新たなる門出
メヴィによる魔力暴走は凄まじい規模だった。城の最上階を吹き飛ばし、なお溢れ出した魔導元素が柱となって空に昇っている。その非現実的な光景を目にした者は、誰もがとある言葉を脳裏に浮かべた。
やはり魔女は災害だ。人が安易に関わってはいけない存在なのだ。
「メヴィめ、もう少しで巻き込まれるところだったぞ」
エルマニアは恐る恐る立ち上がって辺りを見渡した。壁や天井がすべて吹き飛び、逃げ遅れたカーリヤ戦士の死体が下半身だけ残されている。とっさに伏せるよう命令を出していなければエルマニアたちも同じ目にあっていたはずだ。
「トールマン、部隊の生き残りを確認しろ。巻き込まれたやつはいるか?」
「メヴィ隊長の魔術に巻き込まれるような馬鹿は我々の部隊にいません! 全員無事です!」
メヴィの部隊は完璧に統制がされている。エルマニアが伏せろと言えば瞬時に這いつくばるし、エルマニアが突撃せよと命じれば喜んで敵軍に斬りかかる。メヴィの魔力暴走が起きる直前、エルマニアは一番に異変を察知して避けるように命令した。おかげで魔力暴走に巻き込まれた隊員はいない。
「それじゃあ人騒がせな隊長の様子を見に行こう」
エルマニアが先行して王の間に入った。
足を踏み入れた途端、肌にへばり付くような重い空気がのしかかった。かつて大雨の中、エレノアと対峙したときを思い出す。あのときもエルマニアは尋常でない重圧に襲われた。
魔女の圧。人という枠組みを超えた者の存在感である。
王の間の中央にメヴィがいる。彼女の周囲は真っ黒な水たまりが広がっていた。魔力暴走によって床がすり鉢状にえぐられ、そこに液状化するほどの濃密な魔導元素がたまったのだ。エルマニアは水溜まりの手前で立ち止まった。
「あら、みんな無事で何よりです」
メヴィは仲間の姿に気づいて嬉しそうに笑った。暗い空の下、少女の顔の右半分が呪痕に覆われている。その姿を見たエルマニアは改めて実感した。相棒は魔女になったのだ。
エルマニアは魔女が好きである。ゆえに複雑な心情だった。相棒が魔導の深淵に触れたことを喜ぶべきか、それとも魔女という業を背負ってしまったことに悲しむべきか。
言葉を失うエルマニアのもとへ、魔女はとてとてと走った。腐敗溜まりの黒い水が周囲に跳ねる。
「見てくださいエマ、ついにやりましたよ。私、魔女になりました! 背中に魔女の名前が刻まれているはずですので見てください!」
「なっ、待てメヴィ! こんな場所で脱ぐな!」
「脱がないと見えないでしょう。どうせ近くに西方蛮族はいませんし。ほらほら、早く」
自分では見えないですから、と言いながらメヴィが上着を脱ぎ始めた。服に手をかけた時点でエルマニア以外の隊員は全員が後ろを向いている。ゆえに見られる心配はないのだが、だからといって年頃の少女がこんな場所で服を脱ぐという行為にエルマニアは納得できない。
あとで説教しよう、と決めたエルマニアをよそに、メヴィは上半身だけ裸になって背中を向けた。細くて小さな背中がエルマニアの目に映る。右腕から伸びる呪痕が真っ白な肌の上を走り、背中に特徴的な模様を刻んでいた。呪痕が最大にまで成長した証であり、魔女だけが手に入れられる特別な名だ。
「ラプタ」
エルマニアが呟いた。王の間に強い風が吹き、メヴィの青に近い深緑の髪を巻き上げた。
「ラプタ」
メヴィは繰り返した。しばし、噛み締めるように沈黙する。背を向けられているため、メヴィがどんな表情をしているのか、エルマニアからは見えない。おそらく喜んでいるのだろうとエルマニアは思う。少女の背中に走る呪痕はいつにも増して輝いていた。
やがてメヴィは上着を着直した。ふわりと長い髪を持ち上げて居住いを正し、相棒と向き直る。
「それじゃあこれからはメヴィ・ラプタですね。私はどんな呼び方をされるのでしょうか。えへへ、献身の魔女、なんて呼ばれちゃうんですかね?」
嬉しそうにはにかむメヴィを見て、エルマニアは「呼ばれるとしたら腐敗の魔女だろう」という言葉を飲み込んだ。
エルマニアが「お前たち、直っていいぞ」と言うと隊員たちが待ってましたとばかりに振り向き、口々に祝いの言葉を並べた。
「メヴィ隊長、おめでとうございます! 隊員として誇り高いです!」
「明日の魔女新聞が楽しみですね。今回ばかりはあの新聞屋も隊長を褒めるでしょう」
「新聞屋?」
「あー、トールマンは会ったことがないか。新聞屋ってのは隙あらば隊長のことを好き勝手に書く厄介者のことだ。前なんて大活躍した俺たちのことを『魔女の弟子とおまけたち、戦場で大暴れ』なんて書きやがったんだぞ!」
隊員が褒めるたびにメヴィがえへんと胸を張った。仰け反りそうな勢いである。
