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献身欲求  作者: 畑中みね


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とある少女の過去

 

 その瞬間、戦場が止まった。祝福軍とカーリヤ族の双方が手を止めて城を見上げた。刃を振りかざした敵が目の前にいるにも関わらず、彼らは王城に起きた異変に目を奪われてしまった。


 空が暗い。城の頂上から、黒い柱が天に向かって伸びている。

 誰もが本能的に理解した。生まれてはいけない存在が世に降り立ったのだ。そしてロネ・ドロシーが、カーリヤ族の王が敗北したのだ。

 カーリヤ族は絶望し、次々に武器を手放した。カーリヤ族にとってロネは精神的な主柱だ。ロネのおかげで数えきれない勝利を掴んだがゆえ、その反動も計り知れない。ましてや総大将であるロネが討たれたならば降伏しか道がない。

 逆に祝福軍の邪教徒たちは歓喜した。戦場であることも忘れて王城に平伏した。共に手を取り合って涙を流した。


「魔女様だ……偉大なるお方が誕生されたのだ!」

「我々には魔女様のご加護がついている!」

「こたびの戦いは無駄ではなかった!」


 邪教徒たちが口ぐちに魔女を讃える。魔女を崇拝する彼らにとって、魔女誕生の瞬間に立ち会えたことはこれ以上ない喜びであった。


「さあ、魔女様をお迎えする準備をしよう! 今こそ祝福教会の威光を示すのだ!」


 声高々に宣言をしているのは祝福軍を指揮する男、アントニウス枢機卿だ。彼は興奮を抑えきれないといった様子で聖槍を掲げた。アントニウスの掛け声に呼応して邪教徒たちが吠える。彼らの雄叫びが勝鬨となって戦場に響いた。


「まさか……メヴィさん……?」


 救護テントの入り口でエチェカーシカが呆然と立っている。彼女は第六感とも呼ぶべき勘によってメヴィが魔女になったのだと知覚した。


「ハハッ……やった、やった!」


 エチェカーシカは小躍りを始めた。

 よもや知人から魔女が生まれるとは思っていなかったがゆえ、彼女は両手を上げて喜んだ。さらに言えば、今すぐにでも周囲の同胞に「私は魔女様の知人なのだ」と自慢をしたい衝動にかられた。だがここは負傷者がとめどなく運ばれる救護テント。


「エチェカーシカ! サボってないで働きなさい!」


 先輩祈祷士からの怒りの呼び出しが聞こえたため、エチェカーシカはすごすごと救護テントの中へ帰った。


 ◯


 サルトリア魔術学院の地下にある実験室にも魔女誕生を感知する者がいた。新聞屋・ルドウィック。彼は手を止めて虚空を見上げている。


 普段は暗い目をしている彼だが、今はまるで瞳の中に宇宙が存在するかのように無数の光が瞬き、その光ひとつひとつにプーレリアの景色が映し出されている。

 千里を見通す星詠みの目によって、今まさにプーレリアの王城を観測しているのだ。


「若干十四歳……いや、もうすぐ十五歳になるのかな。うら若き魔女の誕生だ。まあ彼女の精神年齢を考えたらもう少し上だろうけど」


 ルドウィックは上機嫌でプーレリアの様子を眺めていたが、しばらくしてから目を閉じた。再び目を開けると普段の暗い目に戻っている。


「ルーミラは今ごろ大喜びだろう。メヴィちゃんの様子をちょくちょく精霊に報告させていたし、ああ見えて気にかけているのは明白だ。今は亡き大精霊の面影を重ねているのかもしれないけど、もう少し素直になればメヴィちゃんも屋敷に帰る頻度が増えるのに。ねえピッチ、そう思わないかい?」


 ルドウィックの前にはピッチの死体が寝かされていた。胸元を大きく開かれた状態でナイフを入れられ、本来あるべき臓器が抜き出されている。ピッチの体は一般的な魔術士と比べて奇妙だった。骨や臓器の間に無数の菌糸が張り巡らされ、今もなお死体から栄養分を吸収して動いている。


