追いつかれた狐
馬に乗って思いっきり走るのは好きだ。部隊のみんなで一つになった気分になれるし、ぐんぐんと木々を追い抜くのが気持ちいい。特に戦った後の風は最高だ。火照った体に感じる風の爽快さを私は気に入っている。
真っ白の愛馬も私の言うことをよく聞いてくれる。隣にはエマがいてくれて、後ろにはみんながついて来てくれる。
私たちは風だった。勢いがあった。誰にも止められない、嵐のような突風だ。
「全速前進! 乗馬が苦手な人は私の後ろについてください!」
私たちは今、撤退する審問官を追いながら敵本陣を目指している。前線はすでに壊滅させた。今ごろは後続の祝福軍が掃討しているはずだ。審問官たちもこんな場所で接敵するとは思っていなかったんだろう。
「メヴィ隊長! 敵は二手に分かれている模様です!」
斥候のトールマンが偵察から帰ってきた。もう少し敵が混乱するかと思っていたけど、すでに対応しているとは動きが早い。敵の指揮官は優秀なのかも。
「敵本隊はパラアンコへ撤退中! 王都からの援軍と合流するつもりと思われます!」
「もう片方はどうですか?」
「指揮官率いる別動隊が北の森林地区へ逃げ込みました! 遠目なので確証はありませんが、おそらく審問官相談役のトルネラである可能性が高いです!」
「なに? あの女狐が?」
隣で聞いていたエマが思わずといった様子で口を挟んだ。
「戦場で死ぬような女じゃないと思っていたが、よりにもよって審問官になっていたとはな。放っておけば周囲に毒を撒き散らす存在だ。フィリップ隊長と敵対するなら早めに排除したほうがいい」
「そういえばエマはトルネラのことが嫌いでしたね」
「当たり前だ。寮の部屋が湿気だらけになったのは、あの女狐が上の部屋で植物を育てまくったからだぞ。私が何度も苦情を入れたのについぞやめなかった。あれは私たちへの嫌がらせだ」
「エマの髪の毛、いつも爆発していましたね」
思い出すだけで面白い。エマってば髪の毛の中から蜥蜴が飛び出したんだから。きっとエマの髪の毛には可能性がつまっているのだ。ルドウィックさんだって見通せないぞ。
冗談はさておき、敵の指揮官がトルネラだと言うなら話が変わってくる。ラプタ小隊を逆賊に仕立て上げた、という個人的な恨みはあるんだけど、何よりもフィリップ隊長の右腕的存在なのが大きい。ただでさえフィリップ隊長だけでも太刀打ちが難しい相手なのに、トルネラまで加わると手をつけられない。叩くなら今が好機だ。
「しかし困ったな。トルネラを見過ごすのは癪だが、みすみす敵本隊の合流を許すのも惜しい。どうする?」
エマの言葉も正しい。審問官の戦力を削ぐ絶好の機会だ。ここで逃せばまた祝福教会の信徒が襲われるかもしれない。私は少しだけ迷った。
「トルネラを追います」
「いいのか?」
「ええ、たぶん、トルネラは逃したら駄目です」
それならいい、とエマは納得してくれた。トールマンや部隊のみんなも異論を唱えない。まあみんなが反対することなんて滅多にないんだけど。エマとポルナード君ぐらいかな、私に意見を言ってくれるのは。
「進行方向を北に変更! 敵指揮官を討ち取ります!」
後ろから「おお!」と威勢の良い返事が聞こえた。
見ていてくださいアルジェブラさん。不安の芽はここで摘みます。部隊のために。祝福教会のために。汚名を着せられたアルジェブラさんのために。
私たちは再び風となった。森の奥から、誘い込むような甘い香りがした。
◯
トルネラにとって国の安寧など眼中になかった。シャルマーンとの戦争に負けたっていい。パラアンコが地図上からなくなっても、敬愛するフィリップされいれば問題ない。だからフィリップがどんな政策を取ろうとも構わないし、どんな命令も受け入れる。
決してフィリップに振り向いてほしいのではない。惚れた男の背中を押したいだけなのだ。それがトルネラにとっての幸せであり、唯一の生き甲斐でもある。
「本隊はきちんと脱出したんでしょうね?」
「問題ございません。援軍にも伝令を飛ばしましたので、合流できれば奴らを返り討ちにできます」
「合流できれば、ね。そのための時間稼ぎが必要なんだけど」
トルネラ率いる部隊、総勢約二十名。
