↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二年で金貨五百枚 ~妹を買い戻すため、失われた魔法で商売を始める~  作者: 霧里 野蒜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/29

第10話 夜だけ開く店

 「日が沈んでから開けます」

ルカがそう言ったとき、店の中にいた全員が、同じ顔をした。

 間口一間半。棚が三段。奥に作業台。二階に部屋が一つ。上市の外れ、ドーラの店の隣。三日かけて床を張り替え、壁を塗り直したばかりの、まだ塗料の匂いがする空間だった。

 「もう一遍言ってごらん」

 ドーラが言った。

 「日没に開けて、夜半に閉めます。昼は閉めます」

 「正気かい」

 「正気です」

 「小僧」

 バルサが呆れた声を出した。

 「上市の店は夜明けに開けて日暮れに閉める。三百年そうだ。夜に客が来るわけがなかろう」

 「来ませんか?」

 ルカは棚に品を並べる手を止めて、振り返った。

 「イルマさんは、いつ買い物ができますか」

 バルサが、口をつぐんだ。

 「彫金のマルタさんは。刃物研ぎのゴードさんは」

 ルカは続けた。

 「あの人たちは、日の出から日没まで仕事をしています。買い物に来られる時間があるとしたら、日が沈んだあとだけです」

 「だから、みんな買い物なんぞしとらんのだろう」

 「はい」

 ルカは頷いた。

 「誰も、あの人たちに売っていません」

 店の中が、静かになった。

 「上市の店は三百年、昼に開けてきました。だから昼の客のことしか知らない」

 ルカは棚に手を置いた。

 「職人街には四百人からの職人がいます。四百人が三百年、何も買わずにきた。それは、あの人たちに金がないからではありません。店が閉まっているからです」

 ヴェントが、作業台から低く言った。

 「組合の規則には、閉店の刻限はないのか」

 「ありません」

 ルカは言った。

 「開店の刻限もありません。三百年、誰も破らなかったので、書く必要がなかったんです」

 開店の日。

 日が沈み、上市の店が一軒ずつ雨戸を下ろしていった。

 ルカは、それを店先で見ていた。石畳から人が引いていく。魔石灯が消され、通りが暗くなる。夜のカルディアで明かりが灯るのは酒場と宿だけで、商いの通りは死んだように静まる。

