第12話 賃料
断られるほうが、多かった。
三軒目、雲母切りの兄。話の途中で首を振った。
「悪いが、女房に言えん」
七軒目、指物師。
「金を出せと言う奴は、みんな同じことを言うんだ。増えます、増えますってな。二十年前に一度、船の商いに出した。全部消えた」
十一軒目、写本師。扉を開けもせず、中から声だけが返ってきた。
「あんたの灯りは使ってるよ。だから金は貸せない。使ってる相手に金を貸したら、文句が言えなくなるだろう」
これは正しかった。ルカは礼を言って引き返した。
十六軒目、鋳掛屋の老婆。彼女はルカの話を最後まで聞いて、煙管を叩いてから言った。
「あんたの話が本当なら、あたしは得をする。嘘なら、丸裸だ」
「はい」
「けどね、小僧。あたしはこの歳まで、得も損もしないやり方で生きてきたんだよ」
老婆は言った。
「そのやり方が、一番、疲れないんだ」
ルカは、その言葉を長く覚えていた。
それでも、二十日で二十二人が出した。
イルマの四十枚。彫金のマルタが三十枚。刃物研ぎのゴードが十五枚。記録院を辞めた写本師たちが、五枚、八枚、三枚。
合わせて銀貨三百四十枚。金貨に直して三枚と四十枚。
八十枚には遠かった。だが動きはじめてはいた。二十二人が出したという事実そのものが、次の一人を動かす。二十三人目は、話を三行聞いただけで頷いた。
そして、その頃には噂が回っていた。
セヴェルが来たのは、二十四日目の夜だった。
黒い外套に雨粒をつけて、男は白い光の中に立った。相変わらず穏やかな顔をしていた。
「夜分に失礼いたします。組合連合より、警告書をお持ちしました」
紙が帳場に置かれた。
『貴殿は複数の市民より金銭を預かり、将来の返済および利得を約している。これは組合規約第三十一条に定める貸金業に該当し、免許を要する。免許なき業務を直ちに停止し、預り金の全額を返還されたい。』
ルカは二度読んだ。
「これは借金ではありません」
「利をつけて返すと約しておられる」
「元が戻ったあとも払い続けると言いました」
「では、利です」
セヴェルは微笑んだ。
「利をつけて金を預かる。それを貸金業と申します」
反論の言葉が出てこなかった。
その通りだったからだ。
「免許を申請することは」
「できます」
男は頷いた。
「審査は理事会でございます」
ルカは目を閉じた。
「……いつまでに返せと」
「七日以内に」
二十二人に、金を返して回った。
一軒ずつ、事情を説明した。誰も責めなかった。それが余計に応えた。
イルマは言った。
「小僧、しゃんとしな。返しに来られる人間は、まだ潰れてないんだよ」
だが、街を走る噂は事実より速かった。
クレインの倅が金を集めて、組合に止められた。やっぱり詐欺だったんだ。親父も人を騙して潰れたらしいぞ。
夜の店の客が、三割減った。
「もう一度やります」
ルカが言ったとき、バルサが額を押さえた。
「同じことをやれば、同じことになるぞ」
「同じことはやりません。形を変えます」
ルカは板に炭を置いた。
「セヴェルは貸金業だと言いました。理由は、私が『金を預かって利をつけて返す』と言ったからです。ならば、金を預からなければいい」
「どうやって」
「うちは灯りを貸します。賃料は月に銀貨二枚」
ルカは書いた。
「その賃料を、先にいただきます。銀貨四十枚を前もっていただいた方は、以後、賃料が月に銀貨五分になります」
ドーラが身を乗り出した。
「待ちな。月二枚が五分になるってことは、月に一枚五分の得だろ。四十枚出したら二十七か月で元が取れる」
「はい」
「その先は」
「割引はずっと続きます」
ルカは言った。
「使っている限り、月に五分。三十年で四百枚以上の得になります」
バルサが口を開けた。
「イルマの婆さんに言ったのと、中身は同じじゃないか」
「中身は同じです。形が違います」
ルカは炭を置いた。
「これは金を預かる話ではありません。賃料の前受けです。うちは金を借りていない。先にお代をいただいて、そのぶん安くしているだけです」
「そんな屁理屈が通るかい」
ドーラが言った。
「通ります」
ルカは静かに言った。
「先払いの客に値を引くのは、この街の商人が三百年やってきたことです。米屋も炭屋も酒屋もやっている。これを貸金業と呼ぶなら、上市の半分が貸金業になります」
