不名誉な称号
パシフィックは貧しい家庭で生まれた。両親と妹の四人家族。仲睦まじい平凡な家庭だったが、父の稼ぎだけではとても家族全員を養うことができず、ついに父は志願兵としてシャルマーンとの戦争に参加した。家族を任せるぞ、と言って頼もしく父は笑ったが、その寂しそうな後ろ姿が最後に見た父の背中だった。
やがて長引く戦争のしわ寄せによって食糧が高騰し、子供たちを養えなくなった母は夜に花街へ出かけるようになった。パシフィックは申し訳なさそうにする母親を見送ってから、泣きじゃくる妹の面倒を見るのが日課だった。帰りが遅い日は花街まで母を迎えに行く日々。次第に嬢たちにも顔を覚えられて随分と可愛がられた。
ある日、母が客にうつされて伝染病に罹った。非常に致死率の高い病気だ。教会の治癒では治すことができず、仮に治療薬を手に入れられたとしても症状を和らげる程度。この頃のパシフィックは花街で店の手伝いをしており、持ち前の明るい性格で幅広い人脈を手に入れていたが、その人脈をもってしても母を治療する手段は見つからなかった。
やがて母の持ち帰った病気が妹にうつった。今度こそパシフィックは絶望した。なぜ自分ではなく幼い妹にうつってしまうのか。なけなしの路銀で治療薬を買い、無意味だとわかりながらも妹に飲ませた。怪しげな教会で祈りも捧げた。神は振り返らなかった。
そうしてパシフィックは天涯孤独の身となる。
あの頃から少年はずっと妹の面影を探していた。あの日、救えなかった小さな手を。
「――パシフィックさん、起きてください。ここで寝たら風邪引くです」
バッと飛び起きるパシフィック。どうやら花街の料亭で居眠りをしていたようだ。カーリヤ族の少女・パリータが呆れた様子でため息をつく。すでに店内の片付けは終わっているらしく、厨房から「起きたならさっさと帰りな!」と叫ぶ料理長の声が聞こえた。
「おはようパリータ。俺ってどれぐらい寝てた?」
「料理長が追い出すのを諦めて仕込みを始めるぐらいです」
「ならそんなにか。あの人は堪え性がないからな」
怒声がもう一度聞こえた。
ここは花街のとある料亭だ。パシフィックも子供の頃は何度か手伝いをしたことがあり、つい最近ではマダム・リンダと会談をした場所でもある。なにかと馴染みの深い店だ。
パシフィックは大きく伸びをした。かたまっていた関節をパキパキと鳴らしながら今日はどうしようかと考える。
「パリータは花街に馴染めたか?」
「みんな良い人たちです。カーリヤ人の私にも優しいです。嬢にならないかって誘われたです」
「……待て、誰に誘われた? 向かいの魔香亭か?」
「いいえ、酒楽館の大旦那です。私は見込みがあるって――」
「あの野郎! パリータには手を出すなって言ったはずなのに!」
パリータを勧誘しようとする娼館は少なくない。カーリヤ族に対する差別が根強く残る反面、逆にカーリヤ族の相手を好む客も存在するからだ。加えてパリータは幼いながらも整った顔立ちをしている。だがパシフィックは彼女に花を売らせるつもりは毛頭なく、カタビランカに来たときからずっと周囲の娼館に警告をしていた。
「どうしたんですかパシフィックさん。声が外まで聞こえましたよ」
カランカラン、と扉の鈴が鳴った。入ってきたのはメヴィだ。首元に暖かそうな白いマフラーを巻いている。
「やあメヴィちゃん。もしかして俺に会いたくなっちゃった?」
「まだ寝ぼけているみたいですね。よし、私の魔術で起こしてあげましょう」
「ハッハッハ、冗談だよ。君の魔術だと目覚めるどころか深い眠りにつきそうだ。それで何の用だい?」
メヴィは向かいの席に座ると、パリータに料理を注文した。厨房に走っていく後ろ姿を見送ってから口を開く。
「ちょうど貧民街に用事があったので立ち寄っただけですよ。パシフィックさんこそ油を売っていて良いんですか?」
「できる男は程よく手を抜くもんさ。メヴィちゃんこそ隊長から無茶ぶりされてるんじゃないの?」
「今は休暇中です。どうせすぐに戦いが始まりますし、今のうちに羽を伸ばすんです」
ちょうどパリータが料理を持ってきた。寝起きで空腹だったパシフィックは笑顔を浮かべる。だが運ばれる料理の尋常ではない数に一瞬固まり、常識を疑うような目でメヴィを見つめた。
