急襲は南から
快勝したにも関わらず、プーレリア城は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
異様な空気は下級戦士にも伝わり、まるで開戦前夜の野営基地にいるかのように、誰もが強ばった表情をしている。
――戦いが始まるぞ。得体の知れない化け物が、プーレリアに迫っているぞ。備えよ戦士たち。祝杯を上げるのはまだ早い。
そんな強迫観念が少しずつ、だが着実にカーリヤ族の間で広がった。
「何でこんなに厳戒態勢なんだ?」
「パラアンコ軍が攻めてくるって話だよ。先輩たちが怖い顔をしてっから、たぶん激しい戦いになるぜ」
「敵の拠点を奪ったばかりじゃないか。なのになんでプーレリアが攻められるんだ?」
「知らねえよ。でもボルドー様が鎧を着ているってことは、つまりそういうことだろ。せめてロネ様から何か説明があればいいんだが……」
ロネは帰還してからずっと城に引きこもっている。事情を知る者が見れば、妹の死を嘆いているように見えるかもしれない。王は何を考えているのか。それは腹心であるボルドーですら読めない。
「奇妙な匂いじゃ」
ボルドーが鼻をひくつかせた。じりじりと地面を這うような粘っこい悪寒がする。上級騎士たちの口数が自然と少なくなり、誰もが険しい顔で空を見上げた。冬が終わりかけているというのに重たい雲が広がっていた。
「ボルドー様、来るなら今日ですか?」
「ああ、来る。じゃが気配を掴みきれん。ピネ様を討つほどの実力者ならば既に感じ取れるはずじゃが……ワシも老いたかの」
「やはり……ピネ様が討たれたのは事実なのですね」
「認めたくないがな。ロネ様がおっしゃったんじゃ、間違いないわい」
まるで霧に包まれたような感覚だった。勘が鈍ったか、それとも何か見落としがあるのか、ボルドーには判別がつかない。
プーレリアの防壁は強固だ。ウサック要塞の防壁よりもさらに純度の高い耐魔導合金が使われており、魔術に対して極めて高い耐性を誇る。さらに北と西側に大きな川が流れているため攻めるのは困難。敵が来るとすれば必然と東側になる。
「ピネ様が守ってくださったプーレリアを、今度は我々で守るんじゃ。戦士にとってこれほど名誉な戦いはない」
何にせよ、突っ立っているわけにはいかない。先頭に立つ者として戦士を鼓舞する必要がある。ボルドーは大きく息を吸った。埒外な肺活量によって、鍛え抜かれた胸筋がさらに大きく盛り上がった。
「祖国祖先に勇姿を見せよ! 古くから伝わるカーリヤの歴史を守るんじゃ!」
ドン、とボルドーの大斧が地面を突いた。身の丈ほどもあろう鉄の塊だ。ただの一突きで地面が揺れる。大きすぎる黒熊の背中が戦士たちの注目を集めた。暗澹とした空に一筋の光が差す。
「気張れィ!」
「ハッ!」
カーリヤ戦士が一斉に返事をした。怯える者は一人もおらず、むしろ英雄黒熊と共に戦えると喜ぶ者ばかり。ここは戦士の国プーレリア。長きに渡る戦いを生き延びた戦闘民族である。
「ボルドー様!」
慌てた様子で伝令が駆けつけた。戦士の間に緊張が走る。
「来たか! 敵は誰だ? 魔女の弟子か!?」
「いえ、それが――」
言い淀む伝令。訝しむ様子でボルドーが続きを促す。
「攻めてきたのは……邪教徒です!」
◯
プーレリアを守る門の前で激しい戦闘が繰り広げられている。攻め手は邪教徒によって編成された祝福軍。力量こそ軍人やカーリヤ戦士に劣るものの、その数は二万に達する大軍勢であった。
なぜこれほどの大軍が近づくことをカーリヤ族は許したのか。それは邪教徒――つまりサルファの祝福教会とカーリヤ族は敵対関係ではなかったからだ。ゆえに祝福教会の本拠地であるアイゼンから大勢の信徒が出立したと聞いたときも、まさか自分たちに攻めてくるとは予想していなかった。
