第21話 同じ人を奪う
一階が浸かったままの店に、ルカは灯りを二台持って行った。修繕の金は貸さなかった。代わりに、取次の前受けとして、報酬の半年分を先に払った。
「借りじゃないのか」
と主人が訊いた。
「前払いです」
ルカは言った。
「返す義務はありません。半年働いていただければ、それで済みます」
二軒とも、翌週から回りはじめた。
十四軒。十七軒。二十一軒。
冬が来る頃には、四十軒のうち二十一軒がクレイン商会の取次になっていた。
坂の中腹の店が七軒まとめて来た日、ルカはさすがに驚いた。
「相談したんだ」
代表の男が言った。
「一軒で行くと、うちだけ切られる。七軒同時なら、切れんだろうと」
「賢いですね」
「あんたの真似だ」
男は笑った。
「一軒じゃ潰される、って言ったんだろう。下市の連中から聞いた」
そして、二十二軒目で、止まった。
止まったのではない。押し返された。
ルカが話を持ちかけた店が、三軒続けて断ってきた。理由が、これまでと違っていた。
「悪いな。連合から、いい話が来とる」
セヴェルの新しい仕事は、ルカの真似だった。
『連合共済取次制度』
魔石小売各社は、連合の指定する魔道具の取次を行う。報酬は、契約一件につき月銅貨八枚。
さらに、こう書いてあった。
『取次店には、連合より魔石を卸値の八割で供給する。』
『取次店の店舗修繕につき、連合が無利子にて融資する。』
「八枚か」
バルサが唸った。
「うちは五枚だぞ」
「それだけではありません」
ルカは紙を指した。
「卸値の八割。魔石で儲けさせながら、灯りを配らせる」
「灯り? 連合に灯りがあるのか」
「あります」
ルカは、もう一枚の紙を出した。
『連合認定・安全灯』
図が描かれていた。筒の形。硝子。留め具。
そして、陣が描かれていた。
ヴェントが、それを見て、鼻を鳴らした。
「真似だな」
「刻めますか、これ」
「刻める。だが、点かん」
老人は言った。
「線が四十七本あるように見えるが、外周が閉じとらん。これは、古い陣の形だけを真似た、普通の魔石灯だ」
「魔石は」
「食う。普通に食う」
ルカは、紙を見つめた。そして、笑った。
「よくできています」
「どこがだ」
「魔石が売れ続けます」
ルカは言った。
「形はうちの灯りに似ている。白くはないでしょうが、『新しい灯り』として売れる。そして魔石を食う」
彼は紙を置いた。
「三千人を守るなら、これが正解です」
十日で、四軒が向こうに行った。
うち二軒は、一度クレインと契約していた店だった。
ルカは、引き止めなかった。
「小僧」
バルサが苛立った。
「なんで放っとくんだ」
「引き止める理由がありません」
ルカは言った。
「向こうは月八枚、こちらは五枚。魔石も安く入る。修繕の金も出る。私が店主なら、向こうに行きます」
「じゃあ負けじゃないか!」
「はい」
ルカは言った。
「金では勝てません」
彼は、板の前に立った。
そして、しばらく黙っていた。
「ネル」
「なに」
「向こうに行った四軒の、契約件数を調べてくれ」
三日後、ネルが帳面を持ってきた。
「変なの」
「どうした」
「向こうに行った四軒、灯りの契約が全然増えてない」
娘は言った。
「一軒目、十一件。二軒目、六件。三軒目、九件。四軒目、二件」
ルカは、顔を上げた。
「うちに残ってる店は、月に七十件は取ってるのに」
バルサが覗き込んだ。
「向こうの灯りが売れとらんのか」
「売れてない」
ネルは言った。
「聞いてきた。断られるんだって」
「なぜ」
娘は、少し口ごもった。
「……客が、『白いのはどこだ』って言うんだって」
店の中が、静かになった。
「連合の灯りは、橙色なんだ。魔石を食うから」
