渓流にて
新たなる時代の幕開けに王都が震撼する最中、メヴィ一行は着実に西方蛮族の街・プーレリアに近づいていた。決して楽な道程ではない。パラアンコ軍と西方蛮族の両方から身を隠すために森の中を歩き、限られた食糧を分け合い、時には狩りで魚や獣を獲りながら進んだ。
過酷な環境での行軍だったが、部隊は誰一人として不満を言わなかった。パラアンコを救う、という大義のため。そして敬愛する隊長の背中を追うため。
「すっすめ〜我らっが〜」
皆で国歌を歌いながら士気を高めた。部隊の表情は異様なほど明るかった。
◯
トールマンは元パラアンコ軍の偵察兵だ。先の南方戦でメヴィたちの戦う姿に魅了され、勢いのままに入隊した。そのため部隊の中では一番歴が浅く、メヴィの影響も比較的受けていないほうである。
「エルマニア副隊長、大声で歌うと周囲の獣や伏兵に気付かれるのではありませんか?」
「そうならないように周囲を警戒するのが斥候の役目だ。つまりトールマン、お前の腕にかかっている」
「はあ……善処しましょう。ですがもしも見つかった場合、斥候に責任を押し付けるのはやめてくださいね。もう宴会芸をさせられるのはこりごりだ」
「それはうちの小さな隊長次第だな。なにせいつも率先して芸を披露してくれるポルナードが離脱しているのだ。残念ながら他の者が穴を埋めねばならん」
ポルナードが斥候部隊を連れてカタビランカに出発して以降、トールマンが元偵察兵の経験を活かして斥候をしている。だが経験の差は歴然。元軍人のトールマンから見てもこの部隊の練度は非常に高く、彼が抜けた斥候の代役を務められるかは自信がない。
だがやらねばならないのだ。なにせ生贄、もとい勇敢なポルナードが不在な今、宴会で恥をかかされるのは自分である。
「まあ彼らをあまり責めないでやってくれ。歌で士気が保てるなら安いもんだ。多少の危険は受け入れたほうがいい」
「尻拭いをするのは俺たちですが……というか」
トールマンがちらりと前方に視線を向ける。そこには小さな後ろ姿。
「なぜ、副隊長や隊長まで斥候をしているのですか?」
斥候と同じラインでメヴィやエルマニアが歩いている。そのことに他の者たちは慣れてしまったが、新顔であるトールマンは違和感を拭えなかった。
「私やメヴィぐらい呪痕が成長すると、ある程度『わかる』のだ。周囲に潜む生物の気配や息遣い、空気の揺れ、魔導元素のゆらめき。無論、その道の熟練者には及ばないが、斥候の真似事ならできる」
「だからって隊長が先頭に立っちゃまずいでしょ」
「その言葉はメヴィに言ってやれ。私は納得して斥候をしているのではない。あいつが先頭に立ちたがるから仕方なく付き合っているのだ」
エルマニアが額のしわをぐりぐりと押した。彼女の苦労が伝わったのか、一番前にいたメヴィが振り返る。そして二人に向かって手を振った。名前を呼ばれたと勘違いしているのだ。
ちなみにエルマニアは熟練者に劣ると謙遜をしたが、常に部隊の先頭でメヴィや仲間たちを守ってきた彼女の視野は非常に広く、今は亡き斥候部隊のオリバーと比べても引けを取らない技術を有している。
「もう少し進んだら休憩を取ろう。川の流れる音がする」
「……何も聞こえませんが?」
「ハッハッハ、精進するのだな」
バシバシと背中を叩かれるトールマン。彼は半信半疑で副隊長の背中を追った。
◯
やがてエルマニアの言うとおり渓流とぶつかった。部隊から喜びの声が上がる。真っ先に川へ飛び込もうとする何名かを静止しながらエルマニアが命令を飛ばした。
「ここで一時休息を取る! 役割を与えるから各自待機だ! そこ、まだ川に入るな! メヴィ、お前もだ!」
煮沸用の火を起こす者、帽子をバケツ代わりにして水を汲んでくる者、元漁師の経験を活かして魚を捕まえる者、食べられそうな木の実や植物、もしくは獣を狩りに行く者、負傷した味方の治療をする者、武具の手入れをする者。エルマニアがてきぱきと指示を出していく。
トールマンは魚を捕まえるように命じられた。といっても彼は元漁師ではない。どうやって捕まえればいいか見当もつかず、とりあえず裸足になって川に入ってみる。
「ひいぃ、冷てぇ」
冬が終わりに差し掛かっているといえども、まだまだ川の水温は低い。長時間浸かっていれば間違いなく風邪を引くだろう。こんな状態で本当に魚を捕まえられるのか。
周囲を見渡すと、漁の心得がある者たちが即席の釣竿を作ったり罠を用意している。彼らがいるならば自分は休んでも問題なさそうに思えた。
「それにしても、本当に川を見つけるなんてなあ」
軍にいた頃に任務で森の中を行軍したことがあるが、なかなか川を見つけられずに脱水症状を引き起こした味方を何人も見てきた。限られた食料と水で進むのがいかに困難であるか、トールマンは知っている。ゆえに易々と――少なくともトールマンにはそう感じた――渓流を探し当てた隊長たちに彼は敬服した。
「トールマン! そっちに一匹向かいました!」
「へ!? 俺ですか!?」
「早く逃げ場を塞いでください! ようやく追い詰めたんですよ!」
「ちょ、ちょっと無茶を言わんでくださ……うわ!」
小さな何かとぶつかったトールマンは盛大に転んだ。石の硬い感触と水の冷たさを背中に感じる。だがそれよりも彼は自分の上に乗る人物を見て驚愕した。
「た、隊長!? 何をしているんですか!」
「私も魚を捕まえようかと思いまして!」
