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献身欲求  作者: 畑中みね


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雨の行進

 

 トルネラを討った後、私たちは再びサルトリア魔術学院を目指して出発した。戦闘による被害はあまり出ていない。負傷者のほとんどは教会信徒の祈祷士が治してくれた。つまり戦力は十分。審問官の支配地域も抜けたから、あとはシャルマーン軍にさえ注意すれば問題ないはずだと誰もが思った。でも、サルトリア魔術学院への道のりは想像以上に過酷だった。


「みんな、もう少しの辛抱です。頑張りましょう」


 冷たい雨が降っている。まるで私たちの行進を邪魔するかのように強く。滝のような水がフードの端から流れ落ち、大粒の雨が服越しでも感じられ、ぐっしょりと濡れた服が体温を奪っていく。冷えた指先では手綱を握ることすら難しく、暖を取ろうにも、最後に洞窟を出発してから一度も雨をしのげる場所が見つからない。

 私は無意識のうちにコートの端を掴んだ。すると絞りきれないぐらいの水があふれ出した。何度ぬぐっても睫毛に水滴がつき、まばたきをするたびに頬を流れていく。


 振り返ると、部隊のみんなが青い顔をしていた。

 容赦のない寒さによって私たちの体力は限界だった。当初の予定ならもうサルトリア魔術学院に到着しているはずなんだけど、何日も雨が降り止まないせいで行軍速度を上げられず、街に寄って補給することができないから食糧も底をついている。


「せめて雨をしのげる場所で休めたらいいんですが……ナヲもお腹が空いてるでしょうけど、我慢してくださいね」

「ナヲ~……」


 ナヲの声に覇気がない。もう三日もまともに食べていないのだ。

 過酷な旅路は自発的な離脱者こそ出さなかったものの、飢餓や低体温症、もしくは病気による脱落者は何人か出してしまった。もしも軍からの指名手配が無く、街道を歩けていたら結果は変わったと思う。シャルマーンに向かうという選択が間違っていたとは思わないけど、仲間を戦場以外で失ったのは悔しい。


「メヴィさん、寒そうですね。よければ一緒に乗りませんか。不肖エチェカーシカ、雨でも冷めない敬愛で暖めてさしあげましょう」

「エチェカーシカは元気ですねえ。でも大丈夫ですよ。こう見えてタフなんです」

「そのような小さい体で何を言っているんですか! さあ、わがままを言っていないで、ほら!」


 何が「ほら」なのか。エチェカーシカが両手を広げているけど無視をした。だって目が怖いし。どうせろくなことを考えていない。というか両手を離しているのになぜ落馬しないのか。祈祷士にはもったいないバランス感覚だ。


 馬を走らせていると「何か」を抜けた感覚がした。

 薄い膜を破るような、もしくは蜘蛛の糸を切ったような、意識していないと気づかないほど小さな変化である。私はそれがメルメリィ教授の魔力糸だとすぐに理解した。まだ学院まで距離があるはずだけど、あの教授ならば近隣地域まで魔力糸を伸ばしていても不思議じゃない。


「魔女の知覚領域に入りました! 総員警戒!」


 私が声を上げると、みんなの空気がピリッと張り詰めた。エマが騎士隊を連れて前に出る。私が一番前でも構わないのに、エマってば強情だ。そんなことを考えているとエマに睨まれた。やっぱり彼女は心を読める気がする。


 ふわふわと実体のない生物が周囲に浮かび始めた。仄かな光を帯びながら暗い森を照らしてくれる。森の地面は地肌が見えないほど冠水し、時折、泡が弾けるように波打ったかと思えば、地表ぎりぎりを魚が泳いでいく。

 とっても嫌な予感がした。魔導元素の流れを見ると、濃密な魔力が前方に集まっているのがわかる。距離はそれほど遠くない。


「エマ、止まってください!」


 とっさに私が叫ぶと、前を走っていたエマが馬を止めた。他の隊員も彼女にならって続々と馬を止めていく。


「何があった?」

「見ててください」


 鞄から空き瓶を取り出すと、前方に放り投げた。空き瓶は弧を描きながら地面に衝突し、割れるかと思われた。でも空き瓶は割れることなく地面の下に消え、数秒後、ずっと下のほうから割れる音がした。

 幻覚だ。本物の地面と見分けがつかないほど精巧に作られている。

 一連の光景を見ていた隊員から動揺の声が上がった。エマも驚いたように目を丸くしている。


「恐ろしいな……気づかずに進んでいたら今ごろ滑落していたわけだ」


 私たちが立っている場所から、ほんの数歩進んだ先は、雨粒が地面に当たっていない。魔女の知覚領域に入ってからそれほど時間が経っていないのに、メルメリィ教授はこの短時間で大規模な幻影を作り上げたのだ。しかも魔術に精通しなければ見分けられない精度。メルメリィ教授の性格の悪さが垣間見える。