ネルは言った。
「職人が言うの。『こっちじゃない』って」
ルカは、ゆっくりと椅子に座った。そして、長く息を吐いた。
「……そうか」
「なにが?」
「客が、うちの品を知っている」
彼は、帳面を閉じた。
「二年半、私は職人街に灯りを配ってきた。四百人が使っている。使っている人が隣に喋る」
ルカは言った。
「連合は、それを買えなかった」
だが、それで勝ちではなかった。
十日後、ルカは水門通りの店から呼び出された。
半年分を前払いしたあの店だ。主人は、店の前で待っていた。顔が真っ青だった。
「小僧。すまん」
「どうしました」
男は、一枚の紙を差し出した。
『貴店に対する魔石卸の供給を、本月をもって停止する。』
「理由は」
ルカは訊いた。
「書いてない」
ルカは、店内を見た。
棚が、空だった。
「うちは、灯りの取次で月に十四枚もらっとる。だが」
主人は言った。
「魔石が入らんと、店が開けられん。魔石を買いに来た客に売る物がない。客が来なくなる」
「灯りの取次だけでは」
「食えん」
男は言った。
「いや、食えるんだ。金額だけ見れば食える。だが——」
彼は、言葉に詰まった。
「うちは、魔石屋なんだ」
ルカは、動かなかった。
「三十年、魔石屋をやってきた。親父の代から数えたら六十年だ」
主人は俯いた。
「灯りを配って回る仕事は、ありがたい。だが、それはうちの店じゃない」
その夜、ルカは店に戻らなかった。
川沿いを歩いて、橋の下まで来た。
ヴェントが四十年座っていた場所だ。いまは誰もいない。水の音だけがする。
彼は、石の上に座った。
金では勝てない。品でも、いまは勝っている。だが、それでも足りない。
サドウは商売替えを受け入れた。だが、水門通りの店は受け入れられない。同じ条件を出しても、人によって答えが違う。
——うちは、魔石屋なんだ。
その言葉が、ずっと頭に残っていた。
ルカは、川面を見た。
私は、あの人たちに何を渡そうとしていたのか。
仕事を渡した。金を渡した。取り分を計算し、歩合を決め、貸倒れを損として織り込んだ。
だが、店の名前については、一度も考えていなかった。
サドウ魔石店は、いまも「サドウ魔石店」の看板を出している。中身は灯りの取次だ。看板と中身が、ずれている。
サドウはそれを飲み込んだ。息子が帰ってきたからだ。
飲み込めない人がいる。
飲み込めない人のほうが、たぶん多い。
ルカは、長いこと座っていた。
そして、立ち上がった。
翌朝、彼はサドウの店に行った。
「サドウさん。看板を、変えませんか」
男は、湯呑みを落としかけた。
「なんだと」
「『サドウ魔石店』を、変えてください」
「……お前、うちの看板を下ろせと」
「いいえ。サドウの名は残してください」
ルカは言った。
「魔石店、の部分を変えてください」
男が、口を開けた。
「何にする」
「決まっていません」
ルカは言った。
「ですから、決めていただきに来ました」
サドウは、しばらくルカを見つめていた。
それから、店の外に出て、自分の看板を見上げた。古い、字の薄れた木の板だった。父の代からの物だという。
長い時間、男はそれを見ていた。
そして、言った。
「……『サドウ灯店』は、どうだ」
「いいと思います」
「うちが、灯りを扱う店になる」
男は言った。
「魔石も売る。だが、看板は灯りだ」
「はい」
「クレインの名は、入れんぞ」
ルカは、頷いた。
「入れないでください」
その一言が、街を動かした。
連合の取次制度には、条件があった。
『取次店は、店頭に「連合認定取次」の標を掲げるものとする。』
連合の名が、看板の上に乗る。
クレインは、乗らない。
