私は隊長だから
戦いは当初の予想以上に長引いた。戦争開始から早数十日。戦況はこう着状態に陥った。
西方蛮族はピッチが戦線離脱したことで決定打に欠け、優位を取りながらも拠点まで攻めきれない。そもそも両者の戦力差には大きな開きがあり、今まではウサック要塞での籠城戦やピッチの暗躍によって勝利をおさめてきたが、今回は平野での戦いであるため西方蛮族にとって不利だった。
逆にパラアンコは序盤の戦いで菌糸人形の特性を知らずに戦い、優秀な戦士を多数失ってしまった。加えて北方のシャルマーンとの戦いに戦力を割いていること、弓騎士が本来の実力を発揮できないでいること、フィリップの不在や、彼の指示によりメヴィたち以外の義勇兵がいないことで劣勢に追いやられている。
結果として両者の戦力は拮抗し、もはや戦争の早期終結は難しい状況となった。
◯
「イタッ、あいたた……エマ、もうちょっと優しくしてください。染みて痛いですう」
「無茶をするからだ馬鹿者。隊長が先頭で戦ってどうする」
「隊長だからこそ前に立ってみんなを引っ張るんです。それに私の魔術は後ろで撃つと大変なことになりますから。エマも背中から溶かされたくないでしょう?」
「お前は味方を撃つようなヘマをしないだろうに。まあいい、この程度の怪我で済むなら私でも手当てができる」
エマに包帯を巻いてもらいながら軽口を言い合う。連日の戦いは私の柔肌に少なくない数の傷を刻んだ。エマみたいに鎧を着ていたら怪我をしなくて済むのだけどね。今だけは騎士の頑丈な肉体が羨ましい。
「こんなものでいいだろう。今からどうするのだ?」
「まだ時間がありますし、負傷した仲間の様子を診にいこうと思います。みんなうまく隠していますけど、実は私以上にぼろぼろなのは知っていますからね。まったく、怪我をしたなら教えてくれないと心配してしまいます」
「……そうだな、本当にそのとおりだ」
エマが「お前がそれを言うのか?」と言いたげな顔で見てきた。はて、何のことやら。私は邪教徒シスターの治療薬があるから平気です。
というか私と同じくらい前線で戦っているエマが無傷に近いのは何故だろうか。あなたちょっと頑丈すぎません? 順調に上級騎士の道を歩むエマ。相棒として私も鼻が高い。
長居するとエマの視線が痛いから早々に退出した。どうせ帰ったらまた小言をもらうだろうけど。最近のエマは過保護だと思う。ちょっと怪我しただけで過剰はほど心配をしてくる。部隊のみんなもそう。私を子ども扱いして後方に回そうとする。
そんな彼女たちだからこそ、余計に反動のことは言えない。言えばきっと前線に立つどころか魔術すら使わせてくれなくなる。そんなのは御免だ。私はお飾りの隊長になるつもりはないのだ。
支え合う関係はこの世でもっとも美しい。私がみんなを守り、みんなが私のために戦う。そうしたら私たちは心の奥深くで通じ合う。どれだけ遠くで戦っていても繋がっていると思える。
「嬢ちゃん、さっきはありがとうな! 目の前に敵兵が現れたときはもう駄目かと思ったが、嬢ちゃんのおかげで助かったぜ!」
歩いているとたまに声をかけられる。他の部隊の味方だ。驚くべきことに彼らの大半は私を怖がらない。最初こそ怯えたような目で見られたけど、戦っているうちに私たちのことを認めてくれた。
「はーい、どういたしまして。拾った命は大切にしてくださいね」
手を振ると少年のように笑う兵士たち。今日も激しい戦闘だったのに元気だね。パラアンコ兵は頑丈だ。崩壊しかけの国に残った変わり者の集まりだから、ちょっと劣勢になったぐらいでは落ち込まない。
「ここに負傷者が集められているんですね……ふええ、ひどい匂い。半日もいれば頭が変になっちゃいそう」
負傷した兵士が集められた部屋はすえた匂いがした。淀んだ空気。治療薬を求める声。死にそうな顔。蛆、蝿。
患者と同じぐらい真っ青な祈祷士たちが懸命に治療をしている。何日も寝ていないせいで思考が麻痺したのだろう、とある祈祷士が助かる見込みのない兵士に治癒をかけようとし、魔力がつきて部屋の角で吐いていた。それからすぐに立ち上がり、再び兵士のそばで治療を始めた。
それらの光景を見た私は、エチェカーシカが街を離れてよかったと思った。彼女はたぶん耐えられないと思う。
「げっ、メヴィ隊長……どうしてここに……?」