彼女たちは本隊を逃がすため、あえて祝福軍に近い森の中へ逃げ込んだ。
囮だ。それも敵が食いつく確証のない、トルネラらしからぬ作戦。もしも魔女が本隊を追えば作戦は失敗するし、王都への帰り道がないトルネラたちは無意味な死を遂げることになる。それでも彼女は囮になることを選んだ。
「魔女はどっちに食いついた?」
「メヴィ・ラプタとその部隊が森に入るのを確認しました」
魔女の名を呼ぶとき、ケリー副官の声が震えていた。トルネラの洗脳によって恐怖を感じないはずなのに、魔女の恐ろしさを本能で感じ取ったのだ。
「それならいいわ。覚悟を決めなさいケリー。傀儡の分際で怯えるんじゃないわよ」
新たなる魔女。元義勇兵、メヴィ・ラプタ。忌々しい名だ。こんなことなら力をつける前に消しておけばよかった。小娘一人、フィリップの障害にならないと高を括った結果がこれだ。
思えば出会い頭から奇妙な娘だった。おどおどしているくせに瞳だけは落ち着いていて、まるで得体の知れない化け物が義勇兵に紛れ込んだようだった。どうせウサック要塞で戦死するかと思えば飄々と生き残り、後の戦いでも戦果をあげて、ますますフィリップに気に入られる始末。メヴィ本人は嫌がっていたが、フィリップに可愛がられる姿にトルネラは大層嫉妬した。
「敵、なおも接近! 追いつかれます!」
「じゃああなた、足止めをしてきなさい」
「は? 私だけですか?」
「いいから、ほら」
トルネラが小さな針を飛ばして審問官の額を刺した。すると審問官は嬉々とした表情で敬礼した。
「お任せください! この大義、私が果たしてみせます!」
馬を翻し、意気揚々と暗い森の中へ消えていく審問官。彼の名が何だったか、トルネラは思い出そうとしてやめた。今さら知っても意味がない。
すぐに後方から戦闘音が聞こえた。しかし、すぐに止んだ。ケリー副官が焦った様子で報告をしてくる。
「トルネラ様! 依然として敵は接近中です!」
「もうちょっと時間を稼ぎなさいよ。使えないわね……それじゃあ次はあなた。敬礼はいいから、さっさと行きなさい」
また一人、若い審問官が翻した。彼は覚えている。確か、偉そうな辺境貴族の息子だったはずだ。箔をつけたいから連れていけ、と言われてフィリップ隊長に預けられたっけ。トルネラは他人事のように考えた。
それからも一人、また一人と審問官は数を減らした。彼らの命懸けの特攻がどれほど意味があったかわからない。
審問官が減るたびにケリー副官の顔がどんどん青くなった。次は誰だ。自分の番はいつなのか。
トルネラは知らない。どれだけ自分に絶対の忠誠を誓うよう洗脳しても、死に対する潜在的恐怖は支配できないことを。すでにケリーは限界だった。耐えられないほどの恐怖が彼を襲った。
「む、無理だ……」
ついにケリーは馬を止めた。
「走りなさいケリー! 追いつかれるわよ!」
「いやだ、俺はもう、あなたに従えない! どうせ死ぬなら俺の意思で死ぬ!」
「勝手にどこへ行くのよ! ケリー! 戻ってきなさい!」
ケリー副官が逃げ出した。そこでようやく、トルネラは気づく。
ケリー副官は最後の部下だった。もう誰も残っていない。
「くそっ、使えない奴らね……」
深い深い、原初の森。鳥の鳴き声すら聞こえない、静かな世界。わずかに木漏れ日がさす程度で周囲は薄暗く、同じような景色が続くせいで方角もわからない。
そんな樹海の奥から、ぱからぱからと蹄の足音がした。
数はそれほど多くない。だが、逃げられない。
トルネラは目を閉じた。囮になると決めた時点で覚悟していたのだが、心のどこかで、生き残れることを期待していたようだ。花街でフィリップが救い上げてくれたように、もしくは魔導協会の影としてうまく立ち回ったように、今回も何とかなると。
「嫌になるわ。こんな失態、フィリップ様に見せられないじゃない」
暗闇からぬっと白い肌が現れた。藍に近い深緑の髪。輪廻の魔女が刻んだ不気味な呪痕。そこ知れぬ魔力によって爛々と輝く瞳。死をもたらす腐敗の魔女が、ついにトルネラのもとまで来てしまった。
「お久しぶりですトルネラ。いつか、こうして敵同士、向かい合う気がしていました」
ラプタ小隊が暗闇のなかでトルネラを囲んだ。まるで逃がさないと言うように。




