静まり返った王城
メヴィ率いるラプタ小隊は補給が完了するまでの間、サルトリア魔術学院に滞在した。すでに食糧は底をついている。学院に到着するのがあと数日遅ければ多くの餓死者を出していたかもしれない。トルネラを追い詰めた際に審問官の本隊を逃してしまったのも大きい。敵から物資を調達できていればもっと楽な旅路だったはずだ。
食糧をはじめとした物資を求めるラプタ小隊に対して、メルメリィ教授は喜んで学院の貯蓄を解放した。ただしその対価に相場の何倍もの金銭を要求され、ラプタ小隊の資金は風前の灯火となった。多少ながら祝福教会からの援助金が残っているものの、各隊員が義勇兵時代に貯めた資金はほとんど消え、またもや先行きの怪しい状況となった。
ちなみにメルメリィが高額で物資を売ったのは私欲や嫌がらせの類いではなく、呪いくだしの研究に莫大な予算が投じられているからだ。魔術学院もまた金欠である。
補給が終わるや否やラプタ小隊は学院を出発した。
メヴィとエルマニアが先頭になって大地を駆ける。魔術学院の雑木林を越え、分厚い雨雲の下を抜け、シャルマーン王城がそびえる街・シェミールを目指した。
危険な旅だ。シャルマーン軍に見つかれば戦いは避けられない。誰にも見つからず、悟られず、王城まで辿りつく必要がある。厳しい行進。心許ない物資。
されど臆する者はいない。皆、ラプタ小隊の一員として戦えることを誇りに思っている。エチェカーシカはやる気満々といった表情で祝福軍をまとめた。トールマンは斥候として誰よりも前を走って部隊の安全を確保した。エルマニアは、いつ接敵しても戦えるように気持ちを落ち着かせた。
頼もしい仲間たちだ。メヴィは前方を見据えた。ようやく嵐のような雨雲を抜けたのに、またも黒く塗りつぶしたような暗雲が空を覆っている。まるでラプタ小隊の未来を暗示するかのようだとメヴィは感じた。
◯
シャルマーン王城の最上階。平時であればシャルマーン有数の貴族が集まり、王・アダムスに敬服しているであろう場所。今はおびただしいほどの血と、破壊され尽くした瓦礫、そして積み上がった貴族たちの死体に溢れかえっていた。
ぽたぽた、と血が滴った。立っている者はただ一人。愛のため、自らの肉体をも捨てた魔女、ルドウィック。彼は疲れた表情で虚空を見つめる。たった一人でシャルマーンの正規軍と戦ったのだ。いかに魔女といえども疲弊する。
だが同時に彼は、ここ数年で最も大きな達成感を感じていた。シャルマーン王家への復讐はルドウィックの悲願だ。城に侵入できないかと試みたこと、幾たびか。元の肉体に未練がないわけではないが、少なくとも後悔はしていない。
「これにてシェミールは陥落だ。他の都市にも軍が残っているだろうけど、王がいなければ烏合の衆だろう。まったく、シャルマーン兵は数が多いから厄介だ。ただでさえ疲れやすい体だというのに」
ルドウィックは、魔女という存在が個で国と戦い得るという事実を改めて証明した。かつて連合国を単騎で返り討ちにし、その功績から魔女集会の実権を握るに至った老魔女や、雪巫女という名で北方の雪国を守り、その裏で敵対する国々を密かに攻め落とした魔女のように、星詠みの魔女もまた国落としを実現した。
ルドウィックは血溜まりを歩いた。彼の体はメルメリィの肉体を模しており、その病的な白さが余計に室内の凄惨さを際立たせる。死屍累々。シャルマーンを牛耳っていた貴族たちの哀れな末路である。
もっとも、すべての貴族を殺したわけではない。王・アダムスを始めとした一部の人間は地下の牢獄に捕らえている。情けをかけたわけではなく、王族という血脈はそれだけで魔術的な価値があり、生かしていれば研究の役に立つ可能性があるからだ。もしも時間があれば抵抗不可能な状態にしたうえで学院に送るつもりである。
