水害の爪痕
花街で以前使った料亭に向かい、ナヲが獣だとバレないように注意しながら食事を済ませた。ナヲは本当に大食いだ。雑食で何でも食べるらしく、みるみるうちに食卓から料理が消える光景はいつぞやのマダムにそっくり。お腹を満たした私たちは地下三階の貧民街に向かった。
エレノアの水害が最も深刻だった貧民街は未だ復興が間に合っておらず、家屋を失った住民が地下道の隅でうずくまっている。彼らの表情は暗い。貧民街という場所が生きる希望を奪ってしまうのだ。苔むした石壁。錆びて壊れたランプ。水はけが悪くヌメヌメとした煉瓦。広大な地下水道をそのまま街にしたような貧民街は、花街や魔導地下街と違って天井が低く、ひどい腐臭と湿っぽい空気がする場所だった。
「ナヲ、先に帰っていますか?」
「ナヲー……」
この数日でわかったけど、ナヲは綺麗好きだ。毎日のように水浴びをするし、寝るときも私たちと同じベッドに入りたがる。大食いだけど食事も綺麗だし、獣臭もあまりしない。
そんなナヲにとって貧民街は好ましくないはずだ。でもナヲは私を離れなかった。首元に巻きついたまま小さく鳴いている。
「我慢できなくなったら途中で帰っていいですからね」
石煉瓦の暗い道を進む。アーチ状の天井から水がしたたり落ち、捨てられた魔女新聞に当たって鈍い音を出す。今にも落ちてきそうな鉄格子が天井に嵌められ、その間を隙間風が勢いよく駆け抜けていく。
中央に近づくほど天井が高くなり、地下水道のような地形から地下都市と呼べるような街並みに変わった。やがて広々とした場所に到着すると、広場の天井に大きな穴が空き、そこから花街の光が差し込んでいた。私がエレノアとの戦闘で空けた大穴だ。
「まだ修復されていないんですね」
よく見れば広場の周りにぼろぼろの店が立ち並んでいる。大穴を見にきた住民に物を売るつもりなのだろう。私が空けた大穴が多少なりとも街の経済に影響を与えているらしく、なんともたくましいものだと感心した。
今日は大穴を見にきたのではない。広場を抜けて横道に入り、少し進んで目当ての建物に入る。
中は小綺麗に掃除がされており、修理済みの魔導具やその材料が棚に並べられている。店の奥からどたどたと慌てて走ってくるような音が聞こえた。
「メヴィさん! お、お久しぶりです!」
「元気そうですね、ポルナード君。お店の調子はどうですか?」
「悪くないですよ。貧民街で魔導具を扱える人は限られていますし、前任者の常連客もいるので客足は多いです。まあ僕の腕がともなっていないのですが……」
ここは前任者・ジャックロー技師が使っていた魔導具屋だ。エレノアの一件以降、ジャックロー技師は街から消えた。彼は元々、貧民街の魔導具事情を一手に担っており、彼がいなくなれば住民たちは魔導具を直す手段がなくなってしまう。だから私たちで店を引き継いだ。ジャックロー技師から許可をもらっていないけど、貧民街に法は存在しない。勝手に住み着き、勝手に店を開き、勝手に去る。それがこの街のルールである。
そもそも貧民街に技師はほとんどいない。魔導具の知識があれば貧民街の外でも生計が立てられるからだ。あえて地下暮らしをするのは脛に傷がある者たちであり、そういった者は基本的に法外な料金を請求する闇技師だから、住民は結局、魔導具を修理できなくなる。
貧民街の環境は厳しい。魔導具がなければ暖のひとつすら取れず、冬を越せぬまま動けなくなって地下水道に放り込まれる。無論、潜在的な魔力の高い者だけが呪痕を刻めるように、魔導具も扱えるだけの魔力がなければ動かない。それでも魔力が高い者は貧民街にも一定数存在し、彼らは幾ばくかの金銭や物々交換により支え合っている。
「できていない魔導具を見せてください」
「そっちの棚に乗っているものは全部です」
「……多いですね。それに変なものも多い。この調合瓶みたいな魔導具は誰が使うんですか?」
「ああ、それは前にパシフィックさんが持ってきたんです。なんでも肌をより美しく見せるため薬を作る道具らしくて、花街の女性に頼まれたそうですよ」
