悪魔の魅力
およそ一年ほど前、難攻不落といわれたウサック要塞が陥落した。その衝撃は凄まじく、ウサック要塞での戦いは様々な脚色をされながらも盛大な物語として兵士たちに広まった。
単身で敵の指揮所に飛び込んだ栄光玉砕。超遠距離からの狙撃で西方蛮族を磔にした弓騎士。もしくは表舞台であまり語られないが、要塞をあえて迂回することで西方蛮族の援軍を防いだバーミュル開拓部隊や、危険をかえりみずに負傷者を救った祈祷士たち。
そんな華々しい物語の中で『ウサックの悪魔』という呼び名は異様な存在感を放った。彼女が討ち取った敵の数はそれほど多くない。しかし彼女の扱う魔術があまりにも不気味でかつ、直撃した西方蛮族が凄惨な死に様をしたことで兵士たちの記憶に焼きつき、さも恐ろしげに語られるようになった。
兵士の中には噂を信じていない者もいる。むしろ常識のある戦士ならば笑い飛ばすのが普通だろう。タチの悪いプロパガンダ、もしくは長く戦場にいすぎて頭がおかしくなった兵士の妄言だと。
だが『ウサックの悪魔』について聞かれたとき、あの戦場を経験した兵士は誰もが青ざめた顔で語った。そしてごくわずかな兵士がまるで狂信者のような顔で少女の偉業を広めた。
「あれが魔女の弟子か……」
トールマン、という名のパラアンコ兵が呟く。彼の目に映っているのは、死体と腐敗の海に立つ少女。死体の山に剣を突き立てる一匹の悪魔。周囲に蜃気楼のような煙が立ち込めている。腐敗溜まりからのぼる煙がときおり亡霊のように姿を変えながら少女の周りを囲んだ。
「ボサッとするな、巻き込まれる前に退却するぞ」
戦友が腕を引く。最前線に立ったときでも怯えなかった戦友が、今は卒倒しそうなほど青い顔で震えていた。
「彼女たちの加勢をしなくていいのか?」
「加勢? 馬鹿を言うな。奴らについていけばどうなるか、知らないのか?」
戦友が指差した方向を見た。ウサックの悪魔を慕う義勇兵たちが続々と集まっている。腐敗溜まりの手前で立ち止まった彼らは陣形を整えて静止し、隊長が戻るのを待った。彼らの顔は活き活きとしていた。ここが戦場であることを忘れたかのようだ。
「あれに飲み込まれたら帰ってこれない。ほら見ろ、奴の影響を受けちまった馬鹿がいる」
ふらふらとした足取りで悪魔部隊に近寄るパラアンコ兵がいる。彼の表情を見た瞬間、トールマンは背筋に悪寒が走った。兵士がまるで亡霊に憑かれたような顔で笑っていたからだ。やがて兵士は悪魔部隊の最後列に並ぶと、最初から一員だったかのように敬礼をした。飲み込まれたのだ。かの少女が放つ狂気に。
「突撃ばかりするどこぞの騎士も恐ろしいが、アレも同類だな。強すぎる力ってのは俺たちみたいな凡人を飲み込むんだ。お前も気をつけろ」
部隊の仲間に気づいたのか、少女が慌てた様子で死体の山から飛び降りた。バシャッと腐敗溜まりが跳ねる。数多の亡霊の影を背負いながら少女が部隊と合流した。それから血で汚れた国旗を掲げると、大きな声で「さあ! このまま敵の喉元に食らいつきますよ!」と叫んでいた。
雲の切れ目から太陽がさす。藍に近い深緑の髪が艶やかに輝く。戦場のふとした瞬間に現れた、絵になるような光景。
トールマンは見た。太陽の光に照らされる少女の瞳は、決して十四歳の少女とは思えないほど濁っていた。まるで何年もの間、絶望しながら生きたかのような悍ましさを宿しながら、かの栄光玉砕にも劣らない引力を持つ、そのアンバランスさが一般兵の目を惹きつける。ああ、たしかに悪魔だと。
「さあ、早く部隊と合流を……おいトールマン、どうした。まさか……」
まるで輝かしい綺羅星を見たかのようだった。周りは彼女を悪魔と呼ぶ。たしかに先ほどの光景を見れば噂が真実だったと嫌でもわかる。だがトールマンは嫌悪するどころか悪魔の力に賞賛を送った。