「君、まだ生きているんだろう? 菌糸が根絶やしにされない限り君は死なない。魔女の中でも飛び抜けてしぶとい存在だよ。でもまあ、本体の生命活動が止まり、寄生していたロネも死んだ今、この菌糸たちが最後の生き残りかな」


 呼びかけに反応したように菌糸がぷるぷると震えた。意思が残っているのかはルドウィックもわからない。だが“生きる意思がない”のは確かだろう。なにせピッチは兄を失ったのだ。兄の役に立ちたくて魔女になった彼女。ロネが死んだことでピッチもまた後を追うように生命の火を消そうとしていた。


「せっかくだから僕の話に付き合いなよ。奉仕することが幸せだと思い込んだ、とある少女の話だ」


 ルドウィックは丁重にピッチの臓器を運んだ。すでに彼の研究は最終段階に入っており、ピッチの臓器を調べることでとある確証を得られると思っている。つまり彼は貴重な研究材料を提供してくれたピッチとメヴィに感謝をしていた。


「彼女は裕福な家庭に生まれたけど、父親が少々変わっていてね。『子は親の命令に従うべきだ』という古い民族的な思想に取り憑かれていた。あの子の世界では珍しい家庭だよ。そのせいで彼女は学校に通わせてもらえず、幼少期から付き人のように働かされたらしい。彼女は逃げようとしなかった。満足に教育を受けられなかった彼女は、家の外での暮らし方がわからなかったんだ。学院で講義を受ける様子を見た感じだと、学校生活に憧れていたのかもしれないね」


 棚に無数のガラス瓶が並べられている。それら一つ一つが優秀な魔術士から摘出した臓器だ。ルドウィックはピッチの臓器をガラス瓶に入れると、腐敗を抑制する魔法薬に漬けて棚に並べた。


「彼女の母親は普通の女性だった。優しくて、気の弱い人だ。だから夫の思想が歪んでいると知っていても逆らえず、むしろ夫に逆らわないよう娘に言い聞かせたんだ。それが自分や娘を守る唯一の方法だと信じて。結果として少女は幼い頃から奉仕するように命じられた」


 彼は淡々と、メヴィの記憶を覗いたときの追体験を思い出しながら語る。言葉が届いているかは定かでないが、菌糸はぷるぷると震えながらルドウィックの話を聞いた。


「奉仕することが少女にとって精神的な支えだった。役に立たねば捨てられる。いつしか少女は自らを誤魔化し、奉仕することが幸せなことだと思い込むようになった。そうしなければ幼い心が持たなかったんだろう。一種の二重人格みたいなものさ」


 記憶の追体験とは普段の覗き見と違い、まさにメヴィ本人となって彼女の人生を経験することを意味する。つまりルドウィックは誰よりも正しくメヴィという少女について理解していた。その歪んだ思想や価値観、不運な人生、周囲との違いに悩んだこと、冬の凍えるような寒さ、常に感じられる空腹、父親による支配と暴力、母親への愛、あらゆる感情を彼は共有した。


「奉仕せねば愛されない。奉仕せねば存在価値がない。誰かのために奉仕するのは当たり前。いつしか脳裏に響く『奉仕せよ』という言葉が母の声なのか自分自身の声かもわからなくなった」


 とん、とん、とん、とピッチの臓器が棚に増えていく。呼応するようにルドウィックの語り節も熱を帯びていく。いつしか新聞屋の表情には笑みが浮かんでいた。


「それでも彼女は幸せだったんだ。徐々にやつれていく母の姿と、それを助けてくれない周囲の大人に対して憤りはあったけど、彼女の置かれた境遇には全く嘆いていなかった。献身的な自らの態度に満足し、どうすればもっと母が喜んでくれるかと考え続けた」