ちゃんとパシフィックは花街のまとめ役をしているようだ。マダムが抜けた穴をパシフィックが埋められるか心配だけど、性的趣向を除けば比較的まともな男だから大丈夫だと思いたい。というか頑張ってくれ。花街で揉め事を起こされると義勇兵が駆り出されるのだ。
「そういえばメヴィ隊長と同い年ぐらいの女の子を連れていましたよ。しかもカーリヤ人でした」
「ああ、その子はパシフィックが保護をしているんです。ちなみに私のほうが年上だし大きいです」
「え? あまり変わらな……ヒッ! すみません!」
まったく失礼な少年だ。どうにもポルナード君は私に対する敬意が足りていない気がする。あなたの隊長だぞ。もしも機会があればポルナード君と新聞屋を会わせてやりたい。私がいかにまともで良識のある人間かわかるはずだ。
「あのー、ちなみにメヴィさんに言われたとおりの価格で修理をしていますけど、この店、薄利多売もいいとこですよね。もっと高く売らなくていいんですか?」
ポルナード君の言うとおり、この魔導具屋は非常に安い料金で修理を受けもっている。赤字スレスレ、場合によっては原価割れをしているほどだ。私は魔導具を修理しながら答えた。
「構いませんよ。儲けるつもりはありませんから」
「じゃあどうして……」
カランカラン、と呼び鈴が鳴った。小さな男の子が蓄音器のような魔導具を抱えている。格好から見て浮浪児だろう。少年は警戒するような鋭い目で私たちを睨んだ。
「ジャックロー技師の魔導具屋はここか?」
「そうですよ。今は私たちが修理をしています」
「これ、直せるか?」
「見せてください」
少年は一瞬、躊躇するように蓄音器を抱えたが、渋々といった様子で渡してくれた。見れば古い魔導具だ。使いこまれて回路が焼き切れている。本体にも無数の傷が刻まれ、作成者の名前が書かれているはずのプレートは擦り切れて読めなくなっている。少年の年齢から考えるに、もらったものか盗んだものか。わざわざ聞かないけど前者であればいいな。
「大事にされていたんですね。ここまで使いこまれた魔導具も珍しい」
「そんなことはいい。直せるのか?」
「直しますよ。待っていてください」
革製の手袋をはめてから回路をなぞった。それほど難しいものではない。ただ原型がないほど焼き切れているから復元が少し大変かも。ナヲを一度撫でてから気合いを入れた。
私の体から発せられる魔導元素が手袋から伝わり、回路となってゆっくりと魔導具に刻まれる。ばちばち、と紫色の小さな火花が飛び、そのたびに少年の肩が不安そうに跳ねた。
「おい、本当に大丈夫なのか?」
「問題なし。ばっちぐーです」
「壊れたりしないだろうな?」
「もう壊れていますよ。集中するので黙らっしゃい」
魔導回路を刻むのは決して簡単な作業ではない。魔導元素の量を間違えれば回路にダマができるし、綺麗に刻まないとまたすぐに壊れてしまう。少しでもずれればやり直しの繊細な作業。魔導具が動かないように左手で押さえつつ、私は神経を目と右手に集中させる。
見ていて楽しい作業ではないはずだ。でも少年はじっと私の作業を見つめていた。私が変な細工をしないか見張っているのか、それとも職人のような仕事が少年の琴線に触れたのか。どちらにせよ黙っていてくれるならありがたい。
結構な時間が経ったと思う。完成した頃にはポルナード君が居眠りをしていたし、少年も椅子に座ってうつらうつらと船を漕いでいた。
「起きてください」
「出来たのか!?」
勢いよく起きる少年。私もちょっとびっくり。
「完璧です。流石私。褒めていいですよ」
「本当に問題ないだろうな、触って大丈夫か、また壊れたら持ってきてもいいのか!?」
「落ち着いてください。大事に扱えば当分は壊れないと思いますよ。まあ持ってきてくれたら調整とか見ますのでいつでも来てください。私はあまり居ませんが、彼はずっと店にいますので。ね、ポルナード君」
「ほえ?」
寝ぼけた声で返事をするポルナード君。さては話を聞いていなかったな。まあ彼は基本的に戦場へ行かないし、軍からの依頼もあって魔導具に専念するから大丈夫だろう。
「わかった! ありがとうな姉ちゃん!」
いつでも来ていい、という言葉に安心したのか、少年は初めて笑顔を見せた。人懐っこい笑顔だ。貧民街という湿っぽい環境でなければ、彼はもっと明るい性格だったかもしれない。そう感じざるをえない顔。
