第20話 消えた店
ドーラが書き出した一覧を、ルカは三日眺めた。
上市の大通りに四軒。裏通りに十一軒。坂の中腹に十七軒。そして、職人街の入口に、八軒。
彼は、最後の八軒に印をつけた。
「小僧」
バルサが覗き込んだ。
「なんでそこからだ。一番小さい店ばっかりだぞ」
「一番、死にかけているからです」
「……」
「職人街の八軒は、この一年で客の七割を失っています」ルカは言った。「私が奪いました」
彼は、炭を置いた。
「失うもののない人から、始めます」
サドウ魔石店は、職人街の入口から二本目の路地にあった。
間口一間。棚に、大小の魔石が並んでいる。奥に量りがあり、その脇に、二十年ぶんはありそうな帳面が積み上がっていた。
店番はいなかった。
ルカが声をかけると、奥から五十がらみの男が出てきた。痩せて、目に隈がある。
そして、ルカの顔を見た瞬間、その顔から表情が消えた。
「……帰れ」
「サドウさんですね」
「帰れと言った」
男は、震える手で棚を指した。
「そこの魔石は、去年の秋に仕入れた分だ。まだ半分残っとる」
サドウは言った。
「二十年、この店は月に三十回仕入れとった。いまは、二月に一回だ」
「はい」
「わかっとるのか、お前」
「わかっています」
ルカは言った。
「私がやりました」
男が、大きく息を吸った。
「……よくもまあ、その面で入ってこられたな」
「詫びに来たのではありません」
「なんだと」
「詫びても、あなたの棚は減りません」
ルカは言った。
「商売の話をしに来ました」
「うちの灯りは、いま街に九百三台あります」
ルカは、帳面を開いて帳場に置いた。サドウは、見なかった。
「二年後には、五千台を超えます。そのとき、この街の魔石の売上は、いまの三割になります」
「聞かせるな、そんな話を」
「聞いてください。そのあとの話をします」
ルカは、頁をめくった。
「五千件の貸出契約があると、何が起きるかご存じですか」
「知るか」
「毎月、五千人から、銀貨二枚か五分を集めなければなりません」
サドウの目が、わずかに動いた。
「うちには、集金に回れる人間が九人しかいません」
ルカは言った。
「一人が一日に十軒回っても、九十軒。五千軒を回るには、五十六日かかる。月に一度の集金が、間に合いません」
男は、答えなかった。
「壊れたら直しに行かねばなりません。引っ越したら追わねばなりません。払えなくなったら灯りを引き取らねばなりません」
ルカは言った。
「作るのは、もう問題ではないんです。配って、回って、集めるのが、できません」
彼は、顔を上げた。
「サドウさん。あなたは二十年、この界隈の何軒を回りましたか」
男の唇が、動いた。
「……三百二十軒だ」
「毎月、全部に会っていますね」
「会っとった」
男は言い直した。
「いまは、六十軒だ」
「三百二十軒の、名前と場所と、いくら払えるかを、覚えていますね」
サドウは、答えなかった。
ルカは、奥に積まれた帳面の山を見た。
「あれは、何年分ですか」
「二十二年だ」
男は言った。
「親父の代から数えたら、五十年」
ルカは、その山を長いこと見つめたそして、静かに言った。
「サドウさん。この街で一番値打ちのある物が、そこに積んであります」
男の顔が、歪んだ。
「馬鹿にしとるのか」
「していません」
「古い帳面だぞ。誰が銅貨一枚出す」
「私が出します」
ルカは言った。
「ただし、買いません。あなたに使っていただきます」
彼は、帳場に紙を広げた。
「うちと組んでください」
「組む?」
「うちの灯りを、この界隈で、あなたが貸してください」
ルカは言った。
「契約を取るのはあなた。集金もあなた。壊れた品を預かるのもあなた」
「作るのは」
「うちです。修理もうちがやります。あなたは受け取って、うちに送るだけで結構です」
サドウは、口を開けたまま動かなかった。
「取り分は、契約一件につき、月に銅貨五枚」
ルカは言った。
「三百二十軒すべてに入れば、月に銀貨十六枚。ずっとです」
男の目が、初めて帳面に落ちた。
「……いま、うちの上がりは、月に銀貨九枚だ」
「では、倍近くになります」
「魔石は」
「売り続けてください」
ルカは言った。
「うちの灯りも、米粒ほどの魔石は使います。それはあなたから買っていただいて構いません。うちは魔石を扱いません」
サドウは、帳場に手をついた。
「……本当に、それでいいのか」
「私は、灯りを作る人間です」
ルカは言った。
「売る人間は、この街に四十人います。あなたたちです」
沈黙は、長かった。
やがて、サドウは首を振った。
「駄目だ」
「理由を伺えますか」
「連合の卸が、うちを切る」
男は言った。
「クレインと組んだと知れたら、その日で終わりだ。魔石が入らなくなる」
「サドウさん」
ルカは、静かに言った。
「もう、切られているのと同じでは、ありませんか」
男が顔を上げた。
「二月に一度しか仕入れていないと、今おっしゃいました」
ルカは言った。
「去年の秋の魔石が、半分残っている。切られて困るのは仕入れている店です」
サドウの手が、震えはじめた。
「あなたの店は、連合にとって、もう客ではありません」
ルカは続けた。
「切ると脅されて怖いのは、まだ何かを持っている人だけです」
男は俯いた。
長い時間、そうしていた。やがて、掠れた声で言った。
「……上の息子を、去年、川向こうの荷役に出した」
ルカは、黙って聞いた。
「十六だ。うちを継がせるつもりだった」