「小僧」
バルサが言った。
「なんで乗せんのだ。お前の商標だぞ。街中の店にクレインの名が出れば」
「出しません」
「なぜだ」
ルカは、しばらく黙った。
そして、言った。
「うちの父の店は、看板が大きすぎたんです」
バルサが、動きを止めた。
「クレイン商会は、三十年、この街で一番大きな魔道具屋でした」
ルカは言った。
「潰れたとき、一緒に潰れたのは、うちの職人と、弟子と、取引先です。全員が『クレインの人間』だったからです」
彼は、帳面を叩いた。
「うちが潰れたら、いまの四十軒はどうなりますか」
「……」
「『クレインの取次』なら、一緒に沈みます」
ルカは言った。「『サドウ灯店』なら、沈みません。あの店は、あの人の店です」
十日で、九軒が看板を変えた。
サドウ灯店。ミロ灯店。水門のクロード灯店。
どこにも、クレインの名はない。
そして、そのうちの三軒は、連合側に行っていた店だった。
戻ってきた理由を、一軒の主人はこう言った。
「向こうの看板には、『連合認定』と書けと言われた」
「はい」
「うちの店の名の上に、だ」
男は吐き捨てた。
「六十年やってきた店の名の上に、あいつらの名を乗せろと」
彼は、ルカを見た。
「あんたは、なんで名を乗せんのだ」
ルカは、少し考えた。そして、正直に答えた。
「乗せたくないからです」
「なぜ」
「私の名は、まだ父の借金の名です」
ルカは言った。
「あなたの店に、その名を貼りたくありません」
男は、長いこと黙っていた。それから、ぼそりと言った。
「……あんた、いくつだ」
「十七です」
「十七か」
彼は、頭を掻いた。
「うちの息子と、変わらんな」
冬の終わり、板の数字は、こうなっていた。
取次店、二十九軒。
うち、看板を変えた店、二十二軒。
契約、三千百四十件。
月々の賃料収入、金貨二十六枚。
そして、取次店で働く人間が、百四十一人。
ルカは、その数字をしばらく見つめた。
残り十一軒。
四十軒のうち二十九軒。ヴァレンティが言った三千人のうち、まだ十分の一にも届いていない。だが、道筋は見えていた。
彼は、新しい紙を取った。
そして、書きはじめた。
『カルディア商会連合 理事 バルド・ヴァレンティ殿』
そこまで書いたとき、店の扉が開いた。
ドーラが立っていた。
顔色が、おかしかった。
「小僧」
「どうしました」
女は、紙を一枚握りしめていた。震えていた。
「出たよ」
ルカは、筆を置いた。
「何がです」
ドーラは、紙を帳場に置いた。
『カルディア領主府 布告』
『商会連合の申請により、百二年前に制定された魔道具安全基準の再確認を行う。基準第二条に定める照明用魔道具の製造・販売・使用の禁止につき、現行法として有効であることを確認する。
違反する魔道具の所持者は、三十日以内に届け出るものとし、期限を過ぎた場合、過料銀貨三枚を科す。』
ルカは、その紙を読んだ。
二度、読んだ。
そして、静かに言った。
「……来ましたね」
「来たじゃないよ!」
ドーラが叫んだ。
「三千件だよ! 三千人が、三十日で罰金だよ!」
ルカは、紙を置いた。
そして、初めて、はっきりと笑った。
「ドーラさん」
「なんだい!」
「その三千件は、誰の持ち物ですか」
女が、止まった。
「うちの物です」
ルカは言った。
「一台も売っていません。全部、貸してあります」
彼は立ち上がった。
「罰金を払うのは、私一人です」
「……三千件分の罰金だよ! 銀貨九千枚だ! 金貨九十枚だよ!」
「痛いけど、払います」
ルカは言った。
「そして、払ったうえで、領主府に訴えます」
彼は、外套を取った。
「払った者にしか、訴える資格がありません」