「美しい」
輝かしい光があたるほど、少女の内包する闇が濃さを増す。どろどろとした魔導元素があらゆる光を飲み込まんとする。この狂った戦場でかくも美しく輝けるものなのか。トールマンは無意識のうちに足を踏み出していた。近くに立つ同僚が必死に呼び止めようとするが、そんなことは気にならないほど、彼は戦場に立つ少女に目を奪われていた。
「全員突撃!」
号令とともに悪魔たちは馬を走らせた。滲み出した瘴気が部隊全体を覆っているように見える。部隊の戦士たちが勇ましく吠えた。悪魔は嬉しそうに笑い、地を震わせるような蹄の音を響かせながら西方蛮族に突撃した。
◯
ロネ・ドロシーは西方蛮族において正しく英雄だった。彼がカーリヤ族にもたらした勝利は数知れない。ひとたび戦場に赴けば百戦百勝。カーリヤ族が長きにわたってパラアンコの支配に抵抗できているのは彼の存在が大きい。
「異分子の一角が現れたか。中央を下げよ。ここからは消耗を抑えながら慎重にいく」
彼の瞳に赤黒い瘴気をまとった一団が映る。腐敗の魔術を操る義勇兵。かの少女の話はピッチから聞いており、たとえ十四歳の小娘だとしても一切侮らない。そもそも魔女を妹にもつロネにとって魔女の弟子という肩書きは意味が少々重い。魔女は化け物だ。ゆえに化け物の弟子もまた人外に足を踏み入れる者。
「ロネ様! 弓騎士率いる破弓部隊が勢いを増しています!」
脅威はメヴィだけではない。弓騎士を始めとした名のある騎士や魔術士がまだまだパラアンコには控えている。敵は腐っても大国。シャルマーンと戦争をしながらこれだけの戦力を投入できるのだ。楽な戦いではない。
「騎士隊を前面に出せ! 敵に矢を消耗させろ!」
超遠距離から大砲のような威力の矢が飛ぶ。弓騎士アルジェブラの持つ大弓の一撃。それは戦場の地形を変えるに十分な破壊力だ。
だがカーリヤ族は代々騎士の家系。弓騎士の矢に怯えるような戦士はおらず、誰もが勇敢に盾を構えて破弓部隊を迎えうった。直後、激突。激しい火花をあげながら、カーリヤ族の騎士隊と破弓部隊の矢、そして背後から迫るパラアンコ本隊が衝突した。
(奇妙だな。ピッチの報告では弓騎士を無力化したと言っていたが――)
敵部隊の動きは驚くほど俊敏だった。
ロネは知らない。アルジェブラは確かにピッチによる魔術を受けた。だがカタビランカに帰還してから毎日のように高価な魔法薬を飲むことで、回復とはいかずとも魔術の進行を大幅に遅らせていた。魔女の弟子として莫大な知識を叩き込まれた少女が、資金に糸目をつけず調合した魔法薬は、ピッチの魔術に抗えるだけの効力をたしかに発揮したのだ。
さらにいえばメヴィとポルナードによる魔導具の影響も大きい。ポルナードの音魔術を用いて発明した、声を伝達する魔導具はパラアンコ兵のスムーズな連携を可能にした。まだ試作段階であり、しかも作成できるのはメヴィとポルナードに限られるため数は少ない。それでも将校同士の意思疎通がしやすくなったのは大きな変化だった。
「義勇兵小隊、中央側面に急接近! 抑えられません!」
ロネの思考が瞬時に引き戻される。いつの間にかメヴィ率いる小隊がカーリヤ族の本隊に食らいついていた。無謀にも見える突撃。しかしかの小隊の士気は異様なほど高く、孤立しているように見えながらも破竹の勢いで進軍した。
自由にさせてはまずい。個の力で戦況を覆すなどあってはならない。
「対魔導部隊を出せ。シャルマーンに大金を払って借りたのだ、十分に活躍してもらうぞ」
ロネの指示によって、赤硝の鎧を着た兵士が戦場に現れた。もはやシャルマーンの後ろ盾を隠そうともしない。そもそもウサック要塞の城壁に使われている耐魔導合金も原料は赤硝だ。今さら隠したところでパラアンコの将兵は勘づいているだろう。