サドウは言った。
「継がせる店が、なくなった」
彼は、顔を上げた。目が赤かった。
「小僧。お前が来たとき、殴ろうと思った」
「はい」
「殴らんかったのは、女房が奥にいるからだ」
男は言った。
「殴ったら、女房が泣く。この一年、あれは泣いてばかりだ」
ルカは、頭を下げた。
「申し訳ありません」
「詫びるなと言ったのは、お前だろうが」
「はい」
「じゃあ、詫びるな」
サドウは言った。
「帳面を使え」
契約は、その夜に結んだ。
書式は、ネルが三日で作った。
『クレイン商会は、サドウ魔石店に対し、第七区における灯りの取次を委ねる。取次は、契約の締結、賃料の収受、故障品の預かりを行う。報酬は、契約一件につき月銅貨五枚とし、契約の存続する限り支払う。』
サドウは、判を押す前に、一つだけ訊いた。
「小僧。俺が裏切ったらどうする」
「裏切るとは」
「集めた金を、持ち逃げする」
男は言った。
「月に銀貨十六枚も動くんだ。半年分持って消えたら、九十六枚だぞ」
ルカは、少し考えた。
そして、言った。
「そのときは、私が損をします」
「それだけか」
「それだけです」
ルカは言った。
「保証人は立てません」
サドウが、動きを止めた。
「うちの親は、他人の保証人になって潰れました」
ルカは言った。
「ですから私は、人に判を押させません。あなたに誰かを立てさせて、あなたが逃げたときにその人を追い詰める。そんな商売はしません」
彼は、まっすぐ男を見た。
「持ち逃げされる分は、あらかじめ損として計算に入れてあります。四十軒のうち二軒か三軒は、たぶん逃げます」
「……計算に入れとるのか」
「入れています。それでも、うちが集金人を雇うより安い」
サドウは、しばらく黙っていた。
そして、判を押した。
押してから、ぼそりと言った。
「逃げんよ」
ひと月で、七十四件が入った。
サドウは、三百二十軒を回り直した。二十年、月に一度ずつ会ってきた家々だ。扉が開くのが早かった。
「あんた、店を畳んだって聞いたけど」
「畳んどらん」
サドウは言った。
「商売替えだ」
彼が持っていったのは、白い灯り一台と、二十二年分の帳面だった。
払えない家は、彼が知っていた。だから最初から月銅貨五枚の口を勧めた。金のある家には二枚の口を勧めた。誰がいつ払えるかを、彼は帳面ではなく頭で覚えていた。
貸倒れは、七十四件中、一件だった。
「小僧」
ひと月後、サドウは帳場に金を置いて言った。
「うちの女房が、あんたに会いたいと言っとる」
「なぜです」
「泣かんようになったからだ」
二月目に、三軒が向こうから来た。
職人街の魔石屋のうち、残っていた七軒のうちの三軒だった。サドウの店に人が出入りしているのを、彼らは見ていた。
三軒目の主人は、店に入るなり言った。
「サドウのところが、いくら取っとるか教えろ」
「一件、月に銅貨五枚です」
「うちは六枚だ」
「なぜですか」
「うちの区は坂の上だ。歩く距離が違う」
ルカは、少し考えて頷いた。
「六枚で結構です」
「……いいのか」
「歩く距離は私にはわかりません」
ルカは言った。
「回る人が決めてください」
三月目の終わり、ルカは板に数字を書いた。
取次店、十一軒。
契約、千四百二十六件。
そして、その下に別の列を書いた。
取次店の雇用 —— 三十四人
サドウは息子を呼び戻した。荷役から帰ってきた十六の少年は、いま父と二人で第七区を回っている。
坂の上の店は、女房と娘を使いはじめた。
別の店は、辞めさせた小僧を呼び戻した。
ルカは、その数を数えていた。
三十四人。
ヴァレンティが言った三千人には、遠く及ばない。
だが、ゼロではなかった。
彼は炭を置き、その数字をしばらく見つめた。
魔石を売る仕事は、消える。
だが、灯りを配って、回って、直す仕事は増える。
同じ人が、同じ家々を回る。売る物が変わるだけだ。
三千人が路頭に迷うのではない。三千人が、別の物を配るようになる。
ルカは、新しい紙を取り出した。
そして、書きはじめた。
『カルディア商会連合 理事 バルド・ヴァレンティ殿
先日のご下問につき、答えを持って参ります。
三千人を、暗くしない方法があります。
つきましては、面談を——』
そこまで書いて、彼は筆を止めた。
長いこと、動かなかった。
そして、その紙を、静かに脇へ置いた。
「書かないの?」
ネルが、後ろから覗き込んでいた。
「まだだ」
「なんで。答え出たんでしょ」
ルカは、板の数字を見た。
十一軒。三十四人。
「向こうは、四十軒のうち二十九軒を、まだ握っている」
彼は言った。
「いま私が『三千人を救える』と言えば、あの人はこう言うだろう。『よろしい、では連合がその仕組みを買おう』と」
ネルが、口をつぐんだ。
「答えを持っていくのは、答えを実行できるようになってからだ」ルカは言った。 「四十軒のうち、三十軒がうちと組んだあとでいい」
「あと十九軒」
「あと十九軒だ」
彼は立ち上がり、窓の外を見た。
夜の街が、そこにあった。
職人街が白い。下市が白い。上市の外れが、少しずつ白くなりはじめている。
丘の上の屋敷にだけ、橙色の灯りがあった。
「ネル」
「なに」
「まだ握られている二十九軒のうち、いま一番苦しいのはどこだ」
娘は、帳面を三冊めくって、指を止めた。
「西の水門通り。二軒ある」
ネルは言った。
「去年、川が氾濫して、両方とも一階が浸かった。まだ直せてない」
ルカは、外套を取った。
「行こう」




