表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歪の檻に囚われた、彼女の末路  作者: 天代智
歪な再会
12/60

真 side 3


「ひいっ」


 私の口から短い悲鳴が出た。照らした床に、見慣れないものが転がっていたからだ。


 それは人の腕だった。肩から下が人の体から分離された、腕一本だった。手元へ電気でも走ったかのように、その場で私は懐中電灯を落としてしまった。


 見てはいけないものを見た。はじめに抱いた感想はそれだ。後に、何かがおかしいと気づいた。


 カラカラと床で回る懐中電灯を、私は慌てて手に取った。そして再度、目にしてしまったものに恐る恐る照明を向けた。


 目に映るのはやはり人の腕だが、生きた人間から切り離されたものではない。これは人の形を模した別のものだ。


「に、人形、か?」


 照明を左右に動かすと、落ちた腕の周りに陶器か何かの破片が大小問わず、あちらこちらに散乱していた。また落ちているものも腕だけではなかった。脚や胴体と思しきものが、バラバラになって転がっていた。


「何だ、これは……」


 腕、そして脚や胴体はただ切り離されただけでなく、至るところがひび割れ、破損していた。人ではないとわかった後でも、思わず口元を覆ってしまう。棄てられているだけのそれらが、惨たらしく映ったからだ。


 さらに右側に照明を動かすと、頭があった。その顔部分を見て確信する。目や鼻、口は描かれたものだ。これらはやはり人形だった。


 それにしては数がおかしい。散乱している腕は見渡す限り三本、脚に至っては四本もある。人形は一体ではないのか?


 ふと、何体あるのか気になって、私は一歩近づき照明を奥にやろうと懐中電灯を持つ手を上げた。


 そこには、ぶらりと浮いた脚があった。


 ぎょっとした。まさか宙に浮くものがあるとは思わなかったからだ。足元ばかりを注視していたせいで、つい視野が狭くなっていた。


 浮いた二本の脚も、よく見ると人形だった。床の人形とどことなく材質が異なるように見えるのが気になりつつも、照明をさらに上へやると、人形の膝上あたりにボロボロの布地が垂れていることに気づく。クリームがかった白地はところどころ砂や泥に塗れており、お世辞にも綺麗とは言い難い。


 それがスカートだとわかったのは、人形の胸部分までを照らした時だった。床に落ちているバラバラの人形と違い、このぶら下がっている人形は服を着ていた。上は切り裂かれたブラウスに、下はアサガオやユリといった花が下向きに咲いたように、裾が広がっているスカートだ。


 本来なら清楚という印象を抱いただろう上下の服は、着ているというより、人形の体部分に引っ掛かっていた。それほど粗末な扱いに見える。


 デパートなどで飾られているマネキンとは違い、より人間に近い造形のふっくらとした乳房が、半分も露出されたその人形を憐れに思いながら、私はとうとう“彼女”の顔を目にした。


「うっ。これは……酷いな……」


 その人形は、元は美しかっただろう顔を酷く傷めつけられていた。黒の長い髪は激しく乱れ、繰り返し打擲されたのか、眼球の片方が半分飛び出てしまっている。また、鼻はあらぬ方向へと曲がっていて、小さな口から引き出された舌はこれでもかと伸びきっていた。およそ人の顔とは思えないほど、醜く歪んでいる。


 それだけでも惨いのだが、この人形はさらに酷い扱いを受けていた。ぶら下がっている様からして、おそらくこうなっているだろうという想像はできていた。その想像を実際に目にすると、たとえ目の前の光景が作られたものだとわかっていても、人は慄然としてしまう。


 人形は首を吊っていた。先を輪にしたロープで首を巻かれ、体を天井から吊り下げられていた。


 私はそれ以上、近づけなかった。一人では到底、この惨状を調べることができない。それに人形相手とはいえ、ここまでする人間の神経がわからない。仕事柄、DVの相談を受けることはあるし、暴行を受けた顔を見ることもあるが、これほどではなかった。


 これを行った人間は、人形に恨みでもあるのか? それとも、女性に恨みでもあるのか? そのどちらにしても、行った者の精神状況が危ぶまれた。この空間のおぞましさに吐き気すら込み上がる。