バルサが、ゆっくりと笑いはじめた。
「小僧。お前、性格が悪いな」
「よく言われます」
もう一つ、ルカは仕掛けを足した。
注文帳の四十七人。作れないので、名前だけが並んでいる。前受けをいただいた方から、順にお渡しします。
これが効いた。
四十七人は、いつ手に入るかわからない品を待っていた。列の順番が金で動くとなった瞬間、待つことが損になった。前受けを入れた者は先頭へ行き、入れない者は後ろへ下がる。誰の損にもならない。ただ、待つ理由がなくなった。
十日で三十一人が入れた。
四十日目。
板の上に数字が並んだ。
前受け五十三人、銀貨千四百二十枚。金貨に直して十四枚と二十枚。この四十日の商いの利が十一枚。手元の蓄えが四十枚。
合わせて、金貨六十五枚と二十。
八十枚まで、あと十四枚と八十。
ルカは炭を置いた。指が震えていた。四十日、ほとんど寝ていない。
「あと十五枚だ」ドーラが数字を覗き込んだ。
「けど、もう出せる職人はいないよ。六十人、全部回ったんだろ」
「はい」
「残り二十日で、十五枚」
沈黙が落ちた。
そのとき、帳場の横に麻袋が置かれた。
ネルだった。
「これ」
「なんだ」
「あたしとトトと、あと五人ぶん」
娘はぶっきらぼうに言った。
「あんたが屑の袋で払ってくれた金。使わずに置いてた」
袋の口を開けると、銅貨が詰まっていた。
ルカはしばらく動けなかった。
「……いくらだ」
「四百六十枚。銀貨にしたら四枚と六十」
ネルは目を逸らした。
「たいした額じゃないのは知ってる。けど、置いといても増えないし」
ルカは袋を持ち上げた。
重かった。
一枚ずつ、廃品の山に潜って、埃まみれになって稼いだ銅貨だった。ルカが中身を数えずに袋ごと払い続けた、その一年分の重さだった。
「ネル」
「なに」
「これは預かるんじゃない。買ってもらう」
ルカは言った。
「前受けと同じ形にする。お前たちが大きくなって自分の仕事場を持つとき、灯りを一台、月に五分で貸す。ずっとだ」
娘は目を丸くした。
「あたしが、仕事場を持つの?」
「持つだろう」
ネルは口を開けて、慌てて閉じた。耳が赤くなっていた。
「……別に、そんなつもりじゃ」
「帳場の数字を三月で覚えた人間が、一生袋を担ぐわけがない」
残りは十枚と四十だった。
それを埋めたのは、思いがけない三人だった。
連合の条件を呑んで離れていった、あの三軒の主人である。
一番小さな店の主人が、代表して来た。頭を下げたまま、金を置いた。
「うちらは、あんたを裏切った」
「事情は知っています」
「それでも、あんたは『またいつでも』と言った」
男は顔を上げなかった。
「あの一言を、一年、忘れられんかった」
三軒で金貨十枚。
そして最後の四十をバルサが黙って帳場に放った。
「利は二割だ。返せなんだら、お前の店の権利を寄越せ」
「わかりました」
「……即答するな。少しは渋れ」
五十九日目の朝。
板に書かれた数字を、ルカは長いこと見つめていた。
金貨八十一枚。
一年と七か月前、坂を下りながら六十八年と計算した少年が、そこに立っていた。彼は帳面を閉じ、外套を着た。
「行ってきます」
店の全員が見送りに出た。ヴェント、ドーラ、バルサ、ネル、トト。通りの向こうから、イルマとマルタとゴードが走ってきた。
日が昇りきる前の、白い朝だった。
ルカは金貨の袋を抱えて、南の坂を上った。
ソレル家の白い門の前に立つのは、二年ぶりだった。
呼び鈴を鳴らす。
出てきたのは、あの女中だった。ルカの顔を見て、それから手にある革袋を見た。
「……ルカ様」
「叔父上に、お取り次ぎください」
「あの、それは」
「金貨八十一枚あります」
ルカは言った。
「ミナの縁組を、こちらで引き取らせていただきます」
女中は扉の内側で、二度、口を開けて閉じた。それから震える声で言った。
「少々、お待ちください」
扉が閉まった。
ルカは門の前に立ったまま、朝の風を受けていた。
二年前、この場所で、二階のカーテンが閉まるのを見た。泣くのはやめようと決めたのも、この坂だった。
長い時間が過ぎた。やがて、掛け金の外れる音がした。女中が、扉を大きく開けた。
「……どうぞ、お入りください」




