第22話 届け出
三十日ある、とルカは言った。
「一日で終わらせます」
そう言って、彼は翌朝、領主府の窓口に立った。抱えていたのは、帳面が十二冊と、革袋が四つだった。
窓口の書記は、帳面を見て、それから革袋を見た。
「……何の届け出ですか」
「安全基準第二条に違反する魔道具の、所持の届け出です」
ルカは言った。
「三千百四十台あります」
書記の手が、止まった。
「三千?」
「はい」
「所持者は」
「私です」
「一人で、三千台」
「はい」
ルカは帳面を開いた。
「全台、クレイン商会の所有です。貸出契約書の写しを持参しました。借り受けている方々は、所持者ではありません。所有者は、私です」
書記は、帳面をめくった。
一冊目。二冊目。三冊目。
契約書の写しが、びっしりと綴じられていた。全件に判があり、全件に「所有権はクレイン商会に属する」と明記されていた。
彼は、顔を上げた。
「……上の者を、呼びます」
三人が出てきた。
領主府の役人と、書記長と、もう一人、黒い外套の男。
セヴェルだった。
「これは、クレイン殿」
男は穏やかに言った。
「早いお届けで」
「三十日も要りませんでしたので」
「まことに結構なことでございます」
セヴェルは書類を覗いた。
「では、過料の徴収と、当該魔道具の没収に移らせていただきます」
「過料は、いま払います」
ルカは、革袋を四つ、窓口に置いた。
重い音がした。
「銀貨九千四百二十枚。金貨に直して九十四枚と二十枚です」
役人が、目を剥いた。
セヴェルの表情が、初めて動いた。
「……全額、いま?」
「はい」
ルカは言った。
「分割は求めません」
彼は、袋の口を開けた。役人が数え始めた。数えるのに、半刻かかった。その間、ルカは一言も喋らなかった。セヴェルも、喋らなかった。
数え終わって、書記が受領証を書いた。
『クレイン商会より、安全基準第三条に基づく過料 銀貨九千四百二十枚、確かに受領した。』
ルカは、それを受け取った。
丁寧に折り、懐に入れた。
そして、初めてセヴェルを見た。
「セヴェルさん」
「はい」
「没収の件ですが」
「はい。三千百四十台、すべて引き渡していただきます」
「どこへ運べばよろしいですか」
セヴェルの目が、わずかに揺れた。
「……連合の倉に」
「連合は、領主府ではありませんね」
ルカは言った。
「第二条には『製造・販売・使用してはならない』とあります。第三条には『所持を禁ずる。所持者は速やかに届け出るものとし、違反者には過料銀貨三枚を科す』とあります」
彼は、条文の写しを出した。
「没収の条文が、ありません」
役人が、書類をめくった。
三人が、覗き込んだ。
長い沈黙があった。
「……ございませんな」書記長が呟いた。
「百二年前、ヴェント工房の品は没収されました」
ルカは言った。
「あれは、判決によるものです。訴訟を起こして、判決を取って、初めて没収できた」
彼は、受領証を叩いた。
「私は、届け出て、過料を払いました。法の求めることは、全部やりました」
セヴェルの声が、初めて硬くなった。
「使用は、禁じられております」
「はい。ですから、私は使っていません」
「三千台が、街で灯っておりますが」
「使っているのは、借り受けている方々です」
ルカは言った。
「その方々は所持者ではありません。届け出の義務もありません」
「使用の禁止は、所持者に限りません」
「では、使用者を罰してください」
ルカは静かに言った。
「三千人を、一人ずつ」
部屋が、静まり返った。
セヴェルは、動かなかった。
「三十日以内に、三千人に過料を科す」
ルカは言った。
「職人街の四百人。下市の四百三十二人。市中の二千三百人。全員から銀貨三枚ずつ集めてください」
彼は、続けた。
「集められると思いますか」
役人が、隣の書記長を見た。書記長は、目を逸らした。
「……クレイン殿」