部隊の一員を見つけた。ちょうど不気味な色の治療薬を傷口にかけようとしている。彼はオリバー。ウサック要塞の生き残りの一人だ。
「げって何ですか。さあこっちに来て。質の悪いその薬は祈祷士に返してきなさい」
「痛みを我慢して戦えって言うんですか? いくらなんでも無理ですよ。まあ隊長がやれって言うなら頑張りますけど……」
「そんなわけないでしょ……きちんと治さないと腕が腐り落ちますよ。さあ早く」
オリバーの手を引いてベッドに座らせると、他の負傷者に見られないよう注意しながら治療薬を出した。オリバーが「メヴィ隊長の大切な治療薬じゃないですか! そんなもの俺には使えません!」なんて言い始めたけど無視して傷口にかける。
「まだ予備がありますから他のみんなにも渡してください。もちろん軍には見つからないようにですよ。心苦しいですが、彼らに分けるほど持っていないので」
「なら俺たちよりもメヴィ隊長が怪我をしたときのために温存したほうが……」
「自分の分はあるので気にしないでください」
何のために大量の治療薬をシスターから買ったと思っているのだ。治療をケチったのが原因で死んだら笑い者である。傷口を塞ぐとオリバーの顔色は幾分落ち着いた。そして心の余裕ができたせいか、普段は口にしない弱音をこぼした。
「……隊長。俺たちは生き残りますよね。全員でカタビランカに帰れますよね?」
「もちろんですよ。私の小隊はしぶといです。サミダラ要塞の地獄を乗りきったんですから、今回だって生き残りますよ」
そう言ってもオリバーは安心しなかった。彼は遠い目をしながら語り始めた。
「ウサック要塞で初めてメヴィ隊長に会ったとき、俺は隊長についていけば怖いものなんて無いと思っていました。だから、青い顔をするポルナードに『隊長様がいるから大丈夫だ』って言ってやったんです」
祈祷士の祈りや患者のうめき声が聞こえる中、オリバーはポツリポツリと喋る。ウサック要塞の戦いが懐かしい。あの時は押しつけられた隊長だったけど、今はオリバーたちの隊長でよかったと思っている。
「なんでポルナードが震えているのか理解できなかった。でも今ならわかる。ポルナードには職人になるっていう夢があった。生きて帰る理由があった」
「オリバーにだって生きて帰る理由はあったでしょう?」
「いいえ、俺は戦争で職を失いました。家族も失いました。これ以上失うものがないから、俺はあのとき笑えたんです。でも今は怖い。俺たちの小隊が戦場の炎に飲み込まれてしまうと思うと居ても立ってもいられない」
オリバーが私の手を掴んだ。傷だらけのゴツゴツとした、戦士の手だ。
「メヴィ隊長。どうか俺たちをつれていってください。たとえ死んだとしても側にいさせてください。あなたの目に映る世界を、俺たちにも見せてください」
オリバーは今にも泣きそうな顔で懇願した。私みたいな小娘に本気でついていこうとしている。
つんとすえた匂い。ぶんぶんと飛び回る蝿の音。床に染み込んだ血。そして私の手を掴むオリバー。
私はこの瞬間、本当の意味で自覚した。私は隊長だ。ただ部隊を率いるのではなく、死した同胞の意志を背負い、彼らの願いのために戦わなければならない立場なのだ。私たちは繋がっている。ならば彼らの願いもまた私の願い。それがオリバーに夢を見せた私の責任ではないか。
「大丈夫ですよ。誰か一人でも生きている限り、私たちの小隊はなくなりません。オリバーが死んだら私が、私が死んだらエマがみんなの願いを継ぐ。私たちの小隊は不滅です!」
安心させるように笑った。小さい頃から私の笑顔は不気味だって言われてきたけど、オリバーは一緒に笑ってくれた。
「他に願い事はないですか? 言うなら今のうちですよ?」
「それじゃあ俺に良い人を紹介してください。できればエルマニア姐さんみたいな怖い女性じゃないと嬉しいです。あとは普段の任務にも連れていってほしいのと、また学院の話を聞かせてほしいのと、それとメヴィ隊長のお師匠様にご挨拶をさせてください!」
「欲張りですねえ。でもいいですよ。全部は無理かもしれませんが、手の届く範囲はすべて叶えます」
捨てられる辛さをオリバーたちに教えてはならない。孤独の寂しさを教えてはならない。だから私は戦う。自分のためではなく、大切な小隊のために。
「私が、あなたたちの隊長です」
私は誓った。オリバーはやっぱり泣きそうな顔をしていた。




