想定外
「くそ! なによあれは!」
軍部の上階、高台の窓から様子を見ていたトルネラが焦ったような声を上げた。彼女は自らの予想が外れたこと、そしてメヴィという不穏分子が力を得てしまったことに腹を立てている。弓騎士が暴走するのは計算済みだ。被害を抑えるために優秀な人材は中庭から遠ざけておいた。異変が義勇兵に伝わってメヴィ小隊が駆けつけるのも計算の内。しかし、そこであわよくば両方とも始末しようと思ったのが間違いである。二兎を追う者は一兎をも得ず。結果としてメヴィが力をつけるという最悪の事態になった。
トルネラは瞬時に思考を巡らせ、このままメヴィを放置した場合の危険度を考える。魔導砲弾はすでに撃ち込まれた。まだ一発だが、勘の鋭い彼女ならば軍が敵対したのはすぐに察するだろう。問題はトルネラが、さらに言えばフィリップが裏で糸を引いていると気づかれることだ。事前にフィリップから手を出すなと忠告を受けたにも関わらず独断で潜入し、副官を傀儡にして攻撃、それが失敗に終わりトルネラの存在が見つかれば大失態である。
もっとも、トルネラは知らない。すでにアルジェブラの願いがメヴィに託され、彼女の中でフィリップが敵として定まっていることを。
「こうなった以上は手段を選べないわ。ケリー! 今すぐに指示を出しなさい!」
洗脳済みの副官を呼んだ。
「弓騎士アルジェブラは裏切り者だ! 奴によって多くの同胞が犠牲になった! 我らが優秀な兵士によって弓騎士は討たれたが、奴の協力者がまだ残っている! 全兵力を持って逆賊、義勇兵どもを殺せ!」
トルネラが叫ぶ。彼女の命令を聞いた副官が威勢よく返事をした。ヴィクトル総指揮官がアルジェブラに殺された今、ケリー副官が暫定的な責任者だ。
かくして未だ混乱が収まらない拠点に新たな指示が下される。西方蛮族という共通の敵がいるにも関わらず、メヴィ小隊とパラアンコ軍が敵対した瞬間であった。
◯
「……うん?」
暗くなりつつある林の中、馬を走らせていたピッチがふと止まった。糸が切れたような感触が呪痕から伝わったからだ。
「弓騎士の種が消えた……?」
彼女は不思議そうに眉を寄せる。種が消えたということは、弓騎士が死んだことを意味する。しかし、弓騎士が死んだにしては早すぎる。彼女に植えた種はピッチが多くの魔力を込めた特別なものだ。そう簡単に倒されるはずがない。
「でもまあ、弓騎士が死んだならいっか」
何が起きたのか不明だが、少なくとも弓騎士が死んだのは確かだ。それだけでも十分である。かの騎士にどれほどの同胞が屠られたか。きっと今頃はパラアンコ基地も混乱しているだろう。どれほどの被害が出ているかわからないが、弓騎士を素体にした菌糸人形ならば壊滅的な被害が出ていてもおかしくない。
「きっと兄様に褒めてもらえるぞ。ふふ、さっさと義勇兵を始末して帰ろう……痛っ……!」
思い出したような激痛が脇腹に走る。“雨乞いの魔女“エレノアから受けた傷はまだ癒えていない。だが止まるわけにはいかないのだ。今こそパラアンコ軍を叩く絶好の機会であり、何よりも兄の期待がかかっているのだから。
「あーあ、弓騎士がこんなに早く討たれるのは意外だったな。軍の主力部隊とか厄介な“栄光玉砕”はシャルマーンと戦っているはずなのに……」
いったい誰が暴走した弓騎士を止めたのか。一番に思い浮かぶのはやはりあの腐敗を宿した少女。だが学院で会ったとき、弓騎士に勝てるほどの力はなかったはずだ。ピッチは得体の知れない悪寒がした。目覚めてはいけない何かが生まれたような気がする。考えれば考えるほど嫌な予感が脳裏に浮かび、ピッチは顔をしかめた。
パラアンコ軍の基地で何かが起きた。原因は間違いなくピッチが植えた種だが、その結果が必ずしもピッチにとって喜ばしいものとは限らない。
「ピネ様!」
前方から斥候のカーリヤ人が現れた。
「基地の様子はどう?」
「敵の総指揮官が討たれ、混乱が広がっています。損害の規模は不明。弓騎士は義勇兵によって排除されましたが、どうやらそれがきっかけで軍と義勇兵が争いを始めたようです」
ピッチは首をひねった。なぜ敵同士で争っているのだろうか。不思議に思いつつも彼女は「まあいいか」と考えるのをやめた。当初の想定とは違うがカーリヤ族にとっては好機だ。
