黒熊と王
パラアンコ軍の南方拠点を壊滅させた。
カーリヤ族の勝利だ。
ロネ・ドロシーがプーレリアに帰還し、勝利の報せを街に届けるとカーリヤ族はおおいに沸き立った。敵の総指揮であるヴィクトルや、弓騎士アルジェブラを討ったことも報じられ、お祭り騒ぎのような活気がプーレリアを包んだ。なにせウサック要塞が奪われて以降、カーリヤ族は敗戦続きだったのだ。ロネの凱旋に多くの民が集まったのは言うまでもない。
だが、プーレリアに帰還したロネの表情は明るくない。拠点の奪取をあまり喜んでおらず、むしろ何かを恐れているかのように感じられる。少なくとも“黒熊”ボルドーの目にはそう映った。
「嫌な雰囲気じゃのう」
共に幾度も戦場を駆けた大斧を握りしめる。大きく息を吸うと空気が乾燥していた。空は重くどんよりと曇っており、まるでカーリヤ族の未来を示唆しているかのように見える。
「ボルドー様、失礼します。今後の戦いに備えるため、作戦会議室にお越しください」
「今後の戦い、のう」
ボルドーは含みのある言い方に鼻を鳴らす。この言葉が使われるのは、大抵の場合は何か問題が起きて呼び出されるときだ。彼は大斧を背負ったまま作戦会議室に向かった。
部屋で彼を待っていたのはロネだ。付き人はおろか護衛すらつけていない。
「ロネ様、いったい何があったんです?」
王は無表情だった。全ての感情を削ぎ落としたかのように冷たい瞳で街を見下ろしていた。
「ピネが死んだ」
「なに!?」
ボルドーの驚愕した声が部屋に響く。子がいないボルドーにとって、幼い頃から世話をしたピッチは孫のような存在だった。周囲が彼女を恐れる中、ボルドーだけは愛情を注いで育てた。戦いしか知らないボルドーにとって育児は非常に難しく、結果としていささか歪んだ性格に育ってしまったが、それでもボルドーは変わらぬ愛情を抱いていた。
ゆえに激昂する。たとえ覚悟していたといえども、我が子を失う悲しみは計り知れない。
「誰にやられたんです? パラアンコ軍の有力な戦士は北に集まっているはずでしょう?」
ボルドーは何人かの有力な戦士を脳裏に並べた。カーリヤ人を幾度も苦しめた弓騎士アルジェブラやバーミュル開拓部隊。負傷した戦士を最前線で次々と回復させる祈祷士、弓の名手、槍の師範たち。もしくは北でシャルマーンと戦う、パラアンコ歴戦の戦士。それらはすべて討ち取るか別の戦場にいるはず。そもそもピッチが敗けるなんて信じられない。
だがそう思いつつも、ボルドーの脳裏にはとある人物が思い浮かんでいた。一級騎士である自分に傷をつけた三級魔術士だ。かの悪名高き“輪廻の魔女”が唯一とったという弟子はボルドーの中でも危険分子として警戒をしている。ピッチが同格の魔女以外に敗けるとは思わないが、奴ならばあるいは――。
「確証はないが、一番可能性が高いのは貴様が想像している人物だ。俺は奴の部隊が戦う姿を戦場で直接見た。アレは常識で測ってはいけない存在だろう。ピネが討たれた以上、奴らは必ずこのプーレリアに攻めてくる」
「パラアンコ軍が来ますかね?」
「いいや、パラアンコ軍は現れないだろう。我々の本隊が敵軍を抑えている。来るとしたら、あの異分子が率いる部隊だけだ」
前線拠点を奪ったことでパラアンコ軍がプーレリアに進軍するルートは塞がれた。カーリヤ人の本隊が敗退しない限り敵軍が攻めてくる可能性は低い。北はシャルマーンとの同盟関係があるから考慮する必要がなく、西はカーリヤ族の領土であるため警戒は不要。南はいくつかの街があるだけでパラアンコ軍が駐屯する基地はなく、東門にのみ戦力を集中しておけばいい。カーリヤ人にとっては万全の体制であった。ピッチの死さえ、なければ。
「プーレリアの防衛を固めよ。本隊が不在な今、貴様の部隊が要だ」
「腕が鳴りますな。先の戦いでは居残りじゃったゆえ、ようやく大斧を振るうときが来ましたわい」
ボルドーの呪痕が脈打った。抑えきれない感情によってぶるぶると体が震えている。
「ピネ様の仇はワシが取る」
“黒熊”ボルドー。カーリヤ人にとっての大英雄が戦場へ往く。ボルドーの発する怒りの覇気は凄まじい。まるで今すぐにでも大斧を握りしめて飛び出しそうなほどに。
そんな覇気を浴びながらもロネは平然としていた。否、正確には別のことを考えていた。
「ボルドー、貴様に子がいれば、俺の跡を継がせたのだがな」
「ワシは戦うしか能がないですから、それは無茶な願いでしょう。それにワシに育児は向いておりません。唯一の我が子すら先に失ってしまったんじゃ」
「戦士とは戦場で散るものだ。ピネも貴様も、そして俺も。どれほど高度な剣術を教えても死は避けられんよ」
ボルドーが悲しそうに目を細めた。ピッチに対して孫のような愛情を注いだボルドーだが、同じぐらいロネのことも孫のように想っている。ゆえに王の覚悟が誇らしく、そして寂しいのだ。
「ロネ様は知っていますかい。ピネ様は他の街に訪れると必ず花を買っていました。花好きなあなたに喜んでもらうためですよ」
ロネとピッチがまだ子どもだった頃、二人はよく花畑で遊んでいた。だが王の自覚が芽生えるにつれてロネが花畑に足を運ぶ頻度は減っていった。そして忙しい兄に少しでも花を届けようと、ピッチは各地の珍しい花を集めるようになった。
「俺は王だ。花を愛でる時間があるならば、少しでも多くカーリヤ族のことを考えねばならん」
「ですがたまには息抜きも必要でしょう。久しぶりに裏手の花畑に行ってみるのはどうですかい?」
「必要ない」
バッサリと切り捨てられたことに、ボルドーはまたも悲しそうな表情を浮かべた。ロネにかつての優しげな面影はない。王という役目が彼から大切なものを奪ってしまった。
ボルドーは心の中で問う。王よ、あなたは妹を愛していましたか、と。
「無駄話は終わりだ。戦いに備えよボルドー」
「……ハッ、承知しました」
時は戻らない。失ったものは帰らない。ボルドーにできるのはただ大斧を振るうことだけ。
ロネに背を向けて会議室から出た。部屋の中には孤独な王が残された。