小さな隊長が水を滴らせながらきらきらと笑った。深緑色の髪が濡れすぼって色みを濃くし、人形のように白い肌へ貼りつく。彼女と直接話すのは初めてだ。ゆえにトールマンは年甲斐もなく緊張した。
「それにしても惜しかったですね。私の腕がエマぐらい長ければ捕まえられたかもしれません」
「いやあ……手掴みは無理じゃないですか?」
「そうは限りませんよ。ほら、あっちを見てください。何匹も掴み上げているでしょう?」
「……そんな馬鹿な」
少し離れた場所でエルマニアが魚を鷲掴みにしていた。周囲の男たちがせっせと罠を準備する中、彼女はたった一人で次々と大物を掴み上げる。高い身体能力を誇る騎士だからこそ成せる技。
トールマンは思った。あれではまるで熊じゃないか、と。
「こら、やめときなさい。失礼なことを考えるとエマにバレますよ。ほら、こっちを睨んでいる」
「勘まで野生並みじゃないですか……いや、何でもありません。ハッハッハ、副隊長殿は流石の腕前ですね」
冷や汗を流すトールマン。下手な考えはよそう。
(それにしても……)
トールマンはごく、とつばを飲んだ。戦場では泣く子も黙る悪魔のような隊長だが、こうして話してみると普通の女の子である。しかも濡れた髪を耳にかける所作一つですらまるで貴族のような気品があり、野蛮な軍人や義勇兵しか知らないトールマンは我知らず鼓動を早くした。
そんなトールマンの様子を不思議そうに見つめるメヴィ。ハッと我に返ったトールマンが、慌ててメヴィの背中を押した。
「副隊長殿がいるなら安心です。我々は先に川から上がりましょう。長く浸かっているとメヴィ隊長の小さな体が風邪を引きますよ」
「私は小さくありません」
「ほらほら、早くいきましょう。俺も足が限界なんです」
うっかりこぼした失言を誤魔化しつつ、ついでに冷たすぎる川から抜け出す口実を作ったトールマンが川岸へ向かう。
ちなみに川を上がる際、背中から獰猛な野獣が如き視線を感じたトールマンは、一瞬だけ後ろを振り返った。すると、両手に大きな魚を掴んだエルマニアがじーっとトールマンを睨んでいた。
先に川を上ったことを怒っているのか、それとも彼女が妹のように可愛がる隊長と会話をしているのが気に食わないのか。
恐ろしや、恐ろしや、トールマンは背中をぶるっと震わせた。
「寒いんですか?」
「ええ、寒いというか、寒気がね」
ハッハッハ、と笑いながら焚き火に近寄った。冷えた指先がじんわりと温まり、トールマンはホッと息をつく。焚き火には獲れたての魚が木の枝に刺して焼かれており、少し離れた場所ではどうやって獲ったのか、身の丈ぐらいある猪の解体をしていた。今夜は久しぶりにまともな食事が取れそうだ。
「プーレリアまであとどれくらいですか?」
「うーん、結構進んだので……あと五日ほどで着くと思いますよ」
「おお、ようやくですね。到着したら、その、どうするんですか?」
「戦います」
メヴィは即答した。まるで世間話をするかのように軽い調子で。
「もちろん私は平和主義ですから、無血開城が理想ですよ。でもきっと、戦うことになります。歴史がそう物語っていますから」
「……どうして、そうまでして、戦えるのですか?」
「どうして?」
メヴィが不思議そうに首をかしげた。ああ、とトールマンは理解する。本当に彼女はわからないのだ。どうして、そのような問いをされるのかを。
「アルジェブラさんがそう願ったんですよ? 西方蛮族を滅ぼしてほしいと。みんなも、パラアンコが救われるのは嬉しいことでしょう?」
パチパチ、と薪がはじける。傾いた太陽が少女の輪郭をぼやけさせる。夜が来るぞ。暗がりが少女の顔を隠してしまうぞ。
「そりゃあ戦いは嫌ですよ。私だって好き好んでカーリヤ族を滅ぼしたいと考えているわけじゃありません。でも、彼らは剣を構え、刃の先を私たちに向けるのです。じゃあ戦うしかないじゃないですか」
トールマンは「そうですね」と言えなかった。彼は元軍人であるため、戦えと言われれば剣を取る。だがそんな彼でも迷いがないわけではない。だが目の前の少女からは一切の躊躇を感じられなかった。
そして偶然にも、この「全ての敵を排除すべし」という考え方は、同時刻に王都で貴族や商人を排斥するフィリップ隊長と酷似していた。
「どれほど世間から非難を浴びようとも、どれほど後世で悪魔と罵られようとも、私は戦います。それがみんなのためになるのなら」
焚き火に照らされてメヴィの微笑みが浮かび上がる。トールマンはぶるりと震えた。この時に見た笑顔は、この日で最も美しく見えた。毒のような狂気がどろりと滲み出すようだった。
「だから一緒に祈りましょう。少しでも多くの仲間が生き残りますようにって」
「俺、神様を信じていないですよ」
「大丈夫です。いちいち信仰心を確認するほど神は狭量じゃありません」
「そうだといいですね。ちなみに隊長はどこかの宗教に入っているんですか?」
「サルファの祝福教会でいつもたんまりとお布施を払っていますよ」
そう言われたトールマンは少女と一緒に祈った。瞳を閉じ、手を重ね、いるかもわからぬ神に向かって。無言になると、川岸ではしゃいでいる仲間の声が聞こえてくる。他にも風のざわめきや焚き火の弾ける音、そして、小さな隊長の息遣い。
ああ、自分も部隊の一員なのだ。
トールマンは目を開けた。小さな隊長がニコニコと微笑んでいた。