「ちょっとメヴィちゃん、この量はさすがに多すぎじゃ――」
「また戦場に行くですか?」
「そうなんですよパリータ。しがない義勇兵は休む暇もなく戦場に駆り出されるのです。そして使い潰されるまで戦う……ああ、なんと過酷な仕事なんでしょう……」
「義勇兵、大変です。今日はゆっくり休んでください」
「パリータは良い子ですねえ。お兄さんは見つかりました?」
「いいえ、まだです。パシフィックさんが探していますが見つからないです」
ハッと我に帰るパシフィック。目を離した隙に次々と料理が消えていくからだ。なんとなくメヴィの巻いているマフラーが動いたように見えたが、それよりも料理を少しでも多く頬張ることを優先した。
「北に配属された西方奴隷をあたってみたんだが、なにせ数が多くて探しきれないんだ。俺たちみたいない義勇兵じゃあ入れる場所も限られているしな」
「じゃあまた今度、アルジェブラさんに頼んでみましょうか。それなりの権限があるので協力してくれると思いますよ」
「本当かい? そいつは助かる。愛してるぜメヴィちゃん」
バキンッと皿の割れる音がした。パリータが落としてしまったのだ。しっかり者の彼女にしては珍しいな、と思いながら料理を味わうパシフィック。完全に他人事であった。
「そう言うならここのお会計は任せていいんですかね?」
「ハッハッハ、忘れたのかい? 俺ってば借金取りに追われる身なの。残念ながら気持ちだけ受け取ってほしいな」
「例の横領金で返済したのでは……?」
「はて、何のことかわからないが……高利貸しは一つじゃない、と言っておこう」
少女が呆れたように肩をすくめた。パシフィックとて好きで借金を背負っているわけではない。花街の援助や個人的な息抜きをしていると金が勝手に消えていくのだ。彼は思う。幸せとは金で買うものだと。
「私……私、たくさん稼ぐです。それでパシフィックさん、助けるです!」
パリータが運んでいる途中の皿を持ったまま、意を決したように叫んだ。そして彼女の後ろにはパシフィックを非難するような料理長の目があった。パリータの言葉からとんだクズ男だと勘違いされたのだ。
「ちょっ、ちょっと待てパリータ! 言い方ってもんがあるだろう!」
「でもパシフィックさん、困っている私を助けてくれました。今度は私の番です!」
「……一応、私も頑張ったんですけどねえ」
「気持ちは嬉しいが落ち着けって。そもそもお前の稼ぎじゃ全然足りないんだ。俺に使うぐらいなら自分の生活なり兄貴の捜索に使えっての」
「この前、たくさん稼げる仕事を教えてもらいました。私、頑張ります!」
「花街でたくさん稼げる仕事……ひええ、パシフィックさんは鬼畜ですう」
「違うって! 誤解だ!」
何やら強い決心をしてしまった様子のパリータ。そんな彼女を必死に止めようとするパシフィック。駄目男からゴミを見るような目に変わった料理長。そしてにやにやと笑いながら会話を楽しみつつ、見つからないように白いマフラーへ料理を運ぶメヴィ。もしも他に客がいれば大迷惑であろうほど騒がしい集団だ。
「まったく……別に金にゃ困ってないの。いや、困っていないは嘘だけど、切羽詰まっているわけじゃないから心配すんな。俺たち義勇兵は稼ぎがいいからすぐに返済できるさ」
パシフィックは疲れた様子で椅子にもたれかかった。なおも不安そうな顔をするパリータに笑いかける。その笑顔はどこか寂しそうであり、事情を知る者であればパリータに妹の面影を重ねているのだろうとわかる顔。だが残念ながらこの場にパシフィックの過去を知る者はおらず、彼は非常に不名誉な称号を得てしまった。
「さて、私はそろそろ行きますね。ご馳走様でした」
「本当に全部食べちまった……メヴィちゃんって意外と大食いなんだね」
「私はそんなに食べないですよ」
肌触りの良さそうなマフラーを撫でる少女。空になった皿が積み重なったテーブルの前で言っても説得力がない。
「それじゃあまた戦場で。後ろから刺されないように気をつけてくださいね」
「物騒なことを言わないでくれ」
何だかんだ言ってメヴィは自分の分と、ついでにパシフィックが食べた分も支払った。パシフィックは申し訳なさそうにしつつも、食事代が浮いて嬉しそうな様子だった。