ルドウィックがこれほどに消耗した理由は二つ。まず新しい体に慣れていないことが挙げられる。
メルメリィの肉体は虚弱であるため戦いに向いていない。というか本来、魔術士自体が正面での戦闘に不向きである。最前線で腐敗をばらまいたり、雨の中で大槌を振り回す一部の例外を除き、魔術士は遠方や視覚外からの攻撃に重きを置いており、多数の、しかも魔術耐性の高いシャルマーン兵を相手にするのは難しいのだ。それを可能にしてしまうのが魔女の恐ろしさでもある。
もう一つの理由が、まさにルドウィックの視線の先に転がっている魔導具のせいだ。血溜まりに浮かぶ王冠が一つ。シャルマーンの天才魔導具師・キャパルリが作り上げた、呪物とも呼ぶべき逸品である。
「ようやくだ。こんなガラクタのせいで僕たちは何年も苦しめられた。キャパルリは取るに足らない愚男だったが、その執念深さには目を見張るものがあるよ」
キャパルリの王冠。メルメリィの魔力を吸い続ける忌まわしき魔導具。キャパルリによる嫉妬と怨念の果てに生まれた呪物。
王冠は血溜まりに沈んでなお、目が眩むほどの輝きを放っていた。数多の欲望が込められているのだ、血溜まり程度でかすむ光ではない。
先刻の戦いにおいて、王・アダムスはキャパルリの王冠に溜められた魔力を使った。かの王冠がもたらす力は凄まじく、一時的ではあるが、魔女に匹敵する魔力量となった。それでも借り物の力が純粋な魔女に敵うはずがなく、激闘の末にアダムスは敗北を喫した。
「今度こそ終わらせよう。僕たちの、長き戦いを」
キャパルリの王冠に歩みを進めながら、破壊した後のことを考えた。
一度、学院に帰ってメルメリィに報告しないといけない。元の肉体を捨てたことは秘密にしているから、彼女に打ち明けるのは少しだけ怖い。いや、怖いというよりも申し訳ない。メルメリィは優しい女性だから、きっとルドウィックの選択に負い目を感じるだろう。いっそのこと、変成魔術で元の肉体に戻す方法を探してからにしようか。
そういえば、呪いくだしが近々完成するはずだ。学院に帰った頃にはメルメリィが目覚めている可能性もある。もしそうだったら久しぶりに二人で朝食を取ろう。陽だまりの中で愛する女性と語らう。なんと穏やかで幸せな光景だろうか。
ルドウィックの瞳に無数の光が瞬いた。夜霧が溢れ出し、その暗闇の中に内なる宇宙を形成した。夜霧は死体を飲み込みながら王冠の周囲に広がり、魔導具が持つ魔力ごと飲み込もうとした。
「なに――?」
ゾクリ、と悪寒が走る。
このとき、ルドウィックは失念していた。否、彼の魔術士としての常識が、疑うという行為を忘れさせた。
果てしない欲望はときに常識をも覆す。キャパルリの王冠はもはや普通の魔導具ではない。欲望という名の魔力を溜め続けた王冠は、魔導具という枠組みから逸脱している。ルドウィックが油断をした一瞬の間、王冠は夜霧を上回る規模の魔力糸を広げた。まるで怪物が大口を開けたかのような光景だった。
さらに言えば、王冠はメルメリィの魔力を吸収する性質がある。そして今のルドウィックはメルメリィと同一。つまり王冠は、本能的にルドウィックの魔力をも喰らおうとしたのだ。
「ハッ――ハハッ――つくづく思い通りにいかないな!」
ルドウィックの魔力が溢れ出す。
「いいだろう! 僕は魔女だ! 容易に喰えると思うな!」
両者の魔力が拮抗した。王冠の澱んだ魔力。夜のように冷たい魔女の魔力。喰らうのはどちらか。魔女か、呪物か――。




