栄光玉砕と大狸
パラアンコの国境を守る辺境貴族。そのうちの一つであるローゼンベルク家は、かつて魔導研究所の設立を主導したこともあり、パラアンコ国内で非常に大きな発言力を有する。
そんな誉れ高きローゼンベルク家の屋敷だが、今日は緊張感に満ちていた。理由はフィリップ義勇兵長が訪れるからだ。ローゼンベルク卿とフィリップは議会で何度か交流をしたことがあるが、こうして新体制になってから会うのは初めてである。
「久しぶりですなローゼンベルク卿。最近は議会にも顔を出していないようだが、息災かね?」
「おかげさまで、この歳になっても息子と狩りに出かけているよ。君が手当たり次第に刺激をするから、国境沿いが騒がしいんだ。おちおちと休む暇もない」
ローゼンベルク卿はたっぷりと皮肉を込めた。他ならぬフィリップのせいで王都に足を運ぶ時間すら取れてない。強引な改革は辺境貴族にも影響を与えている。
「それはよかった。退屈は戦士の刃を鈍らせる」
フィリップの言葉は言外に「手を止めるつもりはない」と言った。この男、どこまで戦火を広げるつもりか。すでにローゼンベルク領内では帝国を筆頭に周辺諸国の間者が紛れ込んでおり、いつパラアンコに攻め込もうかと機会をうかがっている。彼らに隙を見せぬよう、うまく抑えているのがローゼンベルク卿だというのに、フィリップの態度はまるで他人事のようだった。
「一番はしゃいでいるのはどこかね?」
「そりゃあ帝国だ。あそこは魔導具の開発が盛んだから。我々が秘匿する魔導研究所の技術が欲しいんだろうけど、それだけじゃなく、あわよくば共倒れを狙ってシャルマーンまで手を伸ばそうとしている」
「欲張りな国だな。がはは、嫌いではない」
しかし、とフィリップは続ける。
「ローゼンベルク卿としては困るのではないかね。かの国が攻めて来たら真っ先に狙われるのは貴殿の領土だ。王都に援軍を頼んでも、到着した頃には手遅れだろう」
「なにが言いたいんだ?」
「悠長に座して待つ時間はないということだよ。貴殿も理解しているだろう? もはや緩やかに滅びゆく時代は終わった。次に来るのは激動の時代。自ら動かねば、我々は時代に飲み込まれるのだ」
実のところ、その時代を無理やり動かしているのがフィリップであるが、彼はあえて焦らすような口調でローゼンベルク卿の不安を煽った。そして厄介なことに、フィリップは自らの主張を相手に飲ませるのが天才的に上手い。
「だからといって私にどうしろと言うのだ? 私は君と同じで国に愛着がなく、君と違って国と戦うつもりはない。もしも帝国が攻めてきたら、私は早々に降参して帝国の傘下に入るだろう。それが領民を守る一番の手段になるだろうし」
実質的な国の指導者であるフィリップの前で、ローゼンベルク卿は堂々と裏切りを宣言した。この胆力こそパラアンコの大狸と揶揄される所以。彼はたとえ王族を前にしても同じような態度を取るだろう。
それはフィリップにとっても好ましい態度だった。自らの欲に忠実な男。つまるところ、同族だから。
「ああ、そうだろう。貴殿は地位や名誉を求めていない」
「まるで私の望みを知っているような言い方だね」
「ああ、知っているよ。貴殿は魔導研究所を再建したいんじゃないか?」
大狸の目に鋭い光が宿った。
パラアンコ魔導研究所。
かつてパラアンコを魔導大国に押し上げた偉大な施設であり、多くの華々しい成果と犠牲を生み、そして“輪廻の魔女”によって滅ぼされた名だ。研究所はローゼンベルク卿にとっての誇りだった。莫大な資金を投入した。それに見合うだけの結果を出した。
もう一度、あの偉大なる魔導研究所を再建したい。それがローゼンベルク卿最大の望みである。