 私は首を吊った人形から照明を下に逸らした。と、その時、私の目に新たな人形が飛び込んだ。


 バラバラにされた人形と、首を吊った人形のさらに向こう側に、一体の倒れた人形があった。また人形か、とは思わなかった。今度のそれは、“彼女”たち以上に目を引いた。


 私は散乱する人形の破片を踏まないよう、遠巻きにしながら、奥で横たわる人形へと近づいた。なぜ、その人形が目を引いたのか。それはきっと、この人形が階下にいる鈴木たち同様に、白衣を纏っていたからだ。


 それだけで近づいたのか、と聞かれるとそうでもない。もう一つ気になった点があった。その人形はバラバラではなく、首から足先までが胴体と繋がった状態でうつぶせになって倒れていた。顔はよく見えない。黒く長い髪を振り乱し、隠れているからだ。


 着用した白衣は肩から膝下までをすっぽりと覆い隠しており、唯一見えるのは足元の部分だけだった。その二本の脚は赤みの強いストッキングと踵の高い白のヒールを履いている。一見して、これもまた女性のようだ。


 さらに注目したのは、その人形の背中だった。白衣の上に、新聞の切り抜きが一文字ずつ散らされていた。


 私は人形の背中をよく照らした。


「な……ナ、ン、ジ……」


 目を細めて、切り抜かれた新聞の文字を、上から横に一文字ずつ声に出して読みあげる。はたしてこれが横読みなのか、縦読みなのか、それすらわからずに声に出した。すると……


「う、ん……」


 倒れている人形から、微かな声があがった。私は手にする懐中電灯を、またも落としてしまった。


 転がるそれが人形の顔を照らすと、人形は体を震わせて光から顔を逸らした。


「だ、大丈夫かっ?」


 気づいたら私は、人形の肩を叩いて体を揺さぶっていた。


 なんてことだ。これは人形じゃない。生きている人間だ。しかもこんな、劣悪な場所で一人、倒れていたなんて。


「しっかり! しっかりするんだっ」


 声をかけ続けながら、私は“彼女”を抱き起した。華奢な体を表にすると同時に、絹のような長い髪が横に流れ、その顔を現した。


 私はこれでもかと目を見開き、息を呑んだ。いや、まさか。そんなはずはない。そんなことはあり得ない。これは他人の空似だと、頭が目の前の事実を否定する。


「嘘、だろ」


 ポロリと落ちた台詞は私の口から出たものだった。ただ“彼女”の顔を見ただけなのに、心臓が早鐘を打ち始めた。


 嘘だと繰り返し否定する私の視界が、みるみるうちにぼやけ出した。こんなにも視界が不明瞭では、幻覚を見たとしてもおかしくなかった。しかし、私が“彼女”を見間違えるはずがない。


 ああ、馬鹿な。そんなことがあるなんて。


 私は震える唇を懸命に動かし、“彼女”の名を呼んだ。


「み、か……」


 美香。それは私の恋人の名前だ。生涯愛し続けると誓った、ただ一人の女性の。


「……う、ぁ……」


 起き抜けで擦れた声が、私の呼びかけに答えようとする。もう一度、「美香」と、極めて優しく名前を呼んでやると、彼女は私の腕の中で僅かに蠢いた後、両方の瞼を持ち上げた。


「うぅ……だ、だ、れ……? ここ、は……」


 戸惑う彼女の声が、私の感情を爆発させた。


「美香!」


「え……?」


 私は美香を、強く抱き締めた。当然、彼女は何が何だかわからず、私の腕の中で困惑する。わかっている。本来なら抱擁など後回しだ。今は彼女に現状を伝え、ここから脱出することが先決だということも。


 だが。だが、今は……今だけは……!


「私だ。美香……わかるか? 真だよ。佐藤、真だ」


 少しだけ顔を離しつつ、美香へ問う。震える彼女はおずおずとしながら「ま、こと……さん?」と私の名を呼び返した。


「ああ、そうだよ」


 涙ぐむ顔を心配するように、美香は表情を曇らせた。ああ、いけない。これ以上彼女を不安にさせては。そう思うのに、反して涙はポロポロと零れた。


 美香がいる。彼女は生きていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