セヴェルが言った。
「脅しておいでか」
「事実を申し上げています」
ルカは言った。
「三千人は、払えません。払えなければ、灯りを取り上げることになります。取り上げれば、その日から職人街は日が暮れたら仕事ができません」
彼は、窓の外を見た。
「この街の刃物は、いま七割が夜に研がれています。写本の八割が夜に書かれています。仕立ての——」
「結構です」
セヴェルが、遮った。
初めて、その顔から穏やかさが消えていた。
そして、ルカは最後の紙を出した。
「もう一つ、届け出があります」
書記が、震える手で受け取った。
『訴状』
『原告 クレイン商会 ルカ・クレイン』
『被告 カルディア商会連合』
『請求の趣旨
一、被告が申請し領主府が確認した魔道具安全基準第一条ないし第四条は、その認可の前提を欠くものであり、無効であることを確認する。
二、被告は、原告が支払った過料銀貨九千四百二十枚を返還せよ。』
セヴェルが、それを読んだ。
そして、笑った。
初めて見る、乾いた笑いだった。
「……過料を、返せと」
「はい」
「そのために、九十四枚を払われたのですか」
「はい」
ルカは言った。
「払わなければ、私はただの違反者です。払ったから、私は損をした人になりました」
彼は、受領証を掲げた。
「損をした人だけが、訴えられます」
訴状は、その日のうちに受理された。
そして、翌日、ルカのもとに通知が来た。
『商事裁判所において審理する。主席判事、オルモ・フェルド。』
「同じ名前だ」ネルが言った。
「百二年前の判事は、いまの当主の高祖父だ」
ルカは言った。
「代々、同じ名を継いでいる」
「ずるくない?」
「ずるい」
ルカは、通知を置いた。
「向こうの土俵だ。九日で判決が出るかもしれない」
「じゃあ、どうすんの!」
「土俵を、変える」
イルマの家に、三人が集まった。
老女と、ルカと、そしてもう一人。
記録院の現職の書記長だった。イルマの二十年来の同僚で、白髪の小柄な男だ。
「困りましたな」
男は、湯呑みを両手で包んで言った。
「私に、地下の閲覧許可を出せと」
「はい」
「出せません」
書記長は言った。
「地下第三棚は、商事裁判所の管轄です。閲覧には、判事の許可が要ります」
「判事は、フェルドです」
「そうです」
沈黙が落ちた。
イルマが、口を開いた。
「ヤコブ」
「なんだね」
「あんた、四十年前に、あたしと一緒に入ったよね」
書記長が、湯呑みを置いた。
「入ったな」
「あのとき、あんたはこう言った。『記録院は、誰のものでもない』と」
イルマは言った。
「『領主のものでも、連合のものでもない。書かれたことが消えないように、預かってるだけだ』と」
男は、しばらく黙っていた。
「若かったのだ」
「いまは違うのかい」
「……違わん」
彼は、目を閉じた。
「だが、私には孫がいる」
ルカは、口を挟まなかった。
長い沈黙のあと、書記長は言った。
「ひとつ、方法がある」
「地下第三棚は、閲覧に許可が要る」
男は言った。
「だが、目録は違う」
ルカが、顔を上げた。
「目録?」
「どの棚に、何年の、何番の記録があるか。それを書いた冊子だ」
書記長は言った。
「あれは、閲覧自由だ。誰でも見られる。中身は書いていないからな」
「では、目録には」
「文書の番号と、標題と日付が載っている」
ルカは、息を呑んだ。
「標題が、載っている」
「載っている」
「『連合理事会議事録 第十一回』も、載っていますか」
書記長は、頷いた。
「載っている。番号も、日付も」
彼は、湯呑みを置いた。
「中身は、読めん。だが、『百二年前のその日に、連合理事会がその議題で会合した記録が、記録院に存在する』ということは、目録から証明できる」
ルカは、しばらく動かなかった。
そして、言った。
「……充分です」
「充分か?」
「充分です」
ルカは言った。
「裁判所に出させます」
