夜に包まれたシェミール
目覚めてまず最初に感じたのは「見られている」という猛烈な不快感だった。本能的な嫌悪感といってもいい。腹の内がムカムカするような感覚がする。
「これがシャルマーン王家との繋がりか。忌々しい魔導具だな」
ピンクブロンドの髪をサラサラと揺らしながら、緩慢な動作で女性が立ち上がった。長いまつ毛を持ち上げると、まぶたの下から深い藍色の瞳が現れる。唇もぷっくりと形が良く、肌はまるで陶磁器のようだ。
女性は裸足でペタペタと歩き、鏡の前に立って自分の姿を確かめた。
「うん、うん……成功だ。人体の配列を変えることによる、後天的な突然変異。変成魔術とでも呼ぼうか」
鈴が鳴るような声でルドウィックは呟いた。今や彼の体は完全にメルメリィと同一化している。声や容姿だけでなく、その身に宿る魔力量まで同じだ。呪痕自体は変わっていないため、メルメリィの夢を具現化する魔術などは使えない。その代わりにメルメリィの体でありながら星詠みの魔術が扱える。
ルドウィックは一度、目を閉じると、瞳に魔力を込めながら開いた。藍色の瞳が宇宙のように瞬き、その中に無数の景色が浮かんでは消えた。星詠みの魔術がひとつ、千里を見通す瞳だ。
「もうシャルマーン王家はメルメリィが目覚めたと気づいたのか。しかも軍を派遣する準備までしているとは。戦争しか興味のない愚鈍な王だと思っていたが、予想よりも早いな。これは僕も急がないと」
ルドウィックの瞳に、シャルマーン国王・アダムスの血相を変える姿が映った。彼は当時の魔女化したメルメリィと王家の戦いを知らないはずだが、この様子ならば先代から聞いているようだ。かつてシャルマーン王家はあわや滅亡の危機に迫られたことがある。夢見の魔女と星詠みの魔女が同時期に現れて王城を襲ったのだ。結果として王家の魔導具がメルメリィの魔力を吸収し、強大な防護壁を生んで守りきった。メルメリィを捕えるために生み出された魔導具が、皮肉にも彼女から王城を守ったのである。
今も王城の周囲は強固な防護壁が存在する。王の許可なしに踏み入ることはできない。ただ一人、防護壁の源となったメルメリィを除いて。今のルドウィックならば防護壁を抜けられる。憎き王家の首にようやく手が届く。
どう攻めようか。正面から攻め込むもよし。搦め手を使うもよし。まだ残っているならば、かつて王城を脱出した際に使った抜け道を使って内側から破壊するもよし。
手段はいくつかある。適当な情報をどこかの国に流して援軍を呼んでみようか。それとも縁のある魔女に頼んでみようか。
「うーん……いいや。たまには正々堂々といこう」
ブワッと夜霧が広がった。ルドウィックの体がゆっくりと霧の中に消えた。
◯
シャルマーンの王城と城下町が一体になった城塞都市・シェミール。堅牢な防護壁と王家直属の正規軍が駐在しているため、過去に帝国と大きな戦争をしたときですら都市への侵入は許さなかった。
そんな王城に混乱が広がっている。厄災とされる夢見の魔女がついに目覚めてしまったという報告を受け、武官を始めとした軍の上層部が緊急会議を開いた。
中には魔導具の誤作動だと考える者もいる。なにせ最後に起動したのは何十年も前だ。まだパラアンコの魔導研究所が健在で、輪廻の魔女も若く、星詠みの魔女がまだ人間のように歳を重ねていた頃の話。当時を経験していない者が大半である。
しかし国王アダムスがただならぬ様子だったため、城内の若者も緊迫した状況だと理解した。
「討伐隊の編成はまだか! 急がせろ!」
「連日のパラアンコとの戦争で物資が足りません!」
「そんなものは平民からかき集めるのだ! 敵が、魔女が迫っているのだぞ!」
怒号が飛び交う、シャルマーン軍作戦室。サミダラ要塞が陥落したときだって冷静だったのに、一人の魔女が現れただけで慌てふためいている。