「そうだけど、実現は難しいよ。パラアンコは多くの人材と資源を失いすぎた。今さら研究所を作るのは無理だ」
「ああ、だからこそだ。近々、私はシャルマーンを食らい尽くす。かの国が各国から優秀な魔術士を集めている学院も制圧する予定だ。君が手を貸してくれれば、見返りに学院の所有権を譲ろうじゃないか」
ローゼンベルク卿の指がぴくりと跳ねた。
シャルマーンにあるという、サルトリア魔術学院の名はローゼンベルク卿も知っている。魔導研究所が滅びた今、魔導の探求を先導するのは帝国の魔導機関か、魔導協会の本部か、もしくはサルトリア魔術学院。
魔術学院を手に入れられれば、ローゼンベルク卿の野望は一気に現実味を帯びる。彼は生唾を飲んだ。
「手を貸す、とは?」
「サルファの祝福教会を叩きたい。君の私兵団を貸してくれ」
「君がご執心という邪教徒かね。私が手を貸さずとも君の力で制圧できると思うけど?」
「私はシャルマーンとの戦いで指揮を取らねばならない。かの国との戦争はまだ続いている」
「稀代の指導者も内乱までは手が回らないか」
「審問官を任せられる相談役がいたのだがね。がはは、優秀な人材というのは失ってから痛感するものだ」
珍しく、フィリップは疲れたように笑った。その表情がローゼンベルク卿にはどこか寂しそうに見えた。
「少しやつれたかい?」
「ああ……なんてことはない。長い付き合いだった部下が、少し先に旅立ってしまっただけだ」
拳を握るフィリップ。稀代の革命家やパラアンコの救世主などと世間では呼ばれる男。誰にも心を許さず、誰にも弱みを見せぬ傑物であるが、ほんの一瞬だけ、その分厚い仮面が剥がれた。気のせいかと錯覚してしまいそうなほど、わずかな時間だ。
「それでどうするのだね。君の返答次第で私も動きを変えよう」
ローゼンベルク卿は思い悩んだ。魅力的な提案だ。しかしリスクもある。プーレリアが陥落して以降、パラアンコ西部の問題は複雑になった。カーリヤ族の占領地域はなくなったものの、彼らの影響力が失われたわけではなく、西部の領有権や行き場を失ったカーリヤ族をめぐって様々な思惑が入り乱れており、安易に手を出せば火傷をする。
「残念だが、今は風当たりがきつい。カタビランカで奴隷解放運動が盛んになっているのを知っているかい?」
「ああ、あれか。カーリヤ族の人権回復を謳った運動だろう?」
「なかなか馬鹿にできない規模だよ。最近は彼らの運動を支持する貴族も増えている。解放運動の主導者は……パシフィックといったかね。なかなかの手腕だ」
聞き覚えのある名にフィリップが眉を寄せた。
「サルファの祝福教会が活動拠点にしているのはパラアンコ西部だろう? 今、あの地で軍事的に動くのは難しい。解放運動を支持する貴族たちが黙っちゃいないから。流石の私も貴族社会で孤立するのは避けたいよ」
フィリップは椅子に深く腰掛けて、大きく息を吐いた。
ちょうど窓から太陽の光が差し込み、栄光玉砕の顔に影を落とす。ローゼンベルク卿はゾッとした。影を落としたフィリップの姿が、冷酷な怪物のように見えたから。かの男から発せられる空気はあまりにも冷たい。大狸すら畏怖するほどに。
「貴殿を説得するのは難しそうだ。今回は引き下がるとしよう」
「は、はは……思っていたよりも素直だね。力づくで脅迫するとでも思っていたが」
「私はそれほど強権主義ではないさ」
いったいどの口が、とローゼンベルク卿は思った。フィリップがいかに議会を掌握したかは彼も知っている。
フィリップが立ち上がった。大鷲のような体躯がローゼンベルク卿を見下ろす。先導者に相応しい圧だ。遅れてローゼンベルク卿も立ち上がり、握手をした。
「また来る」
ただ一言告げて、フィリップは立ち去った。