「それなら私は基地から出てくる義勇兵を監視するよ。あなたは兄様のもとへ情報を伝えなさい」
「承知しました! ご武運を!」
斥候と別れてパラアンコ軍基地へ向かう。情報がロネに伝わればカーリヤ族の本隊が敵基地へ攻め込むだろう。そして総指揮官を失ったパラアンコ兵は混乱し、なすすべもなく蹂躙される。
もしも作戦が成功すれば、この長きにわたる戦いがようやく終わる。否、終わらせねばならない。戦場に散った同胞たちに報いるために、今度こそ勝利を掴んでみせる。そして兄に褒めてもらうのだ。流石は我が妹だ、と。
ピッチはよりいっそう速く馬を走らせた。
◯
カーリヤ族の街、プーレリアに大柄の男がいる。岩のように盛り上がった筋肉。獣にも劣らぬ太い首。大きな斧を背負い、騎士の呪痕を刻んだこの男は“黒熊”ボルドー。かつてウサック要塞の高台でメヴィと交戦した一級騎士だ。こたびの戦いには参戦せず、プーレリアの守護を命じられている。メヴィに傷つけられた右腕は完全に治っているものの、腐敗による酷い傷跡が残っていた。
仁王立ちをする黒熊。彼は風に乗って嫌な空気が漂っているのを感じた。熊の嗅覚は鋭い。遠く離れた地で起こる戦いの空気すら感じとれるほどに。
「また奴が現れたか。やはりウサック要塞で摘んでおくべきじゃった」
彼はメヴィの急速な成長を本能的に感じ取った。さらに彼女がカーリヤ族にとって災厄になるであろうという確信もあった。ゆえに顔をしかめる。自らが取り逃した敵であるため。
「こちらにいらしたのですかボルドー様。もうすぐ日が暮れます。夜番は我々にお任せください」
若いカーリヤ戦士が声をかけた。緊張のせいか声が震えている。彼らにとってボルドーは英雄だ。彼の英雄譚は小さい頃に何度も聞かされた。カーリヤ戦士であれば誰もが憧れる一級騎士である。
そんな英雄は萎縮した青年の肩を軽く叩いた。もっとも、本人は軽く叩いたつもりだが青年は思わず転びそうになった。
「肩に力が入りすぎじゃ若者。わしのような老いぼれに震えるようじゃ戦争で生き延びれんぞ。世界には化け物のような奴がたくさんいる。わしなんぞ足元にも及ばんような奴らがな」
青年は「そんなまさか」とボルドーが冗談を言ったのだと思った。だが老齢の戦士は真面目な表情をしていた。彼はその目で見てきたのだ。
「わしが若い頃は優秀な戦士がたくさんおった。パラアンコ人を震え上がらせた英傑たちの話は、お主も聞いたことがあるじゃろう?」
「歴代の族長たちの逸話は何度も教えられました」
「族長だけじゃないわい。ありあまる才によって帝国の初代魔導大臣から声をかけられたにも関わらず、カーリヤ族を守るために断った魔術士がいた。迫害されてプーレリアに逃げ延び、想像を絶する努力で上級騎士になった小国の末裔がいた」
「彼らは今、何をされているのですか?」
「みな死んだよ。終わりなきこの戦いによってな。そしてわしのような老いぼれだけが残った。まこと、残念なことじゃ」
ボルドーは一瞬だけ遠い目をした。彼の瞳に、今は亡き戦友たちの後ろ姿が映る。
「ボルドー様がおられるからこそ、このプーレリアは戦火から逃れられているのです。あなたは我々に必要なお方です」
「いいや、わしが必要だとまずいんじゃ。世代は移り変わらねばならん。老いた者は退き、新たなる芽を育てる必要があった」
「それは……」
ボルドーの憂いを青年は理解できない。だが残念そうに語る英雄の横顔はまるで急速に老け込んでしまったかのように見えた。高台に風が吹く。時代の移り変わりを告げる風だ。喜ばしいものではない。カーリヤ族にとってはひどく冷たくて恐ろしい風だから。
「踏ん張れ若者よ。わしらは守らねばならん。偉大な先人たちが残したこの地を、我らの愛するカーリヤを未来に繋げる使命がある」
「もちろんです。パラアンコ人どもに地の味を教えてやりましょう!」
まだ手が震えているものの、青年は威勢よく返事をした。ボルドーが目を細める。あと数年もすれば、この青年もカーリヤを守る優秀な戦士になるだろう。だが今ではない。今はまだ、足りない。
間に合うだろうか。この果てなき空の向こう側から伝わる、歪んだ腐敗の魔導元素がカーリヤに襲いかかったとき、自分は民を守れるだろうか。
“黒熊”ボルドーは肌をさする。一級騎士の呪痕がひどく頼りないように見えた。