 満足そうな様子で戻ってピッチの死体を見下ろした。


「もっと命令を。もっと奉仕を。尽くせば尽くすほど満たされていく」


 ルドウィックにとってメヴィの追体験は非常に新鮮なものだった。あの狂っていて、されど何よりも純粋な気持ちは、ある種の感動を彼に覚えさせた。人はこれほどに振りきった考えをもてるものかと驚いた。


「まさに献身欲求」


 新聞屋の瞳が瞬いた。メルメリィ以外に興味を持つことが少ない彼が、理解したいと思った数少ない相手である。


「他人に植えつけられた思想がいつの間にか本物の欲求へと変わった稀有な例だ。非常に興味深いと思わないかい?」


 ルドウィックはしばし、ピッチの返答を待った。無論、菌糸は喋らない。それでも彼は椅子を近くに持ってきて座り、両手を前に組んでピッチの反応を観察した。

 彼はずっと語りたかったのだ。メヴィの記憶を覗いたあの日から我慢し続けた。メヴィの名を出すと不機嫌になるためメルメリィにすら話していない。当然ながら記事にできる内容でもない。


「おや、まだ動いているのかい。じゃあもう一つ話をしよう。メヴィちゃんの記憶によると、僕たちの体には人を判別できる配列があるらしい」


 菌糸の動きは随分と弱くなった。もはや死体から栄養を吸収する力も残っていない。

 それでもルドウィックは語り続けた。聞いてほしいのではなく、ただ自らの考えを言葉にしたいだけかもしれない。なにせルドウィックは初めからピッチが生きているか、死んでいるかは興味がないのだ。ただそこにいるから話し相手に選んだだけ。


「偏った教育を受けたあの子の知識じゃあ、そういうのがあるってことしかわからなかったけど、もしも配列を書き換えることができれば、成長過程によって生まれる突然変異を自由に生み出すことができるかもしれない。そして僕の魔術なら実現できる可能性が高い……わかるかい?」


 ルドウィックは手をこすり合わせた。笑みを深め、その暗い相貌をピッチに向けた。


「つまり、僕はメルメリィになれるんだ」


 ルドウィックの瞳に再び無数の光が旋回した。全てを見通す星詠みの瞳だ。ピッチの肌、細胞、その奥にある人体の神秘を覗き見た。そして次に自らの体と比較して仮説が間違っていないと確信した。極小の粒子となった夜霧がピッチの肌に入り込み、細胞の中でうごめいた。


「きっとすぐには変わらない。とんでもない失敗が起きるかもしれない。でも僕は、世に広まれば禁忌と呼ばれるだろう分野に手を出したいと思う。そしていつか僕の研究が成功したとき、シャルマーン王家はついにメルメリィが目覚めたと大騒ぎをするはずだ。その正体が僕だとも知らずに」


 ルドウィックには夢があった。シャルマーン王家を支配し、メルメリィを苦しめる王冠を破壊し、再び彼女の目を覚まさせるという夢が。ようやく足掛かりができたのだ。あとはつき進むのみ。

 ルドウィックは良くも悪くも純粋であるがゆえ、踏みとどまるという考えを知らない。たとえ禁忌の魔術だとしても、方法さえわかれば迷わずに実行するだろう。こういった部分は輪廻の魔女ルーミラに通ずるものがある。


 コツコツ、と階段を降りてくる足音が聞こえた。ウッドブラット教授が呼びにきたのだ。ルドウィックは夜霧を霧散させた。実験の続きはまた今度しよう。急ぐ必要はないのだから。


「さあ、そろそろお別れだピッチ。君の体は有効活用させてもらうよ。だから安心して眠るといい」


 わずかに残っていた菌糸が、ついに動きを止めた。

 それを見届けてから、ルドウィックは実験室を後にした。




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二つ名は奉仕の魔女?それとも腐敗の魔女になるのかな?
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