魔女は災害だ。一国を滅ぼしかねない強大な存在。国も危険度を理解しているため、無闇に魔女の不興を買うような真似はしないのだが、夢見の魔女だけは別。彼女と王家との確執はあまりにも深い。
「おお、国王陛下。お忙しい中ご足労いただき……」
「口上はいい。魔女は今、どこにいる?」
つかつかと早足でアダムスが現れた。彼の表情からは珍しく疲れがにじみ出ている。
「それが……」
「なんだ、ハッキリ言え」
口ごもる文官を叱責すると、文官はおずおずといった様子で足元を指差した。
「ここです」
アダムスの手が止まる。
「魔女は、王城の近くにいます」
気付けば部屋中から視線を感じた。誰もが縋るような目を国王に向けていた。勇敢な軍団長も、国を支え続けてきた宰相も、次期エースとして期待される上級魔術士も。
ちりちりと肌の焼ける感覚がする。破滅の炎が音もなく迫り来るかのように。何かを言わねばならない。だが、何を言ったって気休めにしかならないだろう。アダムスは今すぐにでも彼らの視線から逃げたくなった。パラアンコへの宣戦布告を決めたときだってこれほどの重圧は感じなかったのに。
「報告! 防護壁が破られて魔女が侵入し、応戦したクルード・エダ軍団長が殉死されました!」
「何だと!? 帝国にすら破られなかった絶対防壁だぞ!」
「それだけではありません! 魔女が扱う魔術も伝承と違い、黒い霧に飲み込まれた兵士が次々と消えています!」
アダムスが判断を下せずにいる間にも、状況は刻一刻と変化している。おもに悪い方向へ。
「やむを得ん。キャパルリの王冠を使う。今こそ先代から溜め続けた魔力を解放するのだ」
おおっ、と周囲から歓声があがった。キャパルリの王冠は宝物庫で厳重に保管されている。王の許可がなければ立ち入りが許されず、使用者もまた王族のみに限定される。だがその制約に見合うだけの力があり、ひとたび解放すれば魔女に匹敵する魔力になるはずだ。
今すぐ宝物庫に向かおうとアダムスが踏み出した途端、突如として部屋が暗くなった。武官は慌てずに武器を構えて周囲を警戒したが、文官たちはこういった急な異変に慣れていない。悲鳴を上げながら我先に逃げ出そうとするため、作戦室があっという間に騒然となった。
「お、おい、外を見てみろ! 空が暗いぞ!」
「どうなっているんだ……さっきまで明るかったのに……」
「魔女だ! 魔女の呪いで夜になったんだ!」
王・アダムスは目を見張った。窓の外に夜空が広がっている。シェミールのみならず、周辺の土地すべてを覆うほどの規模。優秀な術士が数十名集まってようやく行使できるような魔術である。
魔女だ。それも、夢見ではない。
(なぜ余の代に……!)
王家に語り継がれる厄災。かつてシャルマーンが滅亡の危機に追いやられたときも、シェミールは夜に包まれた。悪夢の再来だ。
アダムスは部下を引き連れて部屋を飛び出した。
階下から無数の悲鳴が聞こえる。今も勇敢な兵士たちが魔女と戦っているのだろう。
このときアダムスは知るよしもないが、階下の戦場では多くの同士討ちが発生していた。突如として夜に切り替わったことで兵士たちの目が慣れておらず、味方同士で攻撃したからだ。特に魔術士による誤爆がひどく、後の調査ではこの魔術だけで大隊規模の兵士が戦闘不能に陥ったとか。
「魔女の好きにさせてはならん! 偉大なるシャルマーンの歴史をここで途絶えさせるわけにはいかないのだ!」
アダムスは急ぐ。唯一の希望である王家の魔導具を求めて。どれほどの呪いがかの王冠に込められているかも知らずに。
かくして太陽は陰り、シャルマーン王城に夜の帳が降りた。時代の観測者。星詠みの魔女がシャルマーンに牙を向く。




