何気ない幸せ
魔女になっても私の生活はそれほど変わっていない。部隊のみんなと戦い、勝てた日はアイゼンに帰って宴会の日々。トールマンの長ったらしい乾杯の音頭で始まり、ばくばくと嵐のように食べるナヲに料理を分けてあげたり、エマと義勇兵時代の懐かしい思い出を語り合ったりする。最近はエチェカーシカや見覚えのない信徒が勝手に参加することもあって、毎日のように私の周りは賑やかだ。
こういうのを幸せって呼ぶのかな。
みんなで団子になって寝て、肌寒さを感じながら起きると、みんなの寝相でとんでもない状態になっていて、起こさないようにそっと外に出てから、朝の、凛とした引き締まるような空気を肺いっぱいに吸う。それから庭の流水に冷やされた野菜をひとかじりして、冷たい井戸水を顔にぱしゃりとかける。すっきりして顔を上げると、まだ眠たそうなナヲが首にまきついてくるのだ。二人で厨房に向かうと、香ばしい匂いが漂ってきて、中を覗くと、ラプタ小隊の炊事係と、祝福教会の修道女が、仲良さそうに朝食の準備をする。タロッコの実が溢れそうなほど乗ったパン。西部原産の冬野菜を使ったスープ。帝国豚の腸詰めも焼いて、新鮮な卵と一緒に盛り付けたら完成だ。いつも厨房の人たちは「みんなに内緒ですよ」って言って一口くれる。そしてみんなが起きたら集まって一緒に食べるのだ。
きっと後になってから知るんだろう。この時間がかけがえのないものだと。この場にいる隊員の何人がいなくなるかを。
ねえ、エマ。私、嬉しかったんですよ。私を怖がらないでくれたから。誰かと過ごす夜があんなにも暖かいなんて知らなかった。だから私は決めたんだ。エマが望むならどんな敵も倒すって。
今はアルジェブラさんの願いを優先しているけど、もしも一言、エマがお願いしてくれたら、私は帝国だって相手にする。エマの実家が口を挟むなら、貴族の屋敷にだって乗り込んでやる。
これからも私はエマを守りますよ。どれだけ止められたって、エマの前を走るし、エマより先に戦場へ行く。
だってそれが相棒でしょ?
○
「ポルナード君が帰った?」
「ああ、ちょうど今朝方だ。先に報告をしたいと言うから部屋で待っている」
ようやく寒さが和らぎ始めた朝方。
私は外套を適当に羽織ってアイゼンの城内を走った。勢いよく扉を開けると、ポルナード君がいつもの自信なさげな表情で待っていた。
「メヴィ隊長、ただいま戻りました。いやあ、カタビランカはひどい状態ですよ。僕たちがいた頃とは比べ物にならないほど殺伐としていました」
私は思わず固まってしまった。ポルナード君は大怪我を負っていたからだ。全身に巻かれた包帯から血が滲んでいる。治療薬を飲んでいるはずなのに、ひどい顔色だし、座っているのもしんどそう。それに、右手の指が少ない。私がじっと見ているとポルナード君は恥ずかしそうに右手を隠した。
「ああ、これは……その、審問官の追撃が予想以上に過激で……すみません」
「なんで謝るんですか。あなたはよく頑張りました。先にきちんとした治療を受けてきてください」
「いえ、報告してからにします。それが、僕の仕事なので」
ポルナード君は強い意志を込めて言い切った。たぶん私が何を言っても引き下がらないと思う。だから仕方なく先に報告を受けることにした。
「まず、大半の貴族がフィリップ隊長の派閥に飲み込まれました。いくつかの貴族は見逃されていますが、そのほとんどが国境沿いに領地を持っているので、あえて泳がせているのだと思います。事実、反乱を企てる貴族を鎮圧する、という名目で国境沿いへの派兵が始まっています」
「ひええ、そんなことをすれば周辺諸国も国境沿いに兵を配備しちゃいます……フィリップ隊長、他国を巻き込む大戦争でも始めるつもりなんですかね」
戦争、という言葉にポルナード君は不快な顔をした。彼は優しい人だから、フィリップの思想に反対なのだろう。私の部隊は優しい人が多い。無論、私も優しい魔女だ。なのにパラアンコの人たちはフィリップ隊長の言葉を信じて襲ってくるのだから嫌になっちゃう。
「今のパラアンコは限られた資源と人材でなんとか持ち堪えている状態だぞ。他国に攻め込まれたらひとたまりもない」
「だからこそ、でしょうねえ。パラアンコは順調に滅亡の道を辿っているわけです。そして私たちがフィリップ隊長の野望を阻止する……やりましたねエマ、私たち、物語の英雄みたいです」
「物語らしく、英雄が勝利すれば良いのだがな」
「僕はまだ信じられないんですけど……ほ、本当に、フィリップ隊長の統治が続くとパラアンコは滅びるんですか?」