「わはは、攻め続けるのです! 魔女様のご威光を示すときがきました!」
胸元に『サルファの祝福教会』の首飾りをつける少女、エチェカーシカが高らかに声を上げた。彼女は丘の上から戦場を見下ろしており、眼下では奇襲を受けたカーリヤ族が次々と討ち取られている。
なんて素晴らしいことか。
祝福教会の力が、我らの炎が、魔女の敵を燃やすのだ。ああ、これ以上の幸せはない。エチェカーシカは恍惚とした表情で体をくねらせた。
「エチェカーシカ! 早く救護班に混じって治療しなさい!」
突然の怒声にビクッと肩が跳ねた。信徒の中にも階級があり、今のは上級祈祷士の声だ。エチェカーシカは慌てて救護テントに向かった。
「ようやく戻ったかエチェカーシカ! 患者が山積みだ、お前もさっさと取り掛かれ!」
エチェカーシカは命じられるがまま、バタバタと祈祷士のローブを羽織って患者の列へ向かった。痛い、苦しい、とうめく声がエチェカーシカの耳に届く。
ひどい有り様だ。
テントの中はまさに地獄である。前線で負傷した兵士が次々と運び込まれてくるが、全てを救うことはできない。魔術にも限りがある。だから祈祷士が順番に患者を診療し、手遅れな者は鎮静薬を打ってテントの外へ運ばれた。救えるか、それとも見捨てるかの判断をし、また次の患者を診る、果てしない命の選別だ。
常人であれば気が狂ってもおかしくない状況である。しかし――。
「さあさあ、お待たせしました。あなたはまだ戦えますね。お腹の傷だけ塞いでおきますので、もう一度、戦場へ向かってください。あなたは……少々お待ちを。よし、これで大丈夫です。この人をテントの外へ。よく頑張りましたね」
エチェカーシカは働けるのが嬉しいといった様子で治療をした。まるで、これこそが天に与えられた役目だといわんばかりに。
「これはひどい。でもご安心を。魔女様の加護がある限り、我々に敗北はありません! さあ、もう痛くないでしょう?」
「あ、ああ、ありがとうございます、これでまだ俺は戦える……」
「魔女に仇なす不届者を共に滅ぼしましょう。あなたにサルファ様の祝福があらんことを」
次から次へと現れる患者に嫌な顔をせず対応し、戦場へ帰る兵士には祈りを捧げるエチェカーシカの姿は、まさに祈祷士の理想像だった。ちなみにアイゼンからプーレリアまで徒歩で十日ほどの距離があり、慣れない行軍で疲れているはずである。にも関わらず懸命に働く姿は、その小柄な容姿も相まって兵士たちの心を打った。
エチェカーシカはこの状況をまったく苦に感じていない。それは他の祈祷士や看護士たちも同じである。邪教徒として虐げられていたがゆえ、ようやく魔女のために戦えることが嬉しくてたまらない。度を超えた信仰心が彼らの恐怖を打ち払うのだ。
「見ていてくださいメヴィさん! 不肖エチェカーシカ、微力ながら、あなたの力になります!」
祈祷士の力は教会が独占しており、そして邪教でありつつも一応は教会である『サルファの祝福教会』はそれなりの数の祈祷士を有している。対してカーリヤ族は戦士の一族。治療手段はあるものの、祈祷士のような即効性はなく、戦いが長引くほど不利になっていく。倒れたそばから治療して送り出す祈祷士の力は非常に厄介だった。
「鬱陶しい奴らじゃあ! ワシが捻り潰してくれる!」
やがてボルドー率いるカーリヤ族の主戦力と、祝福軍が正面から激突した。当初は邪教徒の襲来に対してあまり危機感を抱いていなかったカーリヤ族だが、不死身のような彼らの戦い方に段々と焦り、プーレリアを守っていた兵力の半分以上が投入されることになった。
いくつもの魔術が飛び、数多の血が流れ、途切れることなく悲鳴や怒声が鳴り響き、地は震え、空気は濁り、剣戟の音が聞こえるたびに屍が積み重なった。
戦争が激しさを増していく。いまだ魔女の弟子は現れず。