「訴訟の中で、証拠の提出を求めることができます」
ルカは言った。
「ただし、『何かある』では駄目です。どこに、何が、あるかを特定しなければならない」
彼は、紙に書いた。
『記録院地下第三棚、目録番号一一四七番。標題「カルディア商会連合 理事会議事録 第十一回」。日付、百二年前・霜月三日。』
「番号と標題を特定して、提出を求める」
ルカは言った。
「裁判所が、記録院に出させます。判事が拒めば、拒んだ事実が記録に残ります」
イルマが、目を細めた。
「拒むだろうね」
「拒むでしょう」
ルカは言った。
「ですが、これは商事裁判所の審理です。判決は、領主府に報告されます」
彼は、顔を上げた。
「フェルド判事は、二つのうち一つを選ぶことになります。証拠を出して負けるか、証拠を隠して、隠した記録を残すか」
書記長が、湯呑みを持ち上げた。
そして、初めて笑った。
「……若いのに、意地が悪い」
「よく言われます」
帰り道、ルカは坂の途中で足を止めた。
丘の上に、ソレル家の白い門が見える。
ミナの婚約は、まだ生きている。式は延期されていた。理由は誰も言わない。だがルカにはわかっていた。
私が潰れるのを、待っている。
潰れれば、フェルド家はミナを娶る必要がなくなる。婚約は、ルカを縛るためのものだからだ。
そして、その判事の前に、彼はいま立とうとしている。
ルカは、しばらく門を見ていた。
それから、坂を下りた。
店に戻ると、ヴェントが待っていた。
老人は、作業台の前に座っていた。手元に、一枚の板がある。
「小僧」
「はい」
「裁判に出るのか」
「出ます」
「わしも出る」
ルカは、動きを止めた。
「ヴェントさん」
「証人だ」
老人は言った。
「ラウ・ヴェントの曾孫だ」
彼は、震える手を持ち上げた。
「この手のことも話す」
「ヴェントさん、それは」
「四十年、黙っとった」
老人は遮った。
「祖父も黙った。父も黙った。黙っとれば、また来ると思っとったからな」
彼は、板を置いた。
「もう、来る物はない」
ルカは、何も言えなかった。
老人は、笑った。
「小僧。わしはな、あの橋の下で、四十年考えとった」
「はい」
「なんで、うちの家が潰れたんだろうとな」
ヴェントは言った。
「悪いことをしたか? しとらん。灯りを作っただけだ。安くて、明るくて、魔石を食わん灯りをな」
彼は、白い光を見上げた。
「なんで、そんな物を作った家が潰れるんだ」
ルカは、答えられなかった。
「答えは、わからんかった」
老人は言った。
「四十年考えて、わからんかった。だが——」
彼は、ルカを見た。
「お前が来てから、二年半で、灯りが三千台になった」
「はい」
「同じ物を作って、うちは潰れて、お前は三千台だ」
ヴェントは言った。
「何が違ったか、教えてくれ」
ルカは、長いこと黙っていた。
そして、言った。
「一つだけです」
「言え」
「あなたの家は、灯りを売りました」
ルカは言った。
「私は、貸しました」
老人が、目を細めた。
「売れば、灯りは客の物になります。取り上げられたとき、客が罰を受ける。だから客は差し出す」
ルカは言った。
「貸せば、灯りは私の物です。取り上げるなら、私を罰するしかない」
彼は、続けた。
「あなたの家は、街に灯りを与えました。私は、街に灯りを預けています」
ヴェントは、動かなかった。
「与えた物は、取り上げられます」
ルカは言った。
「預けた物は、取り上げるのに、預けた人間を通さねばならない」
老人は、長いこと少年を見つめていた。
そして、俯いた。
肩が、震えていた。
「……じいさんに、聞かせてやりたかった」
「はい」
「たった、それだけのことだったのか」
「たった、それだけです」
ルカは言った。
「ですから、あなたの家が愚かだったのではありません」
彼は、静かに言った。
「あの人たちは、街を信じたんです」