ポルナード君は、その目でフィリップ隊長の改革を見てきたからこそ、彼の野望を信じられないのだろう。実際、フィリップ隊長のおかげでパラアンコは持ち直しつつある。でも、それは喜ばしいことじゃない。審問官に扇動されて国民はどんどんと過激な主張を始めているし、一部の地域では鉄鋼が足りないからって農具を溶かして武器に変えている。まるで先のことを何も考えていないみたいに。
「そうなる可能性が高いって話ですよ。独裁政治の行く末なんて破滅がお決まりです。フィリップ隊長は恐ろしいほど優秀ですから、たぶん、全部わかった上でやってます」
民の困窮をかえりみずに軍を増強し、国境沿いに兵を配置。長引く戦争によって他国に散ったパラアンコ人に呼び掛けて独立を促す。放っておけばあらゆる国を巻き込んだ大戦にまっしぐらだ。
「帝国主義の独裁国家がどんな結末を向かえたかなんて、私ぐらいの子供でも知っていました。フィリップ隊長が国内に目を向ける今が、彼を止める最後のチャンスです」
今は帝国をはじめとした強国も静観しているけど、もしも大戦が始まれば黙っていられない。パラアンコを中心とした戦火の渦はあっという間に広がると思う。まあ、私はアルジェブラさんの願いさえ叶えられたら、あとは他の国がどうなっても構わないんだけどね。
「カタビランカの様子はどうでした?」
「審問官の締めつけがひどくて、祝福教会の関係者は街に入ることもできません。魔導地下街にあった店も次々と閉店しているようです」
「あそこは魔女に関係する店が多いですからねえ。花街は無事ですか?」
「今のところは介入していないようですけど、安心できませんよ。ほら、パシフィックさんが西方奴隷を連れ帰ったでしょう? あれがきっかけで奴隷解放運動が始まってまして。フィリップ隊長に目をつけられるのも時間の問題だと思います」
「うーん、やっぱりパシフィックさんはうちの部隊に入ったほうがよかった気がします。せめてパリータとアレーだけでも匿えたらいいんですけど」
パシフィックさん、大丈夫かな。逃げ足だけは義勇兵でも随一だからあまり心配していないけど、あの人、厄介事に巻き込まれがちだからなあ。
「とりあえず、カタビランカの情報は引き続き集めてください。ああ、近づきすぎたら駄目ですよ。審問官に気づかれないよう、可能な限りで大丈夫です」
「無茶な注文ですが……わかりました。うちの斥候は優秀なので、僕みたいなヘマはしないはずです」
ポルナード君の右手を見た。やっぱり数が少ない。
きゅっと心臓が締め付けられる。
「魔導具屋の件は、また相談しましょう」
「あはは、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。僕は元々、そんなに上手く魔導具を整備できないんで。他に代わりがいるはずです」
「ポルナード君は上手ですよ。それにあのお店はあなたに任せるって決めていますから」
ポルナード君が「ひええ」と言いたげに口を曲げた。でもちょっと嬉しそう。ポルナード君、職人になるのが夢だもんね。
「それで、我々はどう動くのだ?」
「シャルマーンに向かいましょう」
「シャルマーン?」
エマが正気を疑うような目で見てきた。
「国内でフィリップ隊長と戦うのは厳しいです。遠からず、フィリップ隊長はシャルマーンに攻め込むはずなので、かの国と協力して戦いましょう」
「赤蟻どもが我々に手を貸すと思うか?」
「人は共通の敵が生まれれば手を取り合う生き物ですよ。それに、私の予想ですけど、向こうもじきに混乱が始まると思うので、手段を選ぶ余裕はなくなるはずです」
「混乱?」
エマはピンと来ていないらしい。それも仕方がない。なにせ私も、あの厄介者が何を考えているかわからないもん。でも、彼がシャルマーン王家に敵対心を抱いているのは確かだ。何やら私の記憶をもとに悪巧みをしているようだし、そのうちとんでもない大事件を引き起こす気がする。
「もう一度、あの学院に行くのは、ちょっと怖いですけどねえ」
学院でのトラウマが蘇った。あそこの学院長は純粋に怖い。乱暴な別れ方をしたから、私たちを許していない可能性もある。それでもシャルマーンと協力するには仲介人が必要だし、私たちが頼れる相手となればルドウィックさんしかいない。というか最悪の場合、ルドウィックさんだけでも協力してくれたらフィリップ隊長と戦える。
何にせよ、私たちはもう一度、シャルマーンの地を踏む必要がある。それも早急に。きっとフィリップ隊長の動きは早いだろうから。失う恐怖を知らない人は、想像を越える早さで駆け抜けてしまう。一瞬で燃え尽きる綺羅星のように。
すでに何人か燃え尽きた。アルジェブラさん。オリバー。ピッチやロネ。私の部隊の仲間たち。
止まれないのだ。誰かが走り始めるから、私たちも追いかける。置いていかれないように。先を越されないように。