 最後の一軒が閉まったとき、ルカは店に戻り、留め具を回した。硝子越しではなく、開け放った戸口から、まっすぐに白い光が、通りに溢れ出た。

 ドーラが、ぽかんと口を開けた。

 「……あんた、それ」

 上市の通りが、そこだけ昼になっていた。石畳の目地の一本一本、向かいの壁の亀裂、風に転がる紙屑まで、白く浮かび上がっている。

 そして通りの反対側は、闇だった。

 ヴェントが四台の灯りを店内の四隅に据えた。棚の上まで彫りの深さがわかった。

 「派手すぎやしないかい」

 ドーラが言った。

 「一番安い宣伝です」

 ルカは言った。

 「看板を出す金がありませんから」

 一刻、誰も来なかった。

 二刻、誰も来なかった。

 ネルが戸口で膝を抱えた。

 「ねえ、やっぱり誰も」

 「もう少しだ」

 ルカは帳場に座って、待った。落ち着いているように見せるのは、案外難しかった。掌に汗をかいていた。

 三刻目の初め、通りの向こうから、足音が近づいてきた。

 イルマだった。

 老女は外套を羽織り、袋を抱えて、白い光の中に立った。まぶしそうに目を細めて、それから笑った。

 「三年ぶりだよ、日が暮れてから買い物に出るのはね」

 「いらっしゃいませ」

 「墨壺が欲しい。あと、羽根が減った」

 その後ろから、もう一人。

 彫金のマルタが、腕を組んで立っていた。

 「イルマの婆さんが出かけるってんで、ついてきた」

 女は店内を見回した。

 「……本当に開いてやがる」

 そのまた後ろから、二人。

 刃物研ぎのゴードと、その弟子。

 「灯りの店だと聞いて来たんだが」

 老人は言った。

 「なんだ、他の物も売っとるのか」

 夜半までに、十九人が来た。

 売れたのは、再生品の湯沸かしが三台、細工用の小道具が十七点、雲母の板が二十枚、そして墨と羽根とインク。

 金額は、銀貨二十二枚。

 たいした額ではなかった。

 だが、店を閉めたあと、ルカは帳面を見ながら気づいた。

 十九人のうち、十四人が初めて上市で買い物をした人間だった。

 「あんた、気づいてるかい」

 ドーラが帳面を覗き込んで言った。

 「あの人らはね、上市に来たことがなかったんじゃない。来ちゃいけないと思ってたんだ」

 「なぜです」

 「昼に来たら、他の客がいるからだよ」

 女は言った。

 「前掛けに墨や油をつけたまま、身なりのいい客の隣に並ぶのは嫌なもんさ。あたしだって若い頃はそうだった」

 ルカは、帳面から顔を上げた。

 夜は、暗いから開いていないのではない。

 夜は、誰にも見られない時間だ。

 「ドーラさん」

 「なんだい」

 「明日から、店の前に長椅子を出します」

 噂が回るのは、速かった。

 夜だけ開く店。白く光る店。職人が集まる店。

 半月もすると、見物に来る者が現れた。上市の商人が、閉店後に散歩と称して通りかかる。中を覗いて、白い灯りに顔をしかめて、そして棚の品を見て、驚いて帰る。

 再生品は、上市の中古より三割安い。

 ひと月で、上市の商人が六人、こっそり客として来た。自分の店で売るために。

 ルカは断らなかった。卸はバルサを通した。

 「小僧」

 バルサが荷を運びながら唸った。

 「お前、上市の店に上市の中古を卸しとるんだぞ。連中はそれを、上市の値で売るんだ」

 「はい」

 「腹が立たんのか」

 「なぜです。私は売れています」

 「屑を銀貨一枚で買った品が、金貨に化けとるんだ。間を抜かれとる」

 ルカは荷を積みながら、言った。

 「いまは、それでいいんです」

 「なぜだ」

 「私が全部を自分の店で売ろうとすれば、店は一軒しかありません」

 ルカは言った。

 「他の店に卸せば、店は七軒になります。七軒の棚に私の品が並べば、この街の中古市場の値を、私が決めることになる」

 バルサの手が、止まった。

 「……お前」

 「値を決められる者が一番強い」

 ルカは荷車の縄を締めた。

 「儲けは、あとからついてきます」


 三月が過ぎた。

 夜の店は、上市の名物になっていた。

 職人が来る。職人の女房が来る。夜勤明けの荷役が来る。夜番の兵が、酒の代わりに油を買いに来る。

 灯りの注文は、四十七件まで溜まっていた。作れないので、注文帳に名前を書いてもらうだけだ。それでも人は書いていった。順番待ちの名簿があるという事実そのものが、この街で灯りの価値を証明していた。

 トトは、ヴェントの下で毎日怒鳴られていた。指の腹が硬くなり、線がまっすぐ引けるようになった。まだ陣は刻めない。だが下書きの円は、ヴェントが「悪くない」と言った。

 ネルは、いつのまにか帳場に座るようになっていた。数を覚えるのが速い。この街の下側の地図を頭に持っている娘は、いま、この店の在庫を頭に持っていた。

 そして、板の数字は。

 残り、四万三千二百枚。

 三月で二千六百枚。金貨に直せば、二十六枚。

 月に金貨八枚を超える利が出ていた。

 一年前、銀貨二枚で歓喜していた少年の商いは、そこまで来ていた。

 その男が店に来たのは、雨の夜だった。

 日が暮れてすぐ、客がまばらな刻限だった。上等な外套を着て、傘を持った使用人を従えている。四十半ばの、疲れた顔をした男だった。

 ルカは帳場から立ち上がった。

 顔を、知っていた。

 母の兄。ソレル家の当主。

 「……久しいな」

 男は店内を見回した。白い光に目を細め、棚を眺め、そして少年に視線を戻した。

 「噂は聞いていた。まさか本当に上市に店を持つとは」

 「ご用件を」

 ルカの声は、自分でも驚くほど平坦だった。

 男は、懐から折った紙を出した。帳場に置く。

 「ミナの縁組が、整った」

 雨の音が、遠くなった。

 「……期限は二年と伺っていました」

 「早まった」

 男は目を逸らした。

 「先方が急いでいる。式は、半年後だ」

 ルカは紙を開いた。

 先方の家名を見て、指が止まった。

 連合理事の一族だった。ヴァレンティの遠縁。

 「叔父上」

 「わしは何も知らん」

 男は早口に言った。

 「先方から申し入れがあった。条件はこちらに過ぎたものだ。断る理由がない」

 「ミナは八つです」

 「九つになった」

 その一言が、いちばん深く刺さった。ルカは、妹の年を間違えていた。

「式まで屋敷で預かる。それまでは、これまで通りだ」

 男は立ち上がった。

 「お前に知らせに来たのは、姉の子だからだ。それ以上の意味はない」

 「叔父上」

 ルカは呼び止めた。

 「ソレル家は、この縁組で、いくら受け取られるのですか」

 男の足が止まった。

 長い沈黙があった。

 雨が、屋根を叩いていた。

 「……お前は、母親に似ておらんな」

 男は言った。

 「あれは、そういうことを訊かん子だった」

 「いくらですか」

 「金貨、八十枚だ」

 ルカは、動かなかった。

 「支度金と、家の借りの肩代わりを合わせてな」

 男は扉に向かった。

 「言っておくが、わしとて好きでやっとるわけではない。ソレルの家も、もうもたん。あの子一人のために、他の者を路頭に迷わせるわけにいかんのだ」

 扉が閉まった。

 雨の音が、また近くなった。

 ルカは、しばらく帳場に立っていた。

 ネルが、そっと近づいてきた。

 「ねえ、あの人」

 「叔父だ」

 「なんて言ってた?」

 ルカは答えなかった。

 彼は板を取り、炭を握った。

 金貨八十枚。

 妹に、値がついた。

 八十枚あれば、上回れる。ソレル家が受け取る額と同じだけを積めば、あの家は金で動く家だ。動かない理由がない。

 胸の奥が、焼けるように熱かった。

 妹を買う。

 そんな言い方を、自分がすることになるとは思わなかった。

 だが、いま彼は商人だった。数字に置き換えられるということは、手が届くということでもある。

 彼は炭を走らせた。

 いまの利は、月に金貨八枚。半年で四十八枚。

 足りない。

 三十二枚、足りない。

 ルカは板を見つめた。それから、灯りを見た。四隅で、白い光が揺れずに燃えている。

 注文帳には、四十七人の名前が書いてある。

 だが売る品がない。アルヴァ鋼が足りないからだ。屑から集める限り、月に二台か三台が限界で、それでは半年で二十台にもならない。

 いまのやり方では、届かない。

 一年前と、同じ結論だった。

 ルカは目を閉じた。

 やり方が、小さい。

 そして、目を開けたとき、彼は帳面の別の頁を開いていた。

 イルマたちが月々払っている、灯りの代金の記録だった。十二人が、月に銀貨二枚ずつ。九か月かけて、銀貨十八枚を払う。

 九か月で終わる。終われば、収入も終わる。

 彼はその数字を、長い間見つめていた。

 そして、独り言のように言った。

 「……売らなければ、いいのか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。