「簡単な挨拶代わりよ。気に入ってもらえたかしら」


 ひええ、挨拶だって。

 まるで私の心を読んだかのようにメルメリィ教授の幻影が浮かび上がった。悪戯が成功したと言いたげに口元が緩んでいる。てっきりルドウィックさんも一緒かと思ったけど、彼の姿は見当たらない。


「お久しぶりです教授。母校へ帰って参りました」

「あなたたちの卒業を認めた記憶はないわ。でも、歓迎してあげる。サルトリア魔術学院はあらゆる魔術士を受け入れるから」


 メルメリィ教授が先導するようにふわふわと移動を始めた。一度、エマと顔を見合わせてから、素直に従うことにした。私の認識としては、メルメリィ教授との和解は成立しているはずだ。学院の地下にあったあの霊廟で、ルドウィックさんが説得すると約束してくれたもん。


「魔女になったんですってね。おめでとうメヴィ。ルーミラに教育の才能があるなんて、ここ最近で一番の驚きよ」

「おかげさまでラプタの冠名をもらいました。これからは献身の魔女として頑張ります!」

「献身の魔女……?」


 どうしてメルメリィ教授は首をかしげているのだろうか。何かおかしなことを言ったかな?


「まあいいわ。魔女集会には顔を出しなさい。まとめ役気取りの老魔女が、あなたの姿を見たいってうるさいの。北の雪国に閉じこもっていればいいのに」

「うーん、興味はあるんですけど今は忙しいんです。また時間ができたら参加しますね」

「後回しにしないことをお勧めするわ。高齢の魔女たちは自分の思うどおりにいかないと腹を立てるから。機嫌を損ねると街が一つ、吹き飛ぶわよ」

「ひええ、恐ろしい……そんなに癖の強そうな魔女が集まったら喧嘩になりませんか?」

「ならないために皆で集まるのよ。互いに牽制するためにね」


 結構な速度で馬を走らせているけど、メルメリィ教授の幻影は同じ速度で私たちの前を飛んでいる。

 ふとエチェカーシカが馬を隣につけて、小声で「メヴィさん、紹介してください」と言ってきた。もちろん反応しないし、紹介するつもりもない。ただでさえ部隊の半数をしめる教会信徒たちがさっきからうずうずしているのに、エチェカーシカを紹介したら歯止めが効かなくなってしまう。


「まあ、好きにするといいわ。魔女集会なんて余生を過ごす老魔女たちの暇つぶしだもの。招待状をつっぱねてもいいし、気に食わなかったら集会に出席して会場を吹き飛ばしてやればいいわ」

「私は平和主義なので暴力での解決はしませんよ」

「平和主義……?」


 またもやメルメリィ教授が首をかしげた。今日はよく意見がすれ違う日だ。

 彼女に先導されるがまま、私たちは矢のような速度で森を駆け抜けた。どうやらこの辺りはサルトリア魔術学院の管轄地区らしく、教授が走りやすい道を選んでくれる。おかげで私たちの更新速度は格段に上がった。手綱を握る手が凍えてしまいそうなほど寒かった。


 学院に近づくにつれて、雨はさらに勢いを増した。一向に止む気配がない。やがて森の奥にサルトリア魔術学院が見えたけど、とんがり屋根の上には分厚い雨雲が広がっている。

 もはや視界が雨で見えない。みんな、きちんとついて来ているだろうか。コートがぐっしょりと濡れすぼむ。首元でナヲがカタカタと震えている。


「ちなみに教授、一つだけお聞きしたいんですけど!」


 雨音に負けないぐらいの大声でメルメリィ教授に叫んだ。顔を上げた拍子に雨粒が容赦なく顔に当たって痛い。拭いきれないほどの水が目蓋の上を流れる。


「何かしら?」

「この大雨は、いつ止みますか!」


 メルメリィ教授は意味ありげに微笑むと、その凛とした声音で地獄に叩き落とすように言った。


「止まないわよ」


 横から叩きつけるような突風が吹いた。視界の端で大きな幹がねじ曲がり、べきべきと悲鳴を上げながら折れた。足元の水は馬の膝ぐらいまで冠水し、どこが陸地でどこが川かもわからない。

 災害とも呼べるこの大雨が誰の仕業か、たぶん、部隊の全員が察している。かつてカタビランカの貧民街を丸ごと沈めてしまった魔女。雨を呼ぶために生まれた彼女がサルトリア魔術学院で待っているのだ。




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