後で説明するよ。さあ、行こう」
不思議そうに尋ねる美香に、私はその場で答えず彼女の肩を抱いて歩き出した。
去り際に、私は鈴木へ声をかけた。
「鈴木君」
「何ですか」
どことなく、ぶすっとした声が返ってくる。
「美香を見つける前にこの部屋から物音が聞こえたんだ。こんなに静かなら犯人は潜んでいないと思うが、念のためだ。気をつけてくれ」
その音を耳にしたから、ここを調べようと中に入った。それがなければ、きっと今頃、あの六つの南京錠と途方もないにらめっこだ。
「物音、ですか」
鈴木が神妙な声で復唱する。何の音だったのかわからない以上、他に言いようがない。もしかしたら、美香が無意識の内に動いて、体がどこかに当たった音だったのかもしれないし、散乱する物のどれかが自然に発した音だったのかもしれない。
「わかりました。ご忠告、どうもありがとう……マコトさん」
鈴木はにっこりと笑った。




