第19話:小さな約束と、二人で開く新しい扉
胸元で丸くなっていた一葉の鼓動が、少しずつ穏やかなリズムを取り戻していく。
「……もう、タカヒロくん。不意打ちであんなふうに呼ぶなんて、ずるいわ」
ようやく顔を上げた一葉の頬は、夕暮れの茜色に染まったように、ほんのりと赤い。
俺の胸を軽くポコポコと叩いてから、彼女は整え直すように制服のスカートの裾を撫で下ろした。
「一葉が頼んだんじゃないか。……でも、俺も少し緊張したよ」
「本当……? ふふ、タカヒロくんが照れてくれるの、なんだかすごく嬉しいな」
一葉は嬉しそうに微笑むと、ソファーの上で少し姿勢を正し、真剣な眼差しで俺の目を見つめてきた。
「ねえ、タカヒロくん。今週末のこと、覚えてる?」
「今週末……合同研修会の反省会兼、打ち上げの件か?」
「うん。他校の生徒会メンバーも含めた正式な懇親会だけど……その前に、少しだけ私に時間をくれないかな?」
一葉は自分の膝の上で指をそっと組み、上目遣いで俺を見つめる。
「研修会を無事に終えられたお祝いに、二人だけで少し寄り道をしたいの。タカヒロくんに見せたい場所があって……」
「見せたい場所?」
「うん。私の『一番大切な場所』。……一緒に行ってくれる?」
彼女の瞳には、どこか照れくささと、それ以上に深い信頼の色が宿っていた。
十年間、俺が自分を偽って暗闇の中にいた間も、ずっと俺を見守り続けてくれた一葉。彼女が「大切」と言う場所に、俺が行かない理由なんてなかった。
「ああ、もちろん。一葉となら、どこへでも行くよ」
「……! うん、約束ね!」
一葉の顔がパッと華やぎ、ひまわりのような満面の笑みが弾けた。
※ ※ ※
翌日、昼休みの屋上。
心地よい風が吹き抜けるベンチで、俺は一ノ瀬莉央と出くわした。
彼女は手すりに寄りかかり、パックのジュースを飲みながら、やってきた俺を見て楽しそうに目を細めた。
「あら、音無くん。一人? 珍しいわね。いつもそばにいる『氷の生徒会長様』は?」
「生徒会の書類提出で職員室に行ってるよ。一ノ瀬、こんなところで何してるんだ?」
「風に当たってただけよ。……ねえ、音無くん」
莉央はジュースを飲み干すと、ふっと真面目な顔になって俺に歩み寄ってきた。
挑発的な笑みを消した彼女の表情は、どこか純粋で、真っ直ぐだった。
「この前はごめんなさいね。あなたのことを、ただの優秀な『パーツ』みたいに扱おうとして」
「え……?」
「校門前で二人の姿を見て、分かったのよ。あなたがどうしてあそこまで凄まじい実務能力を発揮できるのか、その原動力がどこにあるのか。……椎名さんへの、絶対的な信頼なのね」
莉央は少し悔しそうに口元を歪めたが、すぐに晴れやかな笑顔を浮かべた。
「私、他人の絆とか信じないタチだったんだけど……あなたたちの空気感を見せつけられたら、割り込む隙なんて一ミリもないって認めざるを得ないわ。……ふん、二人揃って完璧すぎるのよ」
「一ノ瀬……」
「スカウトは諦めてあげる。その代わり、これからも面白い『ライバル』として、生徒会同士で高め合いましょうね。……じゃあね!」
莉央はひらひらと手を振り、軽やかな足取りで屋上を去っていった。
不器用なりに自分の引き際を見極め、俺たちの関係を認めてくれた彼女の背中に、俺はそっと頭を下げた。
自分の力を隠さず、自分を信じてくれる人のために立つ。
演じるのをやめたからこそ手に入ったのは、こうした新しい、心地よく対等な関係だった。
※ ※ ※
放課後。
生徒会室の前で待っていると、書類を抱えた一葉が走ってきた。
「タカヒロくん、お待たせ! 遅くなってごめんなさい!」
「ううん、今来たところだよ。……一葉、行こうか」
「うん!」
鍵をかけ、静まり返った生徒会室を背に、俺たちは並んで歩き出す。
校舎を出ると、夕暮れの柔らかな光が二人の影を長く伸ばしていた。
ふと、一葉の手が俺の手にそっと触れる。
俺が迷わずその指を絡めて握り返すと、一葉は幸せそうに頬を緩め、俺の腕にキュッと寄り添ってきた。
かつて過去に囚われ、傷ついていた俺の手を引いてくれた少女。
今度は俺が、彼女の隣でしっかりと前を見つめ、歩調を合わせていく。
二人で開く新しい未来への扉は、もうすぐ目の前に広がろうとしていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