「そのあたりにしておけ。こいつはすぐ調子に乗る」
「相棒が辛辣です……」
どこに隠れていたのか、物陰からナヲが走ってきてメヴィの首元に巻きついた。顔についた誰かの血をぺろぺろと舐めようとする。
「冗談はさておき、エマの言うとおりです。そろそろ逃げる準備をしてください」
「逃げる? 戦う準備じゃなくて、ですかい?」
トールマンが首をかしげた。それもそのはず。メヴィたちは大勝利を収めたのだ。今から西方蛮族の残党を掃討するのだと皆が思った。そして勝利の宴を開くのだと。
だがメヴィの表情は晴れない。彼女は険しい目つきで東の方角に目を向けている。
「ええ、本当はここを拠点にしたかったんですけど、あの男が見逃してくれないようです。ほら……プーレリアの外を見てください」
トールマンは言われたとおりにプーレリアの東を見た。
そこに並んでいたのはなんと――パラアンコ軍。自由の国を象徴する国旗が、地平線にずらりと掲げられている。
まさに圧巻。トールマンはゾッと寒気がした。沈みかけた夕日を背に、高笑いする栄光玉砕の姿を幻視したからだ。なぜここにいるのか。どうしてこのタイミングで、どうやって。
「パラアンコ軍は、シャルマーンと戦っているはずでは!?」
トールマンが叫んだ。あまりに逞しく、屈強なパラアンコ正規軍。かつては“崩壊しかけのパラアンコ軍“などと呼ばれていたが、今やフィリップの新体制によって生まれ変わり、その迫力はパラアンコ全盛期を彷彿させる。
「驚きですね。ここにパラアンコ軍がいるってことは、フィリップ隊長、もう北の戦場を片付けたってことです」
フィリップはシャルマーンとの戦いに勝利し、その足でプーレリアまで進軍してきたのだ。メヴィたちは知るよしもないが、フィリップは弓騎士が没したという情報を得た時点で、シャルマーンへの速攻とプーレリアへの進軍を決めていた。それほどに彼はパラアンコ統一を優先的に考えていたのである。
こうなれば悠長に話している場合ではない。なにせメヴィたちは弓騎士が没した際、不可抗力とはいえ、拠点で多くのパラアンコ兵を殺したため、逆賊として軍から手配されている。
「手柄を取られるのは癪ですが今は退きましょう、皆さん、撤退の準備をしてください」
「それにしたって数が多い。崩壊しかけのパラアンコにあれほどの戦力がいたとは思えんぞ」
「諸侯貴族が抱えていた私兵軍を吸収したんだと思います。ほら、反抗する貴族を次々と処刑したって記事になってたでしょ?」
皮肉にもフィリップが台頭したことでパラアンコは一致団結した。今までは保身を考えていた諸侯貴族たちも今やフィリップの傘下に入り、彼の手が届かないのはもはや西方の地のみである。
国民はさらにフィリップを支持するだろう。だが彼らは知らない。パラアンコと隣接する国はシャルマーンだけではなく、他の周辺諸国もまたパラアンコの地を手に入れようと狙っている。そして、それらの力関係をうまく保っていたのは他ならぬ諸侯貴族だ。彼らが国境沿いから他国に圧をかけていたからこそシャルマーン以外の国々は沈黙していたのだが、それらの抑止力が中央に集権され、西部統一と打倒シャルマーンに動き出した今、パラアンコの情勢は国民が思っているほど喜ばしいものではない。たとえシャルマーンとの戦争に勝利したとしても、疲弊したパラアンコを狙って他国が攻め入ってくる。
そういった可能性はもちろんフィリップも考慮しているはずだ。しかし彼は、自らが栄光を掴んだ先に国が滅びたとしても知ったことではない。
「恐ろしいな」
「まったくです。恐ろしいですねえ」
白い獣が「ナヲー」と鳴いた。まるで自分がついていると主張するみたいだった。
パラアンコ軍とは反対側に目を向けてみると、敗走したカーリヤ族が次々と祝福軍に降伏しているのが見える。
「あら、熊さんはまだ頑張っているみたいです」
「あの大斧を持った男か。我々の手で仕留めたかったが、今からでは間に合わんな」
カーリヤ族が次々と武器を落としていく中、ボルドーはたった一人で祝福軍と戦っていた。孤軍奮闘、まさに英雄。メヴィやエルマニアとしては、ウサック要塞での借りを返せないのが悔やまれるといったところか。
ボルドーに気を取られてパラアンコ軍に包囲されたら元も子もない。メヴィは気持ちを切り替えて指示を出した。
「では皆さん、祝福軍と合流してプーレリアを脱出しましょう。ラプタ小隊、出陣!」
新たなる小隊の名のもと、メヴィの掛け声に呼応して隊員たちが叫んだ。義勇兵改め、ラプタ小隊の門出だ。これは後に語られる歴史の転換点。長く続いたパラアンコ内紛が終了した日であり、同時に、パラアンコ軍を幾度となく苦しめる小隊が生まれた瞬間であった。