対魔導部隊がメヴィの小隊とぶつかった。サミダラ要塞にてパラアンコ兵を散々苦しめた赤蟻部隊。その力は此度の戦場でも健在である。義勇兵が放つ魔術はことごとく赤硝の鎧に弾かれた。
「……ふん、化け物め。やはり奴だけは止まらんか」
ただ一人、魔女の弟子が放つ魔術だけは赤硝の鎧を砂糖菓子のごとく溶かす。いつの間にか少女の周囲には赤黒い剣が二本浮かんでいた。彼女が握る剣と同じものだ。宙に浮かんだ剣はまるで意思を持つかのように戦場を飛び回り、少女に襲いかかる対魔導部隊を鎧ごと貫いた。
魔女の弟子が止まらない。よく見れば少女の隣に立つ女騎士も地味ながら目を引く戦いぶりをみせている。猛進する二人の義勇兵。単騎の破壊力としては明らかに頭一つ抜けていた。
だが対魔導部隊で彼女たちを止められないのは想定どおりだ。初めからまともにやり合うつもりはない。ロネが指示を出した。冷酷に、合理的に、濁流のような情報をさばきながら、対魔導部隊をぶつける。
「敵義勇兵部隊、失速! 勢いが落ちました!」
「そのまま包囲しろ。だが深追いはするな。奴の魔術は学院の一角を吹き飛ばしたという。下手につつけば虎の尾を踏むぞ」
魔女の弟子は体力がない、という情報をロネは掴んでいた。時間をかけて消耗させればさほど脅威ではない。むしろ様子のおかしい弓騎士のほうが動きが読めなくて厄介だ。
ロネは堅実に兵を動かした。ピッチから話を聞いたときからメヴィの対策は練られている。ゆえにどれほど自陣の兵が飲み込まれようとも焦らない。すでに包囲網は完成し、あとは時間をかけてメヴィを落とす。そうやって開拓部隊隊長のバーミュルや弓の名手と呼ばれた赤蛇を討った。
やることは変わらない。そのはずだった――。
「……落ちないな」
メヴィが、ではない。彼女の小隊が一騎として落ちない。包囲網の中で異常なほどの生命力を発揮している。まるで窮地に陥っているのが嘘のように彼らの士気は高い。
あの娘だ。奴の狂気が味方の恐怖を上塗りするのだ。
メヴィを討ち取らない限り、かの小隊の士気は落ちないだろう。否、メヴィを討ったとしても止まるかどうか。徐々にロネの表情が曇る。掴んだはずの流れがいつの間にか奪われているような感覚。
「ロネ様、敵部隊が急接近! 包囲網が崩れます!」
「動ける敵部隊はいなかったはずだ。どこの部隊だ?」
「星を串刺しにした槍の紋章です!」
「ちっ、バーミュル開拓部隊の残党か」
戦場の一角からパラアンコ部隊が躍り出る。薄汚い格好に貧相な鎧。だが見た目に反して肉体は鍛え抜かれており、長槍や斧槍を巧みに扱いながらカーリヤ族をなぎ倒す。バーミュル開拓部隊の生き残りだ。総勢五十名ほどの少数でありながらも全員が呪痕を刻んだ騎士。騎兵にも劣らぬ脚力で戦場を駆ける様はまさに蛮兵。
特攻とも呼べる突撃によって包囲網に穴が空いた。すぐさま塞ごうとするも、パラアンコ魔術士部隊による援護が邪魔をする。開拓部隊の先頭がついにメヴィと合流した。互いにひどく消耗した様子。だが士気は上々。一言二言話した後、メヴィの部隊が包囲網の外へ向かって後退する。
「ロネ様、逃げられます!」
「近くに菌糸人形はいるか?」
「先の戦いで全て投入しました!」
「……まあいい。痛み分けとしては我々が優勢だ。兵を下げよ。もたもたしていると余計な被害を生むぞ」
ロネは不機嫌そうに鼻を鳴らした。手を抜いたつもりはない。しかし不確定要素による出来事はロネの頭脳でも予測できない。メヴィを討っていれば明日からの戦いは楽になるはずだった。
――もしも自分にもピネのような力があれば。
王は拳を握る。自らの不甲斐なさを隠すように。
「ロネ様……我々は勝てますよね?」
「勝つさ。この程度の苦境は何度も越えた」
力強い眼差しで前を見つめた。戦いはまだ始まったばかり。