少年が店を去ると、ポルナード君が大きく伸びをしながら話しかけてきた。
「ふああ、疲れた。メヴィさん、もっと店に顔を出してくださいよ。ほとんど僕に丸投げじゃないですか」
「フィリップ隊長から素敵なお願いをされるので仕方がないです。というか疲れたのは私ですよ」
「僕だって作業はしてましたし……あ、そういえばさっきの話ですけど」
「何の話でしたっけ?」
「儲けるつもりもないのに、なんでこの店を引き継いだのかって話ですよ」
蒸し返されちゃった。良い感じに誤魔化せたと思ったのに。
「特に理由はないですよお。店を放置するのがもったいないと思っただけです」
「本当ですかね。まーた変なことを考えていませんか?」
「私をなんだと思っているんですか」
道中の光景を思い出した。浸水して腐った家屋。水はけが悪くて未だ大雨の名残りがある路地。死体の腐ったような匂いがする地下水道。捨てられた誰かのぬいぐるみ。街中の壊れた街灯と魔導具。
きっと彼らは予想もしなかったはずだ。貧民街の天井に大穴が空き、大量の水と共に魔女が降ってくるなんて。
別に後悔はしていない。他に手段がなかったから。たとえ人道的にみれば誤った選択だとしても、エマや部隊のみんなを助けるためならば私は躊躇しない。
「まあ、手を差し伸べる程度の道徳心はありますよ」
「なんか言いました?」
「……なんでもないです」
手袋を脱いでポルナード君に投げた。彼は「あいたっ」と言いながら顔に張りついた手袋を取る。
ふと気づいたが、ポルナード君の手は戦場帰りのようにボロボロだった。でも彼は任務に参加していない。ということはボロボロになるほど魔導具の修理をしていたのだろう。
「ポルナード君は戦うのが嫌いですか?」
「そりゃあ嫌いというか、こうして職人のような仕事のほうが向いてると思いますが……」
立ち上がってポルナード君を見た。魔導具に埋もれる彼はどこか頼り気がなく、自信もなさそうで、でも戦場にいるときよりも活き活きとし、革手袋をはめる姿がよく似合っていた。泥にまみれるよりも、よっぽどポルナード君らしい格好をしていた。
「しばらく義勇兵は忙しくなると思います。最近は西の様子が怪しいですし、シャルマーンも奪われた要塞を取り戻そうとするでしょう。きっとさらに泥沼の戦いになる。そしてフィリップ隊長は嬉々として義勇兵を戦場に送る」
「ええ、そんな……ようやくメヴィさんたちが帰って来たから、部隊の全員が揃ったというのに……」
「だからポルナード君、店は任せましたよ。ここは貧民街にとってなくてはならない場所ですから」
「え? 僕も任務に参加するんじゃ?」
眠そうなナヲを優しく撫でてから立ち上がった。少し長居しすぎたようだ。そろそろ帰らないと心配性な相棒が怒ってしまう。
「フィリップ隊長にはうまく言っておきます。私、こう見えてちゃんと隊長をしているんですよ」
ふふん、と胸を張った。ポルナード君はなぜか複雑そうな顔をした。おかしいな、ポルナード君が戦場に行かなくて済むように手を回すつもりなのに。もっと喜んでくださいよ。ポルナード君のぶんも私たちが頑張りますから。
「メヴィさん、これをエルマニアさんに渡してもらえますか?」
「これは?」
「パシフィックさんからもらった、肌に優しい軟膏です。その、エルマニアさんってせっかく綺麗な肌をしているのに、戦ってばかりじゃないですか。だから使ってもらえたら嬉しいなって……」
パシフィックからもらった、という一言で片付けるにはいささか丁寧に包まれている。ははーん、なるほどね。私は口角が上がるのを自覚しながらポルナード君をおちょくった。
「私にはないんですか?」
「……えーっと……もう一ついります?」
「冗談ですよ。そんな野暮なことはしませんから。いやはや、ポルナード君も隅に置けませんね」
「ちょ、ちょっと! どういう意味ですか! 違いますからね!」
真っ赤になったポルナード君に手を振ってから、私は店を出た。さあ帰ろう。そして彼から預かった素敵な贈り物をエマに渡そう。来たときよりもずっと軽い足取りで義勇兵寮に向かった。




